先日ある訃報が飛び込んできました。香月 勗教授(九州大学教授・現在同大学主幹教授・カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所 (I2CNER) WPI主任研究者)が亡くなられたとのことでした。不斉酸化反応の開拓者として知られ、数々の有用酸化反応を開発されました。
今回香月先生の追悼企画としてこれまでの研究を紹介させていただきたいと思います。
九州で育ち九州で学ぶ
(出典:社団法人佐賀県放射線技師会ホームページ)
香月教授は戦後まもなくの1946年9月23日に佐賀県で産まれました。学生の頃は地理が得意であったようで、その土地の風景と人々を想像するのが好きな少年であったようです。もし化学者にならなかったとしたら高校の先生にななりたかったという香月教授。化学実験のはじめての体験は高校時の中和滴定。とにかく操作が難しかったと述べています。[1]1965年九州大学理学部化学科に進学し、大学の化学を学びました。1969年に卒業、そのまま進学し大学院の途中で中退、同大学、山口勝教授の研究室で助手となりました。山口勝教授*といえば、山口マクロラクトン化反応(1979年)[2]で有名であり、香月教授もこの反応を報告した初めての論文に名前を連ねています。その後、1976年に同大学で博士を取得しました。
*ちなみに現在東北大学の山口雅彦教授の御父です。
米国に渡り不斉酸化反応を開発する
1979年に米国に留学し、当時スタンフォード大学のシャープレス教授の下で博士研究員に従事しました。留学中にシャープレス教授がマサチューセッツ工科大学へ招聘され、2つの大学で研究を行っています。
1979年12月ごろ、シャープレス教授から
「アリルアルコールのエポキシ化の触媒として、4、5族の金属アルコキシドを検討してみよう」
と言われた香月教授は当時使われていたバナジウムやモリブテン錯体でなくチタン錯体を用いた不斉エポキシ化の研究に着手しました。当時は「金属イオンを不斉配位子で修飾すると触媒活性が低下する」という認識でしたが、チタン錯体を用いた場合はTi(i-OPr)4よりも反応がはやく、配位子加速現象が観測できたのです。
少し話はそれますが、当時の不斉反応開発には現在で必須である「光学活性カラム」が実用化されておらず、エナンチオ選択性を決定するのは困難でした。そのため、不斉反応も元々不斉点を有する第二級のアルコールを用いて、ジアステレオ選択性をガスクロマトグラフィー(GC)などで求めていました。
さて、話を元に戻すと、当時アリルアルコールのエポキシ化反応の高ジアステレオ選択性を発現させる触媒は前述したようにバナジウム触媒。代表的なものは今でもよく使われるVO(acac)2とTBHPの反応系です。[3]この反応機構はすでに知られていたので、香月教授はチタンで共通な錯体を形成できないかと考えていました。1973年1月18日アルドリッチのカタログを眺めていた際に、酒石酸ジエチル(DET)が目に止まりました。自身の仮説によりDETが不斉配位子として使えると確信した香月教授はその日の夕刻、5つの反応かけて帰宅しました。それが以下の反応です。
最終的にチタン-DET錯体を用いた反応は収率は50%でしたが、高いジアステレオ選択性(エリトロ:トレオ= 32.3 : 1)を示していました。その結果に驚き、早速3種類の第一級アルコールを試してみたところいずれも95%ee以上の結果が得られました。これが現在のところのシャープレス-香月不斉エポキシ化反応(香月ーシャープレス不斉エポキシ化反応ともいう)[4]の誕生の瞬間です。後に香月教授は人生でこの瞬間がもっとも興奮したと述べています。[1]
一方その後、エポキシ化反応はシャープレス教授により詳細な反応機構解析がなされ、不斉酸化反応の第一人者としての地位を確立します。さらにシャープレス教授はエポキシ化反応に加えて、ヒドロキシル化反応、アミノヒドロキシル化反応などを開発しそれが最終的に2001年のノーベル化学賞受賞につながっていくわけです。ノーベル賞受賞講演でシャープレス教授は以下のように述べています。
My own investigations into the oxidation of olefins commenced at MIT in 1970, but, fittingly, I was back at Stanford on January 18, 1980, for Tsutomu Katsuki’s dramatic discovery of the titanium-catalyzed asymmetric epoxidation.
さらに汎用的な不斉酸化反応を開発する
上記の不斉エポキシ化反応は素晴らしい反応ですが、アリルアルコール(配位性官能基)を用いなければならないという基質の制限がありました。香月教授はもっと一般的な二重結合を酸化したいと考え、教授となった1988年からサレン錯体を用いる不斉酸化反応の研究をはじめました。2年後、マンガンサレン錯体を用いた単純オレフィン(シスーオレフィン)の不斉エポキシ化反応を発見したのです。[5]
エナンチオ選択性も40%eeそこそこでしたが、新たな不斉エポキシ化反応の幕開けでした。なお、同時期にイリノイ大のJacobsen(現在ハーバード大)らによっても同様な反応が報告され[6]、その後両者によって配位子や反応条件の改良が施され現在ではJacobesen-香月不斉エポキシ化反応として知られています。
1997年からは立体特異性に注目しルテニウムサレン錯体に切り替えました。その結果かなり良い結果が得られたのです。しかしながらなぜか再現性に乏しいものでした。香月教授のもとで研究をしていた学生らの注意深い観察により、光照射下で反応を行うことで反応の再現性を改善することができました。その結果、金属触媒を用いたトランスーオレフィンのエポキシ化や、それに付随した、不斉シスーシクロプロパン化反応などを発見することができたのです。[7]
アルコールの空気酸化の発見
確立したRuサレン錯体を触媒に用いてアリルアルコールのエナンチオ選択的エポキシ化が進行しないかと試していた時です。第二級アルコールをつかっていたのですが、得られてきたのはケトン。しかも酸化剤を入れていたものよりも少し生成量が多かったのです。学生の正確な実験からアルコールの酸素酸化が起っていることが示唆され、最終的に常温常圧下でのアルコールの不斉酸化反応の最初の例を発見にいたりました。[7d]
酸素を利用した触媒反応へ
その後も、様々な金属のサレン錯体を用いて様々な不斉合成反応を報告しています。以下に一部の研究成果を羅列します。
Alサレン錯体を用いたアルデヒドのヒドロホスホニル化(2005年, 2010年)、[8]Tiサレン・サラン錯体を用いた過酸化水素による不斉エポキシ化反応(2005, 2006, 2007年)、[9]Ruサレン錯体を用いた空気酸化によるジオールの不斉非対称化反応(2005年)、酸素を酸化剤とした不斉エポキシ化反応(2012年)、分子間C–Hアミノ化(2013年)、[10]Feサレン錯体を用いた過酸化水素によるスルフィドの不斉酸化反応(2007年)、不斉ビナフトール合成(2009年, 2010年)、不斉エポキシ化反応・スルフィドの不斉酸化反応(2010年)、2級アルコールの光学分割(2011年)、不斉脱芳香族化(2012年)、[11]Irサレン錯体を用いた不斉シクロプロパン化反応(2008年)、C–H挿入反応(2009年), Si–H挿入反応(2010年)、シクロプロペン合成(2011年)、分子内C–Hアミノ化(2011年)[12]、Nbサレン錯体を用いた不斉エポキシ化反応(2010年)[13]などなど
これでもかというぐらいサレン錯体および関連触媒に用いた不斉反応を開発しており、年月が経つにつれて、触媒系や配位子が最適化されアップデートされよりよいものになっていることがわかります。香月教授はこれらの研究により有機合成化学協会協会賞(1999年)、モレキュラーキラリティー賞(2001年)、日本化学会学会賞(2002年)そして、野依賞(2006年)を受賞しています。
まさに不斉酸化反応そしてサレン錯体を触媒を用いたフロンティアたる研究業績だと思います。2010年に九州大学を定年退職されてからもWPIのプロジェクト教授に着任し、活躍していた香月教授。昔に比べてグループは小さくなっていたもののまだまだサレン錯体の新しい可能性を試していた矢先でした。
最後に
香月教授突然のご逝去の報に接し、心より お悔やみ申しあげます。最後に、香月教授の言葉を1つ紹介してこの追悼記事の筆を置きたいと思います。
「予断を持って実験するなかれ」
実験で得られた結果には必ず原因がある。予想外の現象を安易な判断で無視するのは、新たな科学への道を閉ざすことになる。これから化学を目指す人達にとって「前者の覆轍」となれば幸いである。
香月 勗(「化学者たちの感動の瞬間」・化学同人より)
関連文献
[1] Author Profile; Tsutomu Katsuki, Angew. Chem. Int. Ed. 2009, 48, 5398. DOI: 10.1002/anie.200902602 [2] Inanaga, J.; Hirata, K.; Saeki, H.; Katsuki, T.; Yamaguchi, M. Bull. Chem. Soc. Jpn. 1979, 52, 1989. DOI: 10.1246/bcsj.52.1989 [3] Sharpless, K. B.; Michaelson, R. C. J. Am. Chem. Soc. 1973, 95, 6136. DOI:10.1021/ja00799a061 [4] (a) Katsuki, T.; Sharpless, K. B. J. Am. Chem. Soc. 1980, 102, 5974. DOI: 10.1021/ja00538a077 (b) 香月ーシャープレス酸化反応の開発秘話、有機合成化学協会誌, 1991, 49, 340. DOI: 10.5059/yukigoseikyokaishi.49.340 [5] Irie, R.; Noda, K.; Ito, Y.; Matsumoto, N.: Katsuki, T. Tetrahedron Lett. 1990,31, 7345. DOI:10.1016/S0040-4039(00)88562-7(b) Irie, R.; Noda, K.; Ito, Y.; Katsuki, T.Tetrahedron Lett. 1991, 32, 1055. doi:10.1016/S0040-4039(00)74486-8
[6] Zhang, W.; Loebach, J. L.; Wilson, S. R.; Jacobesen, E. N. J. Am. Chem. Soc. 1990, 112, 2801. DOI: 10.1021/ja00163a052 [7] (a) Takeda, T.; Irie, R.; Shinoda, Y.; Katsuki, T. Synlett 1999, 1999, 1157. DOI: 10.1055/s-1999-2780 (b) Mihara, J.; Hamada, T.; Takeda, T.; Irie, R.; Katsuki, T. Synlett 1999, 1999, 1160. DOI: 10.1055/s-1999-2781 (c) Uchida, T.; Irie, R.; Katsuki, T. Synlett 1999, 1999, 1163. DOI: 10.1055/s-1999-2782 (d) Masutani, K.; Uchida, T; Irie, R.; Katsuki, T, Tetrahedron Lett. 2000, 41, 5119. DOI: :10.1016/S0040-4039(00)00787-5 [8] Al (a) Saito, B.; Katsuki, T. Angew. Chem. Int. Ed. 2005, 44, 4600. DOI: 10.1002/anie.200501008 (b) Suyama, K.; Sakai, Y.; Matsumoto, K.; Saito, B.; Katsuki, T. Angew. Chem. Int. Ed. 2010, 49, 797.DOI: 10.1002/anie.200905158 [9] Ti (a) Matsumoto, K.; Sawada, Y.; Saito, B.; Sakai, K.; Katsuki, T. Angew. Chem. Int. Ed. 2005, 44, 4935. DOI: 10.1002/anie.200501318 (b) Sawada, Y.; Matsumoto, K.; Kondo, S.; Watanabe, H.; Ozawa, T.; Suzuki, K.; Saito, B.; Katsuki, T. Angew. Chem. Int. Ed. 2006, 45, 3478. DOI: 10.1002/anie.200600636 (c) Sawada, Y.; Matsumoto, K.; Katsuki, T. Angew. Chem. Int. Ed. 2007, 46, 4559. DOI: 10.1002/anie.200700949 [10] Ru (a) Shimizu, H.; Onitsuka, S.; Egami, H.; Katsuki, T. J. Am. Chem. Soc. 2005, 127, 5396. DOI: 10.1021/ja047608i (b) Koya, S.; Nishioka, Y.; Mizoguchi, H.; Uchida, T.; Katsuki, T. Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 8243.DOI: 10.1002/anie.201201848 (c) Nishioka, Y.; Uchida, T.; Katsuki, T. Angew. Chem. Int. Ed. 2013, 52, 1739. DOI: 10.1002/anie.201208906 [11] Fe (a) Egami, H.; Katsuki, T. J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 8940. DOI: 10.1021/ja071916+ (b) Egami, H.: Katsuki, T. J. Am. Chem. Soc. 2009, 131, 6082. DOI: 10.1021/ja901391u (b) Egami, H.; Matsumoto, K.; Oguma, T.; Kunisu, T.; Katsuki, T. J. Am. Chem. Soc. 2010, 132, 13633. DOI: 10.1021/ja105442m (d) Tanaka, H.; Nishikawa, H.; Uchida, T.; Katsuki, T. J Am Chem Soc 2010, 132, 12034. DOI: 10.1021/ja104184r (e) Kunisu, T.; Oguma, T.; Katsuki, T. J Am Chem Soc 2011, 133, 12937.DOI: 10.1021/ja204426s (f) Oguma, T.; Katsuki, T. J Am Chem Soc 2012, 134, 20017. DOI: 10.1021/ja310203c [12] Ir (a) Suematsu, H.; Kanchiku, S.; Uchida, T.; Katsuki, T. J Am Chem Soc 2008, 130, 10327. DOI: 10.1021/ja802561t (b) Suematsu, H.; Katsuki, T. J Am Chem Soc 2009, 131, 14218. DOI: 10.1021/ja9065267 (c) Yasutomi, Y.; Suematsu, H.; Katsuki, T. J Am Chem Soc 2010, 132, 4510. DOI: 10.1021/ja100833h (d) Uehara, M.; Suematsu, H.; Yasutomi, Y.; Katsuki, T. J Am Chem Soc 2011, 133, 170. DOI: 10.1021/ja1089217 (e) (1) Ichinose, M.; Suematsu, H.; Yasutomi, Y.; Nishioka, Y.; Uchida, T.; Katsuki, T. Angew. Chem. Int. Ed. 2011, 50, 9884.DOI: 10.1002/anie.201101801 [13] Nb Egami, H.; Oguma, T.; Katsuki, T. J Am Chem Soc 2010, 132, 5886. DOI: 10.1021/ja100795k
参考・関連書籍
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