“In situ X-ray snapshot analysis of transient molecular adsorption in a crystalline channel”
Kubota, R.; Tashiro, S.; Shiro, M.; Shionoya, M. Nat. Chem. 2014, 6, 913. DOI: 10.1038/NCHEM.2044
多孔性材料は、分離・分析・気体貯蔵・物質変換など、多種多様な応用が期待される材料群です。外界とは環境の異なるナノ空間に化合物を取り込むことを通じ、いろんな操作を行えることが魅力です。2014年トムソン・ロイター引用栄誉賞に選ばれた「メソ多孔性材料」もその一種です。
分子吸着は、こういった応用全ての基本となる化学過程。ざっくり言うなら、孔壁面にぺたぺたくっつきながら、分子が内部に取り込まれていく・・・というイメージです。
吸着現象を詳細に解析することができれば、材料の性能向上に向けた有益な情報が得られます。しかし「吸着されていく分子を、目で見るかのごとく捉えた研究」となると、これまで前例がありませんでした。
このたび東大理学部 塩谷光彦教授・田代省平助教らのグループは、材料の孔空間に分子が吸着されていく様子を、時間軸に沿って原子レベルで捉えることにはじめて成功しました。
今回の研究で用いられた材料は、多孔性材料の中ではもっとも規則性が高い「多孔性分子結晶」と呼ばれるものです(MOF/PCPとも呼ばれます)。
以前「つぶやき」でも紹介しましたが、多孔性結晶に取り込まれたゲスト分子は、孔内で綺麗に整列してくれることがあります。この整列がきわめて精密な場合、単結晶X線回折法を用いることで、あたかも分子模型を見るかのごとく解析できるのです。
・・・もちろん言うは易く行うは難し。とりわけ平衡状態に達する前の、高エネルギーな「過渡的状態」を観測することは、きわめて難しい課題とされていました。
塩谷教授らは独自開発した多孔性結晶MMF (下図)[1]における吸着~分析の実験手順を精密に組み上げることにより、この観測困難な吸着過程を鮮明に捉えています。
具体的には、MMFにゲスト分子((R)-クロロフェニルエタノール)をまず取り込ませ、-180℃に冷却して吸着過程をフリーズさせ、X線を当てて回折像を得ます。その後温度を上げて(-40℃)拡散過程を進め、再度フリーズさせてX線を当てる・・・というプロセスを計4回繰り返し、各段階でのX線回折像を得ています。
この結果、平衡に達する前までに、2段階の過程を経てゲスト分子が吸着されていく様子が明らかとなりました。
つまり、想定されるポケット(下図右側)にはまる前に、近くの結合部位(左側)に一旦腰を落ち着けてから、溶媒を追い出しつつ分子が引っ越していくのです。最終的に得られたX線像は室温平衡下の状態と同じであり、スタートからゴールまでを順番に追えていることも確認しています。
・・・と、こうして文章で書くといかにも簡単にやってるようですが、ゲスト・結晶・溶媒の選定は勿論、各吸着過程をちょうど良い具合に進めてフリーズさせるための温度・反応時間・詳細手順を決めるには、おそらく現場の情報・ノウハウが余すところなく必要になると想像されます。
それは以下に紹介する、実験担当の窪田亮さん、また塩谷教授のコメントからもうかがい知ることができると思います。
“キレのよい化学”の裏にある「優れた直観」を感じ取って頂ければ幸いです。
この研究のアイデアを始めに思いついたのは、頭に浮かんでくるアイデアを試しては玉砕する日々が続いていた(たしか)2011年末から2012年始めでした(私がD2のときです)。
「細孔表面にこれだけ多くの吸着サイトがあれば、途中段階において分子も吸着する場所を間違えるのでは?」
すなわち、「分子吸着においても熱力学的状態とは異なる過渡的状態があるはずで、それを結晶構造解析で観察できたら面白い!」と考えました。北川進先生らの酸素・アセチレン吸着の構造解析に代表されるように、結晶内に包接された分子の熱力学的状態における構造解析は数多く報告されているのに対し、過渡的状態の構造解析については報告がありませんでした。また、MMFの細孔空間は溶媒が詰まっており溶液に近い状態にあると言えます。すなわち、ゲスト分子が環状ホスト分子に包接されるホストゲスト化学の挙動を単結晶構造解析により追跡できるモデルとみなせるとも着想しました。
実験系ですが、溶媒としてアセトニトリル・基質として(1R)-1-(3-chlorophenyl)ethanolを選択しました。この溶媒・基質の組み合わせに疑問を持った方も多いかと思いますが、「MMFの結晶性が最もよい」というシンプルな理由です。回折実験を繰り返し行うことで結晶性が落ちることは予想していましたので、まずは最も結晶性のよい条件で実験を行いました。最初の実験としてMMF単結晶をアセトニトリル/(1R)-1-(3-chlorophenyl)ethanol混合溶液に約5分間浸漬した後、結晶構造解析を行いました。その結果、熱力学的状態で観測できていたゲスト分子のうち一つが見えないことを発見しました。この時点で、「なにか面白いことが当たりそうだ!」と予感しました。この結果をふまえ、本研究のメインの実験であるスナップショット解析を試みました。単結晶回折装置のマシンタイムを確保するため、ゴールデンウィークに休み返上で実験を行いました(実験ノートによると2012年5月3日から7日)。スナップショットの実験条件も不思議に感じたと思いますが、インキュベーション温度に関してはアセトニトリルの融点(-45℃)よりも若干高い-40℃に設定しました。インキュベーション時間に関しては予想できませんので、直感で決定しました。構造解析にはかなり苦労しました(ここにも裏話がたくさんあります)が、熱力学的状態では観測できない位置にゲスト分子の電子密度がはっきり見えたときは、身が震えるような興奮を覚えたと同時に、うまく行き過ぎてなにかおかしいのではないかと二つの気持ちを抱いたことは未だ鮮明に覚えています。また論文中では四回目までの解析結果までしか載せていませんが、五回目の構造解析も行っています。しかしながら、五回目では結晶性が格段に悪くなっており解析は不可能でした。このスナップショット解析は、すべての条件が奇跡的にうまく組み合うことで生まれた結果だと強く感じています。
以上のように、ファーストトライで当たりクジを引きました!この後、本系の一般性を確認するため他の条件を検討しましたが、過渡的状態がはっきりと観測できたのはアセトニトリル/(1R)-1-(3-chlorophenyl)ethanolの一例だけでした(実はラセミ体では観測できません)。おそらく、最初にアセトニトリル/(1R)-1-(3-chlorophenyl)ethanolを試していなければ、途中で諦めてしまい、本論文が出ることはなかったと思っています。
また暴露しますと、本研究は私の闇実験からスタートしました。突然、結果をご覧になった塩谷先生・田代先生は驚かれたことかと思います。申し訳ございません。。もちろん両先生との綿密なディスカッション、さらには城先生のお力なく、この論文が完成することはありませんでした。この場を借りて感謝の意を申し上げたいと思います。スナップショット実験から2年以上経ってしまいましたが、無事公表できほっとしているところです。
最初に述べたように、この研究は私の突拍子もないアイデアの産物です。ここまでうまくいくとは全く予想していませんでした。これを読んでいる学生の皆さんも、面白いアイデアがあれば(闇実験ではなくきちんとディスカッションした上で)、失敗を恐れずどしどしトライしてみてください。きっとなにかがつかめるはずです。窪田 亮
多孔性超分子金属錯体(MMF = Metal-Macrocycle Framework)のチャネル型細孔空間には、鏡像体の関係にある構造の異なる5対のゲスト分子結合部位がありますので、ゲスト分子の吸着平衡に達するまでの過程が単純なものではないことは予想していました。通常は、ゲスト分子を溶かした溶液に多孔性結晶を1日ほど浸けて、単結晶X線回折法により結合位置を決めます。実際、今回用いた光学活性な(1R)-1-(3-chlorophenyl)ethanolは、3箇所の異なる結合部位に吸着することがわかっていました。ゲスト分子が溶液からチャネル内に拡散し、特定の位置に吸着するまでの過程はそれぞれ異なるだろうが、それは非常に速いプロセスであり、その場観察ができるとは正直思っていませんでした。
ところが、当時博士課程2年の窪田君が、短時間浸けただけの結晶では3箇所のうち2箇所にしかゲスト分子が吸着していないことを見つけたことから、本研究は新たなスタートを切りました。温度制御によりスナップショットを撮るためには、吸着過程が極端に遅くなる温度条件や、浸漬時間などを決める必要がありますが、窪田君の現場の直感は大変素晴らしく、あっという間に実験条件が決まりました。ゲスト分子が最終吸着位置の隣にまず吸着し、もともと吸着していたアセトニトリル分子にお伺いを立てているような様子が直接観察でき、4コマ漫画が出来上がりました。あらゆる分子間反応や化学吸着は表面同士の接触から始まりますので、このような分子集合過程を観察する技術はますます重要になります。今後は、孤立したナノ空間の分子配列や反応の設計や予測が可能になる本法の一般化に力を注ぎたいと思っております。塩谷 光彦
(図は論文[1]と東大プレスリリースより引用しました)
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