先日、フランスの化学者イヴ・ショーヴァンが亡くなりました。近年の有機合成化学に革命をもたらした有機反応「オレフィンメタセシス」の反応機構の提唱者です。その研究功績により、初期メタセシス触媒の開発者グラブスとシュロックらと共同で2005年のノーベル化学賞を受賞しています。
オレフィンメタセシス(クロスメタセシス)とは皆さんご存知のとおり、二つのオレフィン間での二重結合を組み替えることにより新たなオレフィンを生成する反応です。異種のオレフィンを組み替えることができる非常にユニークな反応の登場は有機合成化学を一変させ、今や有機分子の炭素骨格構築に欠かすことのできない合成反応ツールのひとつとなっています。
無論、ノーベル賞受賞後もユニークな触媒が開発され、現在はメタセシスを介したE体選択的オレフィン合成に関しては、広範な基質一般性を獲得しています。例えば第二世代Grubbs–Hoveyda触媒と呼ばれるメタセシス触媒は、有効な触媒の一つとされています(下図)。
一方で、Z体オレフィンを選択的に得ることは原理的に困難であり、それゆえ現在においても基質適用範囲は限られています。
そのような背景の中、昨年度末にこの分野のトップランナーの一人であるボストン・カレッジのHoveydaのグループにより新規ルテニウム触媒を用いたZ体選択的クロスメタセシス反応が報告されました。
“High-value alcohols and higher-oxidation-state compounds by catalytic Z-selective cross-metathesis”
Koh, M. J.; Khan, R. K. M.; Torker, S.; Yu, M.; Mikus, M. S.; Hoveyda, A. H. Nature 2015, 517, 181. DOI:10.1038/nature14061
これまで適用が困難もしくは不可能であったアルコールやカルボン酸などを有する基質に対しても、高選択的にZ体のオレフィンを得ることに成功しています。
ではその新規ルテニウム触媒とは?如何にして解決したのか?
簡単に説明してみましょう。
Z体選択的クロスメタセシス
そもそも前述したようにZ体選択的クロスメタセシスは、非常に困難な反応とされていました。
しかし、この高難易度の変換反応はついに実現されました[1]。今回の論文の代表著者であるHoveydaとノーベル化学賞受賞者の1人であるSchrockらのグループによるものです(2011年)。以前にこの化学者つぶやきで紹介されている(記事:Z-選択的オレフィンメタセシス)ので詳細は割愛しますが、以下に示したモリブデンアルキリデン錯体存在下エノールエーテルやアリルアミドを基質に用いて高選択的にZ体を得ています。
この報告以降も複数のグループによりZ体選択的クロスメタセシス反応は報告されましたが、アルデヒドやカルボン酸などの”反応性官能基”を有する基質は数えるほどしかありませんでした。如何にしてこのような官能基を有する基質に対して適用可能な反応系を作り出すか。解決の糸口は触媒の中心金属にありました。
新規ルテニウム触媒の開発
一般にモリブデンやタングステンアルキリデン錯体は酸素原子を有する反応性官能基、例えばアルコールやアルデヒド、またはカルボン酸存在下で触媒が不活性化されてしまいます。一方でルテニウムジクロロ錯体はこれら官能基存在下でもオレフィンメタセシス反応が進行することが知られています。
そこでまず彼らはルテニウムジクロロ錯体と同じようにアニオン性配位子を有する二つのルテニウム錯体(Ru-2およびRu-3a)に注目しました。
これらの触媒はZ体選択的なホモメタセシス反応や開環メタセシス反応などに有効であることが既に報告されています[2]。これらの触媒を用いてアルコールを有する基質のクロスメタセシス反応を検討したところ、最終的にはRu-3aの誘導体であるRu-3bを用いた際に、Z選択性、収率ともに最も良い結果を与えました。
Ru-3aよりも反応性が向上したポイントは、クロロ基の導入による錯体の分解反応の抑制です。その詳細な解析はDFT計算を用いて述べられているので興味がある方は是非読んでみてください。
開発した触媒はアルコールやアルデヒド、カルボン酸を有する基質に加えて、反応点周りがかさ高い基質にも適用可能です。さらにジエンの合成にも用いることができます。
また彼らは天然物neopeltolideやleucascandrolide Aの部分構造を高選択的かつ良好な収率で得ており、その後数段階を経ることにより(+)-neopeltolideの合成を達成しています[3]。
他の応用例としては、動物性脂肪や植物油から得られるオレイルアルコールやオレイン酸の有用化合物への直接変換に成功しています。
既存の触媒系との違いは主に、①保護・脱保護が不要であり、かつ②より低温条件で反応が進行するためZ体選択性が高いことがあげられます。その高いZ体選択性のため今までは分離困難であった立体異性体が容易に分離可能となりました。より詳しい説明は論文に目を通していただければと思います。
いかがでしたでしょうか?タイトルに書いたように、もはやオレフィンメタセシスはあらゆる官能基存在下でも反応が進行すると言っても過言ではないと思いました。
今後もこの広い基質適用範囲を駆使し、有機合成化学の発展に寄与していくことを期待したいと思います。またパイオニアであるイヴ・ショーヴァンのご冥福をお祈り申し上げます。
参考文献
[1] Meek, S. J.; O’Brien, R. V.; Llaveria, J.; Schrock, R. R.; Hoveyda, A. H. Nature 2011, 471, 461. DOI:10.1038/nature09957 [2] Khan, R. K. M.; Torker, S.; Hoveyda, A. H. J. Am. Chem. Soc. 2013, 135, 10258. DOI: 10.1021/ja404208a [3] Yu, M.; Schrock, R. R.; Hoveyda, A. H. Angew. Chem., Int. Ed. 2015, 54, 215. DOI:10.1002/anie.201409120
関連書籍
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外部リンク
- Hoveyda Research Group:今回の論文の開発グループ
- メタセシス:Ru触媒:メタセシス試薬一覧。Sigma-Aldrich
- オレフィンメタセシス触媒の最近の進歩:WAko Organic Squareより(PDFファイル)