大変好評を得ている、スポットライトリサーチ。第4回目となる今回は、埼玉大学理学部基礎化学科斎藤研究室の桑原拓也 博士にお願いしました。桑原博士は斎藤研究室で博士を取得後、JST ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクト博士研究員を経て現在、名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所で博士研究員(日本学術振興会特別研究員SPD)をしています。
斎藤研究室の研究分野は有機典型元素化学。簡単にいえば、「一般的な化合物の一部を他の典型元素や高周期金属元素に置き換える」研究をしています。例えば、2010年報告された鉛を含んだ芳香環「プルンボール」の合成は非常に話題になりました(関連記事:含『鉛』芳香族化合物ジリチオプルンボールの合成に成功!)。今回紹介する研究は、この流れの一環で「シクロペンタジエニル配位子の炭素を1つをスズに置き換えたらどうなるか?」という課題に取り組んだものです。
“Diverse coordination modes in tin analogues of a cyclopentadienyl anion depending on the substituents on the tin atom”
Kuwabara, T.; Nakada, M.; Guo, J. D.; Nagase, S.; Saito, M. Dalton Trans, 2015,44, 16266. DOI: 10.1039/C5DT02202A
斎藤教授によれば、桑原博士は物事を冷静に効率の面から考えられる研究者であるそうです。斎藤教授が長年熱望していた遷移金属錯体の研究を始めるにあたり、当時、4年生として配属された桑原博士に与えたテーマが、「ジリチオスタンノールを用いた遷移金属錯体の合成」。研究室には遷移金属化学の知識の蓄積もノウハウも全くない困難な中、道を切り拓いてくれた立役者であるとおっしゃっていました。
さて、そんな桑原博士に今回の研究を紹介していただこうと思います。それではどうぞ!
Q1. 本研究はどんな研究ですか?簡単に説明してください
「 シクロペンタジエニル配位子(Cp)の骨格炭素一つを高周期14族元素であるスズに置き換えると、その配位様式は『しなやか』になる」ことを明らかにしました(図1)。
サンドイッチ錯体などにみられるCp及びその高周期類縁体は、平面構造をもち、五つの骨格元素が全て金属へ配位(η5配位)することが広く知られています。一方、本研究を通して、Cpの骨格炭素一つをスズに置き換えると、その構造はスズ上の置換基に応じて平面から折れ曲がり型へとしなやかに変化し、その配位様式もη5配位からη4配位となることが解明されました。この変化に伴い、スタンノール配位子の性質も変化しており、折れ曲がり型から平面構造に近づくにつれ、電子供与能が高くなることがわかりました。
Q2. 本研究テーマについて、工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください
これまでに報告されている重いCp錯体の研究では、合成上の制約で、高周期14族元素上の置換基はかさ高いケイ素置換基に限られていました(図2(a))[1]。一方、我々が以前報告したアニオン性サンドイッチ錯体を用いれば、スズ上に様々な置換基を導入できるのでは?と思い、このテーマを始めました(図2(b))[2]。導入する置換基を変えれば、スタンノール配位子の電子供与能も自在にチューニングできるだろう!と意気込んでいましたが、いざ実際に研究を行ってみると、電子供与能だけでなく、配位様式までもが変化してしまう、という驚きの結果を得ました。本研究は、博士論文執筆の現実逃避合間にやったもので、待望のη5配位スタンノール錯体を手にしたのは、博士論文提出締め切り直前でした。
Q3. 研究テーマの難しかったところ、またそれをどのように乗り越えたか教えてください。
最初にクロロ体を合成したのですが、その構造を初めて見たときは落胆しました。ケイ素、ゲルマニウムの系と同様に、スタンノール配位子も金属にη5で配位すると期待していたのに、実際はスズが金属から遠く離れ、ブタジエン部位のみが金属に配位していたのです。
これを受けて、当初の目的の「異常に電子豊富なπ配位子の開発」は、達成不可能と思いました。しかし、ダメでもともと、という気持ちで炭素置換基を導入してみたところ、スタンノールの折れ曲がり具合がクロロ体のそれよりも小さくなっていました。そこで、置換基の電気陰性度が折れ曲がり角に関係している?と感じ、より電気陽性のケイ素を導入した結果、遂にη5-スタンノール配位子が誕生しました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
学生時代の研究と現在行っている研究を比べてみると、主に扱っている元素がスズから炭素へと変化しただけで、どちらも”分子構造が独特で面白い”という共通点があります。これまでにないユニークな構造を持つ分子を自らの手で合成したときは言葉では言い表せない感動があり、その経験をする度に化学が好きになっていきました。今後も唯一無二の構造をもつ分子の合成を夢見て頑張っていきます。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
恥ずかしながら、私のこれまでの成果は、全く予期していなかったものばかりです。初めの頃は、その都度落ち込みましたが、年を重ねる毎に、次はどんな特異な構造・結合状態が見られるのだろうかと、単結晶X線構造解析をする度にワクワクするようになりました。また、どうアピールすれば、その予想外の結果の価値が引き立つか、について考える機会が多く、頭を悩ませながらも、様々なことを学び、楽しむことができました。予想外の結果に遭遇しても、すぐに諦めたり切り捨てたりせずに、粘り強く掘り下げてみてください。その先には予想できないほど面白い化学が眠っているかもしれません。
関連論文
- (a) Freeman, W. P.; Tilley, T. D.; Rheingold, A. L.; Ostrander, R. L. Angew. Chem. Int. Ed. Engl. 1993, 32, 1744. DOI: 10.1002/anie.199317441 (b) Lee, V. Y.; Kato, R.; Sekiguchi, A.; Krapp, A.; Frenking, G. J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 10340. DOI: 10.1021/ja0740162
- Kuwabara, T.; Guo, J. D.; Nagase, S.; Sasamori, T.; Tokitoh, N.; Saito, M. J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 13059. DOI: 10.1021/ja507330p
関連リンク
研究者の略歴
桑原 拓也
所属:名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 伊丹グループ(日本学術振興会特別研究員SPD)
テーマ:シクロパラフェニレンの自在官能基化を駆使したチューブ構造の構築と応用
経歴:1985年埼玉県生まれ。2009年埼玉大学理学部基礎卒業後、同大学大学院理工学研究科へ進学。2014年3月に斎藤雅一教授の指導のもと、博士(理学)号取得。その間2012年から2014年まで日本学術振興会特別研究員(DC2)。2014年4月から2015年3月までJST ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクト博士研究員を経て、現職。2010年第4回関東支部大会学生講演賞、2011年第61回錯体化学討論会学生講演賞、第58回有機金属化学討論会ポスター賞、2012年ICHAC-10ポスター賞、2013年日本化学会第93回春季年会学生講演賞、ICCOC-GTL-2013ポスター賞。上記の功績に対し、2011年から2013年まで連続で埼玉大学学生表彰受賞。