歪んだアルキンといえばどんな構造を考えるでしょうか?今回はベンザインと環状アルキンなどの歪んだアルキンへの付加反応の位置選択性に関して、最近提唱されている解釈法について少し説明したいと思います。
歪んだ三重結合をもった芳香環「アライン」
ベンゼンの1つの水素原子とオルト位の水素原子を取り除いたo-ベンザインは、三重結合が安定な直線構造から大きく歪んでいることから、極めて高い反応性(不安定性)を示します。同様にナフタレン・ピリジン・インドールとベンゼン以外の芳香環から2つの水素原子を取り除いた化学種は、総じてアライン(aryne)類と称されており、有機合成化学において重要な反応活性種として頻繁に用いられています。
アラインの付加反応の位置選択性を理解する
最近、アラインの性質、特に位置選択性に関する統一的な解釈法を提示し、合成化学への応用を試みているのが合成化学者Gargと計算化学者Houkです。2010年に彼らは、インドラインに対する付加反応の位置選択性を”distortion/interaction model”‘(歪曲/インタラクションモデル) で予測可能であることを報告しました。[1]
アラインの”distortion/interaction model”
非対称なアラインは、周りの置換基やヘテロ原子によって”歪み方”(結合角)が異なる。その歪み構造は計算化学で予測することが容易であり、予測したアラインの構造において、直線性の高い炭素、すなわち結合角が大きい炭素で付加反応が進行することを明らかとした。例えば、4,5-インドラインの構造は5位が129º、4位が125ºの結合角を有している。結合角の大きい炭素で反応が進行するため、アニリンの付加反応はC5位選択的に進行する。
なぜ、アラインの”歪み方”が異なるのか?
ではそもそも、なぜ置換基あるいはヘテロ原子によってアラインが歪むのだろうか?それは、電気陰性度の違いに起因しています。一例として3-fluorobenzyneでは、フッ素の誘起効果によりC2位はC3位に比べて電子密度が低くなります。その結果、C3位の結合性軌道の電子密度が相対的に高くなり、電子密度を安定化するために結合を形成する軌道のs性が増加します。それに伴い軌道の再混成が行われ、アラインの結合角に差異が生じます。その歪みはC3位のp軌道のp性を高くし、d+性を帯びるためC3位で付加反応が進行すると考えられます。
本解釈を基に、彼らはピリダイン、置換ベンザインの位置選択性の理由ついても矢継ぎ早に報告しました。[2]現在では、計算化学でアラインの構造を予測、置換基で構造を最適化するだけで、付加反応の位置選択性を予測することが可能となっています。[3]
ピペリダインの発生と性質解明
ではこの理論はアラインだけでなく歪んだアルキンに対する付加反応の位置選択性にも適用できるのでしょうか?[4] ごく最近、彼らは、3.4-ピペリダインを初めて発生させることに成功したのみならず、本解釈法を用いた3,4-ピペリダインへの付加反応の位置発現の理由および、3,4-ピリダインと大きく異なる理由について説明しました。[5]
3,4-ピペリダインと3,4-ピリダインの最適化構造を比較すると、3,4-ピペリダインはより歪んでいることがわかります。彼らのdistortion modelに基づけば、3,4-ピペリダインを用いた場合により位置選択的に付加反応が進行することを示唆している。すなわち、3,4-ピペリダインに対する付加反応の位置選択性を研究することによって、最終的に3,4-ピリダインが「なぜ歪んでいないのか」、「なぜ位置選択的に付加反応が進行しないのか」という問題を明らかにできると考えました。
そこで3,4-ピペリダイン前駆体を合成し、3,4-ピペリダインの付加環化反応および付加反応を行いました。結果をまとめると、
(1) 3,4-ピペリダインと3,4-ピリダインのどちらにおいてもC4位選択的に付加反応が進行する
(2) 3,4-ピペリダインを用いた場合により優れた位置選択性を示す
ことが明らかとなりました。これはdistortion modelの予想とよく一致する結果となっています。
続いて、ピリダイン、ピペリダインに対するモルホリンの求核付加反応についてDFT計算を用いて遷移状態を算出しています。論文(Figure3)を見ると明らかなように、3,4-ピリダインのC3位およびC4位への付加にほとんどエネルギー差はなく、それは位置選択性が低いことと一致しています。一方、3.4-ピペリダインにおいてはC3位およびC4位への付加に比較的大きなエネルギー差があるため、位置選択的にC4位に付加が進行している結果とよく一致しています。
ピリダインへの付加反応が低い位置選択性で進行する理由
最後に3,4-ピリダインに対する付加反応が低い位置選択性で進行する理由をdistortion modelを用いて解明しています。ピリダイン、ピペリダインともに窒素原子による誘起効果は存在します。しかし、ピリダインは平面であるために、窒素原子の非共有電子対(n軌道)とπ*軌道で相互作用し、安定化が起きます。この相互作用を最安定化するためにC3位の炭素は窒素原子に近接します。この相互作用と誘起効果は、それぞれ逆の方向に歪みを生むため結果として相殺されます。その結果、ピリダインの歪みは小さくなります。 一方、3,4-ピペリダインではn軌道とπ*軌道は直交しているために、このような相互作用はなく、誘起効果によってのみ歪みが生じます。このようにして、3,4-ピリダインの低い位置選択性が説明できます。
詳細は述べませんでしたが、サクサクっと未踏の3,4-ピペリダインを合成してしまうところがよい合成化学者の強みですね。また、同じ学科に、世界トップクラスの計算化学者が在籍し、使える解釈法を共同研究で提示できたため、非常にわかりやすくくなっています。彼らのdistortion/intraction modelの一般性は極めて高く、アライン類に加えて、今回の例のように、環状アルキンにまで応用の場を広げている。本手法を用いてすでに天然物合成にも応用されており、今後どのように本手法が展開されていくかが楽しみです。
関連文献
- Cheong, P. H.-Y.; Paton, R. S.; Bronner,S. M.; Im, G.-Y. J.; Garg, N. K.; Houk, K. N. J. Am. Chem. Soc. 2010, 132, 1267. DOI: 10.1021/ja9098643
- (a) Bronner, S. M.; Mackey, J. L.; Houk, K. N.; Garg, N. K. J. Am. Chem. Soc. 2012, 134, 13966. DOI: 10.1021/ja306723r (b) Goetz, A. E.; Garg, N. K. Nat. Chem. 2013, 5, 54. DOI: 10.1038/nchem.1504 (c) Medina, J. M.; Mackey, J. L.; Garg, N. K.; Houk, K. N. J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 15798. DOI: 10.1021/ja5099935
- Picazo, E.; Houk, K. N.; Garg, N. K. Tetrahedron Lett. 2015. ASAP. DOI: 10.1016/j.tetlet.2015.01.022
- ごく最近、シクロヘキシンとシクロペンチンへの付加反応の位置選択性を、本手法により説明している。 Medina, J. M.; McMahon, T. C.; Jiménez-Osés, G.; Houk, K. N.; Garg, N. K. J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 14706. DOI: 10.1021/ja508635v
- McMahon, T. C.; Medina, J. M.; Yang, Y. F.; Simmons, B. J.; Houk, K. N. Garg, N. K. J. Am. Chem. Soc. 2015, 137, 4082. DOI: 10.1021/jacs.5b01589