近年の典型元素化学では、p-ブロック元素化合物を用いた小分子の活性化や活性種の安定化に関する研究成果が相次いで報告されており、典型元素がまるで遷移金属のような振る舞いをすることに、注目が集まっています。[1]
では、配位子との錯形成の視点からも、典型元素は遷移金属のように振る舞うことができるのでしょうか?
カルボニル配位子
一酸化炭素(CO)は、炭素と酸素原子から成る二原子分子です。下図のルイス構造からわかるとおり、COは窒素(N2)の等電子体ですが、炭素と酸素の電気陰性度の差により分極しているため塩基性がN2よりも高く、遷移金属と容易に錯形成することができる最もシンプルな配位子と言えます。
一酸化炭素が配位した遷移金属カルボニル錯体は、大学の講義において、IRスペクトルと絡めて、σ供与・π逆供与の説明に使われる代表的な錯体で、触媒として工業的に利用されているほか、酵素の活性部位にも存在しており、また星間物質として観測された例もあるようです。[2]
遷移金属化学分野では、もはや目新しくもなんともないカルボニル錯体は、適当な前駆体にCOガスをブクブクッと注入させるだけで大抵は合成できるのですが、4-12族以外の元素においては、二分子以上のCOと直接反応した例というのはこれまでに報告されていません。
ホウ素上へのCOの直接導入
さて、ごく最近、ドイツのHolgerらのグループによって、ホウ素上に二つの一酸化炭素が配位した化合物の合成・単離に成功した、という論文が報告されていたので紹介したいと思います。
Holger Braunschweig, Rian D. Dewhurst, Florian Hupp, Marco Nutz, Krzysztof Radacki, Christopher W. Tate, Alfredo Vargas, Qing Ye, Nature 2015, 522, 327-330, DOI:10.1038/nature14489
著者らは、ボリレンを配位子に持つモリブデン錯体1aを原料とし、COをブクブクして80℃に加熱することで、ホウ素-ジカルボニル錯体2を収率23%で得ることに成功しています。[3]
また、2の分子構造をX線結晶構造解析によって明らかにしています(図は原著論文より)。
細かい説明は省きますが、
(i) 青い
(ii) ホウ素周りは平面三配位でsp2混成である
(iii) ホウ素のp軌道上の電子がCOのπ*軌道に流れ込んだ三中心二電子π結合をHOMOに確認することができ、これは、遷移金属カルボニル錯体で見られるd→π*逆供与と類似した電子状態とみなすことができる。
(iv) このような化学種には珍しく、空気中でもそこそこ安定で、5日間空気にさらしても30%しか分解しない。
といった特徴・性質を持っています。
さらに著者らは類似の反応をCr錯体1bとイソニトリルを用いて行うことで、カルボニルとイソニトリル配位子を持つ化合物3及びホウ素-ジイソニトリル化合物4の合成及び、分子構造解析にも成功しています。
実は、これまでにも、形式的に二つのCOユニットが配位した炭素及び窒素カチオン種が合成されており、分子構造まで明らかにされています。[4] ところが、これらは一酸化炭素をブクブクした反応によって合成されたものではありません。今回の成果は、二分子のCOがホウ素原子に直接配位することによって合成した典型元素-ジカルボニル化学種として初めての例であり、二つのカルボニル配位子に対してホウ素が遷移金属のように錯形成することを示した、重要な成果です。
ところで、COガスを加えていないのに3が生成しているのは、前駆体のCr金属上に配位していたCOがホウ素上に転移したためでしょう。ということは、2に含まれる二つのCOのうちの一つは、もしかしたら、Mo上から転移してきたものかもしれません。SIを見ても13Cラベル実験などはまだ行われていないようなので、反応機構のに関する詳細が今後出てくることにも期待しましょう。
HSAB則
さて、カルボニル配位子は「やわらかい塩基」として知られています。
で、今回紹介したような錯体化学やその他の酸・塩基間の反応において、酸や塩基の「かたさ・やわらかさ」といった概念は非常に重要です。
1960年代にR. G. PearsonによってHSAB(Hard and Soft Acidsand Bases)則 <一般に、かたい酸はかたい塩基との親和性がたかく、また軟らかい酸は軟らかい塩基との親和性がたかい> が提唱されていて、この概念は、酸・塩基間反応の熱力学的な親和性および反応速度の理解を助けてくれます。
でも、この「かたい・やわらかい」ってのが抽象的である点と(ボーダーどこやねん)、どうしてそうなの?って点が理解できないと、HSAB則って酸・塩基の分類とともに、ただただ暗記しちゃうことになりかねません。
せっかくなのでHSAB則のイメージを、今回、掴んじゃいましょう。といっても、難しいことはありません。
HSAB則に関連するKlopmanの式 [5]をおおざっぱに解釈すると、
「酸と塩基の相互作用エネルギーは、軌道相互作用と電荷相互作用によって決まる」そうです。
そのうえで、HSAB則によると、単純に、似たものどうしの相互作用はつよいってことですね。
サイズがフロンティア軌道の広がりを表してるとすると、やわらかい組み合わせ(soft & soft)の場合は、軌道の重なりが大きく両者の結び付きに効いてる感じがしますよね。
で、さらにそれぞれの中心(ゾウさんやミミズさんのハート)に+と-の電荷を置くと、かたい組み合わせ(hard & hard)の場合は、距離的に電荷相互作用が結び付きに強く影響を与えていることが理解できます。
HSAB則は、無機塩など固体試料の溶解性といった基本的な性質を理解する際に役立つだけではなく、
触媒開発における配位子の設計にも活かすことができる重要な基礎概念だと思います。
参考文献
- (a) P. P. Power, Nature 2010, 463, 171-177. doi:10.1038/nature08634 (b) D. Martin, M. Soleilhavoup, G. Bertrand, Chem. Sci. 2011, 2, 389-399. doi:10.1039/C0SC00388C (c) Y. Wang, G. H. Robinson, Dalton Trans. 2012, 41, 337-345. doi: 10.1039/C1DT11165E
- (a) P. V. Simpson, U. Schatzschneider, in Inorganic Chemical Biology: Principles, Techniques and Applications (ed. Gasser, G.) Ch.10, 309-340 (Wiley, 2014). (b) A. G. G. M. Tielens, D. H. Wooden, L. J. Allamandola, J. Bregman, F. C. Witteborn, Astrophys. J. 1996, 461, 210-222.
- カルボニル配位子一つをもつホウ素化合物の合成例 H. Asakawa, K.-H. Lee, Z. Lin, M. Yamashita, Nat. Commun. 2014, 5, 4245, DOI: 10.1038/ncomms5245
- (a) A. Ellern, T. Drews, K. Seppelt, Z. Anorg. Allg. Chem. 2001, 627, 73-76. DOI: 10.1002/1521-3749(200101) (b) I. Bernhardi, T. Drews, K. Seppelt, Angew. Chem. Int. Ed. 1999, 38, 2232-2233. DOI: 10.1002/(SICI)1521-3773(19990802)
- G. Klopman, J. Am. Chem. Soc. 1968, 90, 223-234. DOI: 10.1021/ja01004a002
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外部リンク