ベンゼンはご存知の通り六角形で炭素原子には水素が結合しています。ではその水素原子を何か他のものに置き換えたらどうなるでしょうか?その置換基がベンゼン環ならスターバースト型(星形)分子のヘキサフェニルベンゼンになります。この分子は比較的簡単に合成でき、各ベンゼン環に置換基をいれたヘキサアリールベンゼンは美しい構造もさることながらユニークな性質を示すことも知られています。
さて、ここで、いま6個のベンゼン環の構造全部が異なっているようなベンゼン(6つのアリール基が異なるヘキサアリールベンゼン)を考えるとしましょう。イメージは簡単ですが、考えられうる多様性に富んだ様々なパターンの分子を一体どうやって作ればいいでしょうか?
6個のベンゼンの有する炭素ー水素結合(C–H結合)を順次変えていけばできますが、もちろんそんな合成法は知られておらず、これまで一つのベンゼン環にうまいこと全部異なるベンゼン環を6個入れるのは容易ではありませんでした。
今回ケクレがベンゼンの構造を提唱して150年の記念の年に、そんな難問を解決するマイルストーンとなるような論文が報告されましたのでご紹介しましょう。
最初にお断りいたしますが、責任著者の一人である山口潤一郎博士は我がケムステの代表であります。だからスタッフが奴隷のように提灯記事を書かされているというわけではございません。面白いもんは面白いんです。
さて、ではどうやって6個異なるアリール基(ベンゼン環のような芳香族から誘導される置換基)を入れたのでしょうか?考えられる実践的な手法としては、ベンゼン誘導体にクロスカップリング反応を使って順次異なるアリール基を導入していく手法があります。ただその手法ですと、どう望みの位置に思い通りに逐次導入するのか、また、合成終盤で混み合ったところにクロスカップリング反応でアリール基を導入できるかどうかという問題が起こりそうです。
また、ジアリールアセチレン誘導体を[2+2+2]で連結してしまう手法もあり得ます。[1]しかしこれだとランダムにアリール基が置換した化合物しか得られません。
今回名古屋大学の伊丹、山口らは彼らが開発してきたC-Hカップリング反応などにより「4つの異なるアリール基をもつチオフェン」を合成し、チオフェン誘導体とジアリールアセチレンとのDiels-Alder反応を用いることにより6つのアリール基がすべて異なるヘキサアリールベンゼンをはじめて合成することに成功しました。
“Synthesis and characterization of hexaarylbenzenes with five or six different substituents enabled by programmed synthesis”
Suzuki, S.; Segawa, Y.; Itami, K.; Yamaguchi, J.
Nature Chem. 2015 AOP DOI: 10.1038/nchem.2174
4つのアリール基が異なるチオフェンの合成法
それではその手法を解説していきたいと思います。
彼らはまず3-メトキシチオフェンを出発原料として選択しています。これは第一のアリール基導入の際、容易にチオフェンの2位選択的に置換基を導入できるようにすることと、メトキシ基を後にアリール基へ置換するための足場とする二つの効果があります。
最初のアリール基の導入に彼らが得意とするC-Hカップリングを用いることも可能ではありますが[2]、大量合成に向いている手法として、まずチオフェンの2位をブロモ化し、そのブロモ基を足がかりとしてワンポットで鈴木ー宮浦クロスカップリングすることにより一つ目のアリール基を位置選択的に導入しています。
続いてはいよいよC-Hカップリングの出番です。ここでも大スケールでの反応を円滑に行うため、既存の条件を改良した条件を見出しており、チオフェンの4位選択的にアリール基を導入しています。
残る5位もC-Hカップリングで3番目のアリール基を導入した後に、メトキシ基を足場にして3位に4番目のアリール基を鈴木ー宮浦クロスカップリングで導入することでテトラアリールチオフェンの完成です。
いよいよベンゼン環へ
仕上げはDiels-Alder反応でベンゼン環を作るステップになりますが、苦労の跡がうかがえます。まずチオフェンを酸化するのですが、当量以上の三フッ化ホウ素存在下、mCPBAで選択的にS-オキシドとし、その後別途調製したジアリールアセチレンと共に加熱してDiels-Alder反応、続く酸化硫黄の脱離を伴うベンゼン環の形成により見事六つの異なるアリール基をもつベンゼンを得ることに成功しています。
残念ながらDiels-Alder反応では配向選択性が低く、位置異性体の混合物となってしまいましたが、根気強く再結晶することで単一の異性体を得ることができたそうです。
またその構造決定も難航したため、得られた混合物のケトンを還元して、生じたヒドロキシ基をTBSエーテルとすると、今度は分取TLCで異性体を容易に分離することができるようになり、かつ生成物のX-線結晶解析により構造を決定することにも成功しています。
X-線の解析結果からはベンゼン環同士が決まった角度で整列した美しい構造をみることができます。
プログラム合成
著者らの言葉を借りるならば、これはプログラムした合成です。反応に用いるパートナーを変えれば自在に四置換チオフェンのアリール基を変える事ができます。次に用いるジアリールアセチレンも簡単に準備することができますので、原理的にはどんな組み合わせのヘキサアリールベンゼンでもプログラムして合成することが可能な合成法であると言えます。
惜しむらくは著者らも認めるように最後のDiels-Alder反応に選択性が出ないことでありますが、今後必ず何らかの解決策を示してくれると思います!
余談ではありますが、例えば6種類のアリール基を用意すると、その置換基を有するベンゼン誘導体には4291通りの化合物が考えられます。10種類のアリール基を用意すると86185通りと指数関数的に増加し、膨大な化合物群になります。これらの中には想像もつかないような不思議な性質を示す化合物があるかもしれません。実際著者らは合成した化合物の蛍光などについていくつか調べており、その辺も面白いです。
六角形に6個のアリール基をどうやってくっつけるか?非常に単純な命題ですが、こういった未だ未解決な本質的な問題に答えを出すというのは人をワクワクさせてくれる楽しいケミストリーだと感じました。
著者より
最後に、著者からコメントがいただけましたのでお伝えしたいと思います。
ベンゼンを直接好きな位置に好きなアリール基をいれて好きなヘキサアリールベンゼン(HAB)を作る方法、我々は「プログラム合成法」と読んでいますが、これは主催教授である伊丹健一郎教授(伊丹さん)の夢でした。実際2005年に伊丹さんがグループをもった初めの学生(4年生)に、メトキシベンゼンのC–Hを自在に変えて最後にクロスカップリング反応でHABをつくるというテーマを与えています。しかながら、そんな分子モデルをつくるような方法はうまくいく訳がなく、失敗に終わりました。しかし、その4年生は博士課程に進み、2009年にベンゼンではなくチオフェンの4つのアリール基が異なるテトラアリールチオフェンの自在合成法を開発しました。
チオフェンは機能性材料の中心骨格であり、様々な機能を発現する可能性を秘めています。しかし、私にとっては単なる「4炭素ユニット」にしか過ぎず、これに「2炭素ユニット」(ジアリールアセチレン)を足せば、ベンゼンになるのではないかと提案しました。2012年、このチオフェンを「破壊する」試みに、伊丹さんははじめ少し難色を示したものの、4年生を一人つけてくれました。すぐに出来ると思ったのですが、従来の4つのアリール基が異なるテトラアリールチオフェンの合成法では数mgほどしか合成しておらず、実際量的に供給するためには大幅に合成法を改良する必要がありました。このテーマを与えられた4年生、今回の筆頭著者である鈴木真君は、テトラアリールチオフェンの合成法を改良し、グラムスケールで数種類のテトラアリールチオフェンをつくってくれました。チオフェンを酸化することでジエンのしての反応性の獲得を行い、対象なジアリールアセチレンとの[4+2]環化反応により5つの異なる置換基を有するHABを合成することに成功しました。そのX線結晶構造解析は鈴木君が修士1年時のクリスマスプレゼントとなりました。
続いて、非対称のジアリールアセチレンを用いましたが、予想通り、分離不能な位置異性体の混合物となり、添加剤や出発物質を変えてもその比は少し偏るぐらいでした。様々な5つのアリール基が異なるヘキサアリールベンゼン(これもこれまで報告さていない)をつくり、その合成法として論文をだそうという声もありましたが、6つのアリール基が異なるヘキサアリールベンゼンを熱望していた私は、鈴木君に続けてどうにかして位置異性体を分けるようにお願いしました。少しだけ偏った比で得られた6つのHABが再結晶で比率が変わることがわかり、6回の再結晶後、純粋な6つのアリール基が異なるHABを得ることに成功しました。しかしながら、残念ながらX線結晶構造解析はHAB分子の対称性によるディスオーダーにより得られませんでした。この時点で鈴木君は企業への就職が決まっていたので、焦りました。最終的に、合成的に誘導することで、簡単に位置異性体の混合物を分離することが可能となり、ようやくはじめてのX線結晶構造解析が得られたのが2014年の夏前。伊丹さんの歓喜の声が廊下中に響いたのを今でも覚えています。
「勝負の夏」と題して、ジアリールアセチレンのユニットを変えて、ペンタアリールピリジンやテトラアリールナフチレンなどを合成、物性を測定して論文を書きました。その時には既に、鈴木くんは美しい分子ヘキサアリールベンゼンの誘導体に魅せられていたようで、いまでは決まっていた就職を辞退し、博士課程への進学を決めました。
ということで本論文の出版へと続くわけですが、私がこのテーマを選んだ理由が2つあります。1つは伊丹さんの分子ワープドナノグラフェンやシクロパラフェニレンのような「かっこいい分子」をつくってみたかったこと、そして、もう1つは合成化学者として、様々な天然有機物を合成してきましたが、別に天然物に限らず、前人未到の分子合成への挑戦をしたかったことです。
と簡単にいいますが、結果的に伊丹さんの夢であるヘキサアリールベンゼンを手にすることができたのは、すべて鈴木くんの合成力と努力の賜物です。いまではもっとカッコイイ分子をつくりたいと、様々な”美しい”分子の合成研究に従事しています。素晴らしい共同研究者にこの場を借りて深謝したいと思います。
2015年1月30日 山口潤一郎
関連文献
[1] Chem. Rev. 100, 2901–2916 (2000). DOI: 10.1021/cr990281x [2] J. Am. Chem. Soc. 131, 14622–14623 (2009). DOI: 10.1021/ja906215b
関連書籍
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外部リンク