(図:WSJ出典の写真を改変)
少し長くなっていますが、どうしても書きたいので3部に分けて記載致しました(基礎的な研究背景編・性能向上・量産化編)。今回はその最終章です。
中村教授が主張する「独力で全て」成し遂げたという主張の信頼性が筆者の中で揺らいだのは、端緒は、同氏のテレビでの言動とその態度を目にしたからです。人物を表面で判断してはいけないなと思いつつも、そこで色々と当時情報を集めた結果、1冊の本に行き当たりました。
表紙はAmazonより引用 リンク
以下は、この冊子にくわえ、山口大学経済誌 第53号に書かれたまとめ資料(リンクはこちら)をもとに話を進めていきます。
日亜化学の中で何が起きていたか、誰がキーとなる開発を進めたか
同社の見解が唯一載った上記のテーミス社による書籍「青色発光ダイオー ド・・・」を見てみると、やや日亜化学側に肩入れし過ぎな表現があるものの、従来の中村氏の主張にもヒビが入りそうな記述が何点かあるのです。特に中村氏の著作を読んだ後に再度確認したところ、同氏の書籍にほとんど書かれていなかった、又は主張が異なっていた事項として、重要な点が5つあります(全て証拠がある、と同書には主張してあります)。
●中村氏が「厚遇されていなかった」「奴隷だった」と言っていた割には退職までに結構な賞与を受け取っていた
●中村氏が、より高度な技術が要求された青色LEDレーザの開発にはほとんど関わっていなかった
●中村氏がCree社から高額ストックオプションを提示されていた(Cree社は日亜化学の当時のライバル)
●中村氏が「日亜化学から」Cree社幹部に送付したメール文面に明らかに社員として信義に反する内容があった
もちろん好意的に解釈すれば、同氏が日亜化学内で冷遇されまくっており、その挙句上記第3項、第4項のような行動に「出てしまった」と言うことも可能でしょう。
しかし例えば1 項目の額を確認すると、およそ「田舎企業(同書より引用・同社を貶める意図はありません)」とは言い難いレベルの高い加給額面が支給されており(平均すると、600万円/年のボーナスをもらっていた計算になります)、冷遇されていたとは考えられないのです。
そして筆者が技術的に最も問題だと思った点、それは
●「ツーフローMOCVD」は量産的に価値はほとんど無い
ということです。 どういうことかというと、現在世界のMOCVDマシンのトップシェア1位、2位を誇るAIXTRON社、Veeco社の基本装置構成を見てみれば明らかです。
いずれも基板を回転させて層流を作るのは共通 参考文献1, 2から引用
実際の装置の写真 Veeco社の方は「煙」を流して流れを可視化させた状態のもの
参考文献1, 2から引用
A社は「混合ガス吹き出し口と基板距離を近接した上で基板を回転させて層流をつくる」、V社は「吹き出し口を基板からかなり離して基板を回転させる」方式を使っています。距離自体はスループット(製造時間)に影響するのですが詳細は略。どっちにしろツーフロー式は一切使っていません。ツーフロー方式は中村氏が職人技で使いこなしたと、同氏の著書にはありましたが、同方式が本当に量産に適していたなら各社がこぞってマネをしたはず。しかし現実はそうなっていないことを正しく認識しなければなりません。
では同社の主張として、誰が一体関わっていたのか。特にキーとなる、「GaN-p化」と「量子井戸の性能実証」「量産装置立上げ」には、主に同社の下記の4人の技術者が関わっていたとしています(敬称略・レーザ化の部分のキーマンは省略致します)。
「向井 孝二」 「妹尾 雅之」 「岩佐 成人」 「四宮 源市」
いずれも現在日亜化学の要職に在り、四宮氏を除き中村氏が出した初期の重要な論文にも名前が記載されたメンバーです(下表)。
歴史にたらればはありませんが、もしこのファーストオーサーが数回でも変わっていたら? また、中村氏は同氏の著書内で「会社の命令を完全無視して論文を書きまくった」と書いていましたが、もし同氏が論文を書いている間に、上の4氏が量産化を凄まじい速度で進めた結果、ライバルを出しぬけて量産化が実現したのだとしたら?今回、この2点の「たられば」を考えるにつけ、どうにも困惑せざるをえませんでした。
最後に
筆者は一応、組織に属する「被雇用者」です。組織からおカネを頂き、 利益を出し組織に貢献することを求められます。組織文化により個々人の裁量は様々でしょうが、基本的に筆者の組織においては被雇用者の裁量はゼロに等しいです。つまりほぼ100%組織方針に従うことを求められ、個人の興味や想いに基づく行動はできません。研究開発分野にもその波は及んでおり、自分のやりたい開発などを現実的にやるためには、相当にうまく立ち回り雌伏期間を数十年重ねて出世し、50~60歳でよ うやくそのスタートをかけねばなりません・・・というのが現実的です。出世できなきゃ一生そのまま。スキを見せるとか文句を言ったりするとねじ伏せられますから、まぁ仕方がありませんね。組織とその被雇用者は老齢化に従い脱個人化し 全体主義化するのが世の常です。
問題は、そういった枠に嵌れない方の場合です。たまにいますが、だいたい面白い方です。そして、だいたいムチャクチャなことを言ったり考えたりしている。ハタから見ると狂人に近いのですが、きちんと話すと実は技術的にも構想的にも非常に面白いことを考えている。しかしコミュニケーション能力がアレな場合が多いので組織内では「言うことを聞かないボンクラ」となる。ただ本人にも実際問題があって、技術にのめり込んで事務的なことが疎かになったり独りよがりになったりする。
こういう「組織と尖った個人」という構図と問題は万の世、万の時代に広く存在しますが、そういう形態をとらなければならない組織と、それに嵌れない個人、どっちが悪いんでしょう? 筆者の答えは、「どっちも悪くない」というものです。状況によります。
というのも筆者がもし中村氏の立場なら、個人の場合はどうしても組織に対し強く出なければ負けてしまうから、どんな手段を使っても強く出ると思います。組織は集団ですから数で勝りますし、誰が最初の井戸を掘っても関係ないという雰囲気があり、恐ろしいことに証拠ですら後出しジャンケン化する場合があります。加えて、あくまで仮定ですが、組織は、証拠を捏造し得る。実際にそういうことをやる集団を見たことがあります、しかも恐ろしく狡猾な手口で。 それが中村氏が強く出てパフォーマンス的なことをやらなければならなかった背景にあったのかもしれません。特にご自身が組織内で入社から開発一筋、合成装置の改造までも全て自分でやりこなしてきた方ですから、その思いは人一倍あったのだと推定されます(参考文献3)。結局、同氏は自分の0→1を可能とする実力に賭け、会社を飛び出したわけでしょう。筆者も組織の恐ろしさをよく理解しているつもりですので、組織と対峙したときにどういう覚悟が必要かは共感することが出来ます。
しかしあくまで筆者の見解からすると、『今回の案件に関する限り』日亜化学の主張の方が筋が通ったものであると感じます。 その理由はやはり上記のように、中村氏が同氏の著作内で薬籠中の秘薬のように扱っていた「ツーフローMOCVD」の技術が、2000年の時点でAIXTRON社による「基板回転による層流合成技術(もともとはオランダ Phillips社が発案)」で駆逐されたから、つまりGaN合成技術が相当早い段階でコモディティ化されていたということを知ったからです。そうでなければ韓国企業はじめ競合他社がこんなに早くシェアを伸ばし、日亜化学を脅かせるわけがありません。
もちろんGaN合成に「極めて綺麗な層流が必要」と見出し実現させた中村氏の炯眼と実力は重要な要素ですが、赤崎教授・天野教授も1989年時点で既にその点(層流が重要な点)はある程度見通せていた、ということが両教授の講演を聞いた中で明らかです。同社内で0→1とするには必要な技術だったのかもしれませんが、その後の展開と現状を見ると当該技術はやはり研究レベルのものであって、量産に適するものではなかったと断言できるでしょう。もっとも、関連特許について、中村氏が言うように「社長命令」などで名前を入れること を許されなかった、ということも「可能性として」有り得るため、例の裁判の相当の対価についてはどの程度の額が本当に適正なのかはわかりませんが。
また言い方は悪いですが日亜化学は当時、直近のライバルであった豊田合成・赤崎教授・天野教授グループなどと比べると、資本的も地理的にも、相当に貧弱でした。そのため、小川社長のことばを信じるならば、社長自身の家を抵当に入れるようなことまでして開発資金を工面しなければならなかった事も同書籍中で記載されています(登記簿を調べればすぐ証拠は明らかになるでしょう)。そういう資金繰りと技術と人への投資を重ねた末、革新的な、しかも世界初の技術がてんこ盛りの、ライバルを圧倒できる製品を開発できたら? 誰が社長であっても、特許を中心に秘匿性を高め、社外に出さないように厳しく情報統制を行うのは組織として当然でしょう。1989年あたりからの同社のLEDへの投資額と、その後の発展を見ると、やはり小川社長も会社の命運を青色LEDに賭けていたのだと思います。この点は、中村氏の書籍の主張とは大きく隔たりがあり、議論すべき点なのではないでしょうか。
なお、小川社長の存在自体を「銀行による乗っ取りだ」とか主張する書籍もありましたが、感情的に過ぎる部分がありましたので本記事ではそれらの文面を信用せず、引用しないことにしました。この点ご了承ください。
さらに蛇足・筆者のひとりごと
実は筆者は中村氏の本を読んでから、同氏が本当に憧れの存在でした。いつかこの人のようになりたい、と思っていました。本記事の最初に書いた疑念の中、別の開発で、AIXTRON社スタッフとコンタクトを取り、同社製品を見せてもらい、その実力を実証してもらい、何かやっぱりおかしいんじゃないかと思うまでは。「対象となるハナシの現物の開発レベルを知らないと偏った思い込みをしてしまう」、という反省を込め、今回の記事を書いた次第です。
そして自省するに、博士課程に行ける能力もなく、とある組織にほとんどオナサケと運だけで滑り込めた挙句に、希望する開発が上手く勧められずに悶々としている若造が考えることと言えば、
「俺はこんなもんじゃない、いつか開発で一山当ててやる」
「俺の研究開発で、世界を変えてやる」
とかいったもんです。
しかし、です。世界はそれほど簡単には出来ていません。技術一つで人間世界を変えられると思うのは、傲慢であり、思い上がり以外の何物でもないでしょう。根本から変えられるのは自分の考えくらいなのではないか、と改めて今回の案件を見直し、自省する次第でし た。 ノーベル賞のめでたいはずの記事のはずなのに、なんか湿っぽく、受賞された方にケチをつけるような話になってしまったのは筆者がひねくれているからということを結論にしたいと思います。
いずれにせよ今回の受賞を機に、青色LED創生に関係された全ての方々に幸せが在らんことを。
それでは今回はこんなところで。
参考文献 一番最後の文献は必ず両方とも読まれることを推奨いたします
- ドイツ AIXTRON社 “MOCVD Technology for LED” リンク
- Veeco社 “Reactor Design Optimization Based on 3D CFD Modeling of Nitrides Deposition in MOCVD Vertical Rotating Disc Reactors” リンク
- 山口大学経済誌 第53号 「高輝度発光ダイオードの開発と事業化に見る開発者の個性と特許係争」 (リンク1 リンク2 リンク3)
- Tech-on 「中村裁判」 小川社長の主張 中村氏の主張