Tshozoです。 少し前にAngewandte Chemie Internaional Editionに掲載された論文のことについて書きたくなりましたのでつらつらとご紹介しましょう。
“Cooperative Catalysis: Enantioselective Propargylic Alkylation of Propargylic Alcohols with Enecarbamates Using Ruthenium/Phosphoramide Hybrid Catalysts”
Y. Senda, K. Nakajima, and Y. Nishibayashi Angew. Chem. Int. Ed. 2015, Early View DOI: 10.1002/anie.201411601
東京大学大学院 西林研から提出されたこの論文、どういう背景によるもので、どういう意義を持つのか。全体的にド素人が踏み込める内容ではないのですが、出来る限り書かせていただきます。お付き合いください。
プロパルギル基とは
普通に生活していてもあんまり聞きなれないこの官能基。一体そりゃ何で、何に使うねんというところからわからんので調べました。
卑近な例を用いると、溶接ガス等で多用されるアセチレン(H-C≡C-H)、この親戚であるプロピン(H-C≡C-CH3)の官能基(H-C≡C-CH2-)がプロパルギル基です。かなり少数ながら天然物にプロパルギルアルコールとしての構造がみられるほか(下図)。医薬品の例で挙げると抗鬱剤など、脳へ作用する医薬品類に結構使用されていました。なんでこの構造が効くかはまあったくわからんですが、ちらっと調べたところこの三重結合が脳内のレセプター部にくっついて阻害するとかしないとかry
プロパルギル基(類似構造含む)を活かした医薬品・天然物の例
こうしたアルキン部を直接導入して利用する例もあるのですが、現実的なことを言うとアレン(>C=C=C<)や環状化合物の足場としての意義が最も重要と思われます。アレンはプロパルギル基よりも多く天然物に存在し、また医薬にも多く使用される官能基であるため、この構造を織り込む手段は医薬合成、農薬合成にとって強力なツールになりえます。
もう一つは、ご存知クリックケミストリーの足場。このプロパルギル基が持つ三重結合はアジドと良好に反応します。またクリックケミストリーの結果出来た分子構造は医薬品に頻繁に存在する分子構造であるため、足場としてだけでなく機能をも果たすことを狙ってプロパルギル基を導入することも考えられます。
あと、最近研究が活発になってきているのが細胞へのプローブ分子への適用(ラマンシフトを利用したものと、3重結合が細胞へ直接結合する性質を生かしたもの)。2012年あたりから活発になってきており、ラマンシフトを利用したものでは極めて鮮明なイメージが撮れるなどの成果が得られています(下図)。単純な三重結合の導入だけならSonogashira反応があるのですが、分子構造の都合から導入しにくい場合も多いようで、その効率的かつ温和・容易な合成法は求められているわけです。
こうした応用先を持つプロパルギル基を導入できるような合成方法、その中でも特にエナンチオ選択性の高い合成法(=鏡像異性体を作り分けられる合成法)も引き続き望まれており、今回はそのお話です。
歴史的経緯
このプロパルギル基ですが、分子に導入しようとすると結構面倒なもようです。ベンゼン環にアルキン(HC≡C-)を付けるだけなら上述のようにSonogashira反応がスタンダードで、ある程度不斉合成にも応用出来るようになりつつある(2014年時点)ようなのですが・・・・。これに対しプロパルギル基は歴史的には1960年にノートルダム大学のHanzelらによって一応アミンが付いた分子鎖にプロパルギル基を導入出来る手法は考案されたものの、その後10年程なかなか発展が進まなかったのが実情です。その後、Nicholas(天然物の王者でない、オクラホマ大学のNicolas教授の方)が考案したプロパルギルエーテルをもとに導入する合成方法を編み出し、人名反応(Nicolas 反応)としてその地位を確立するに至りましたが(下図)、ジコバルトオクタカルボニルという不安定物質を基質当量必要としていました。こらいかにもアトムエコノミカルでない。そもそもが、中間体で一旦三重結合の形が大きく変わるので副反応が起こりやすい。加えてエナンチオ選択的な反応は非常にやりづらいというかできない。
とは言え代替手段はなく、1990年前後までプロパルギル基導入のメイン手段でした。これに転機が訪れたのが1994年、大阪大学村橋教授(当時)の開発した銅触媒による合成法の開発です。これはSonogashira Coupling で銅を使う条件を参考にした反応で、現在も様々な派生研究が実施される、プロパルギル基導入の基本成果となっています。このほか同様の系で、金属塩を入れ替えたエナンチオ選択的なプロパルギル基導入の開発も進み、現在までに下図のような合成方法が 出ています。が、まだまだその種類は少なく、基質もアルデヒドが主対象であるなど、適用範囲が限定されていました。* が不斉炭素に相当 なお1, 2, 3, 4はそれぞれ下記:
- Haruta, R.; Ishiguro, M.; Ikeda, N; Yamamoto, H. J. Am. Chem. Soc. 1982, 104, 7667. DOI: 10.1021/ja00390a052
- Matsumoto, Y.; Naito, M.; Uozumi, Y.; Hayashi, T. J. Chem . Soc. Chem. Commun, 1993, 1468. DOI: DOI: 10.1039/C39930001468
- Marshall, J. A.; Grant, C. M. J. Org. Chem. 1999, 64, 696. DOI: 10.1021/jo982255p
- Nishibayashi, Y.; Onodera, G.; Inada, Y.; Hidai, M.; Uemura, S. Organometallics, 2003, 22, 873. DOI: 10.1021/om020814j
その中で今回、新たにカルバメート部位(-NH-COO-)を持つ基質へプロパルギル基をエナンチオ選択的に導入できる合成手法が開発されたわけです。
今回の論文の意義
ようやく、本論です。本論文に至る前に、西林准教授はルテニウムを用いた二核錯体(和光純薬より「DIRUX」という商品名で市販化もされています)によってプロパルギル導入反応を効率的に進行させてる手法を既に開発していました。これはプロパルギルアルコールを求核置換反応により分子鎖へ導入できるはじめての触媒であり、1993年の発見後、この触媒系を中心に研究を進めてこられています。元々は植村榮氏(京都大学名誉教授)による研究がベースになっているとのことでした。加えて上記の銅触媒を用いた系でも興味深い成果を出されています(下図)。
その中でもエナンチオ選択的な合成方法は何点か提案されてきていましたが、今回の触媒系がこれまでと異なるのは反応システムのコンセプトから新たに立ち上げた点であると言えます。成立させた反応は下記のようなものであり、プロパルギル基をRu錯体上で活性化させた状態にして、そこにキラルリガンドで「ロックオン」した基質(カルバメート)が攻撃する、というものです。
本論文のポイントは下記の2点。
◎ポイント1:「分子系内型相乗反応」のコンセプト
プリンストン大学の雄 Macmillan教授が下記図で述べているように、2000年付近から錯体触媒を用いた「相乗反応」という分野が開拓されつつあります。これは生体内で起きるような、二つの触媒反応をシンクロさせて新たな反応経路を開拓するもので、これまで基本的には4種類ほどの形態が示されてきました。だいたいは片割れは(Cat II)有機分子であることが多く、これにより形状や反応を制御するといったものです。
それに対し、今回西林准教授が見出したのは下記の新しいタイプ。要は「一分子内での相乗反応が存在する」ことがポイントです。
これは実はあたりまえのようで当たり前でない、新機軸ではないかと思います。もちろんリガンドに構造制御、金属に反応中心を分けるというのはそれだけ触媒としての合成が難しくなりますが、この機能分離により合成の自由度が単純に考えて2倍になるわけですから。その点でも大きな意義を持つと考えられます。
◎ポイント2:「錯体内水素結合平面を用いた不斉反応」
今回不斉化に重要な役割を果たしたのが、リガンドとの水素結合。リン酸構造が基質の「傾き」の位置決めを行い、それがそのままRuによって活性化・位置決めされたアレニリデン構造にガチンとくっつく、というのが論文で示された今回の反応メカニズムです。正直「できすぎてる話」な気がしないでもないですが、実際にはリガンドの「腕」の柔軟性と長さ選定に相当難儀したと推測します。
ノールズ教授・シャープレス教授・野依教授らがつくりあげた「不斉水素化・酸化反応」に代表される不斉合成反応ですが、これは「金属が不斉化の位置決めと反応中心を同時に受け持つ」というコンセプトに基づいたものです。これに対し今回西林准教授が今回のコンセプトに基づき打ち出したのは「不斉化と反応中心の役割を分ける」方針でした。これにより、今回非常に多様な範囲のエネカルバメート構造をもつ基質へのプロパルギル基導入が成功に至ったわけです。
なお不思議なのは、キラル物質を系内に「混ぜた」だけだと選択性が全く高くない点(本論文の”Scheme 3″参照)。素人考えだと「混ぜりゃいいじゃねぇか」と思うのですが、それだとなぜか進まない。以下は筆者の妄想ですが、Ru上のアリニデン構造がそこまで安定性が高いものではなく、混在物ではそれぞれの自由度が高すぎ、反応に適した「平面」を維持できないのではないでしょうか。ともかく、選択性を決める構造がリガンドの腕にくっついて、しかも「平面で」その位置を決めることが出来る点は興味深く、今後の不斉錯体触媒への貴重な指針となりえるかもしれません。
※調べたところ、今回の例とは対照的に、チューリヒ工科大のグループがキラル化合物を「混ぜただけ」でエナンチオ選択的なアリル基の導入を達成した例(論文へのリンク)も存在しました。反応開発ならではの仕方がないところもありますが、とにかくスクリーニングの結果の1つの不斉反応を開発しただけのように思えます。加えてまた面倒な末端構造が前提になっているため、一般性という点では明らかに今回の文献の方が優位性があると言えましょう。
このほか前例としてアレン関係でもリガンドの腕に色々キラルっぽいものをくっつけると選択性が出る、という文献は存在していましたが、ここまで高い選択性を持ち、しかもプロパルギル基を導入したものは全く前例がありません。この点がAngewandteに掲載された理由なのでしょう。
まとめ
イントロで述べたように、プロパルギル基、及び三重結合に関わる合成方法は未だに合成法の幅が狭く、選択肢も限られている分野です。今回のような発見により、医薬品の合成手法や天然物合成に新たな手段が加わっていくものであり、今後も引き続き科学的にも工学的にも意義がある成果に繋がるよう、関係諸氏のご健闘をお祈りいたします。
なお西林准教授は以前紹介したように、ハーバー・ボッシュ法に代わることを狙った窒素分子の低温(室温)活性化を実現しうる錯体触媒開発の第一人者です。東京大学干鯛教授、溝部教授(故人)が開拓したこの分野、ノーベル賞受賞者Schrockとその弟子Yandulovが2004年に考案したMo中心触媒が最も有名(論文リンク)ですが、それと異なるタイプのリガンドを用い、室温で従来は考えられないほどの高いTONを示す窒素活性化触媒反応の開発に成功、国内外で高い評価を受けています(論文リンク)。この窒素固定錯体触媒の研究はもちろん、本件の不斉合成触媒分野でも、今後の大いなるご活躍を期待したいと思います。
それでは今回はこんなところで。