いつになったら終わるんでしょうか?
全く終わりが見えてこないイスラエルとパレスチナの争いですが、我が国には遠い異国のこととしてあまり話題にもなりません。イスラエルがどこにあるのかも正確に答えられる人も少ないでしょうが、とりあえず宗教的、地理的争いは置いておいたとして、ケムステとしてはイスラエルの化学に興味があるところです。
イスラエルは約8百万の人口にすぎない小国です。国としても建国66年と若く、化学を専攻できる大学は7しかないことから化学分野も高が知れていると思われがちですが、既に4名のノーベル化学賞受賞者を輩出しています。
そんなイスラエルの化学について少し覗いてみたいと思います。
だいぶ前ですが、インドの化学がどうなっているのかを紹介したことがあります。今回のポストでは少し前のAngew. Chem. Int. Ed.誌のeditorialよりTechnion-Israel Institute of TechnologyのIlan Marek教授のイスラエルの化学の現状に関する記事を紹介いたします。
Chemistry in Israel–at a Crossroads?
Ilan Marek
?Angew. Chem. Int. Ed. 53, 3754-3755 (2014). DOI:?10.1002/anie.201401092
イスラエルのノーベル化学賞受賞者としては、2004年にユビキチンによって媒介されるタンパク質分解過程の発見によってAaron Ciechanover と Avram Hershkoが、2009年にリボソームの構造および機能に関する研究によってAda E. Yonathがそれぞれ受賞しています。化学っぽくないじゃないかとお思いかもしれませんが、最近では、準結晶の発見によってDan Shechtmanが2011に単独で受賞して話題になりました。
David Ben-Gurion (Wikipediaより)
?小粒でもぴりりと辛いそんなイスラエルの化学の発展を語る上で欠かせないのは3名だそうです。まずイスラエル初代首相であるDavid Ben-Gurion氏は”…Strangely enough, these very facts forbid us austerity in two areas, in science and technology … Only if we were able to use the attainments of scientific and technological developments–can we succeed“と語るなど、イスラエルの発展に科学が重要であることを説いています。
Chaim Weizmann (Wikipediaより)
次に、Chaim Weizmann (1874-1952)は1918年にヘブライ大学の設立の構想を立て、1925年のヘブライ大学設立に大きな貢献をしました。その後もイスラエルの科学研究、教育のための機関Technion (Israel Institute of Technology, Dan Shechtmanの出身校でもある)などの設立に尽力しました。
?Ernst David Bergmann (一番右, Wikiperiaより)
最後に挙げるのはErnst David Bergmann (1903-1975) (Bergmann環化で有名なRobert G. Bergmanとは別人)です。Bergmannはドイツのベルリン大学でWilhelm Johann Schlenk (Schlenk管でお馴染み)の元で学位を取得しました。しかしいわゆるナチスの台頭によって1933年にロンドンに移ります。ここでかのSir Robert RobinsonからOxfordに誘われましたがなんと断っています。たいそうRobinsonは怒ったとか。前述のWeizmannは自身が設立に携わったDaniel Sieff InstituteにBergmannを招聘します。Bergmannはフッ素化学に大きな貢献をし、イスラエル国防軍の科学顧問のようなポジションに就くなどイスラエルの科学に大きな役割を果たすことになります。
イスラエル建国から25年以内に、テルアビブ大学(1953)、バル=イラン大学(1955)などの主要な大学が設立されて行くとともに、その後のイスラエルの発展には化学が大きな役割を担うことになりました。現在でも28,000人の雇用、実にGDPの約20%、輸出の約15%が化学関連産業であると推計されていることから、イスラエルにおける化学の位置づけがよくわかります。4名のノーベル化学賞受賞者も頷けます。
イスラエルといえば死海ですかね
しかし一方で近年の化学業界はあまり明るくないようです。初等教育において化学が主要科目から除外されたことを期にして一般市民からの化学離れは深刻のようです。なぜこのような政策を行ったのかは不明ですが、世界的にみても残念な傾向と言わざるをえません。しかし、化学界も手をこまねいているわけではなく、独自にArchimedesプログラムというものを立ち上げ、高校生に対して大学レベルの化学に関する体験の場を提供するなどして、なんとか化学の世界に対する情熱の炎を消さないように尽力しています。
なんだか何処かで聞いたような話しですね。わが国でも全く同じような試みが日本化学会を中心に動いており、夏休みには全国の大学で盛んに1日体験教室のようなものが開催されていますね。
despite the worrying signals, the quality of chemical sciences in Israel remains high
人材不足というのはその後の分野の発展に深刻な影響をおよぼしかねませんが、イスラエルでは学生が積極的に米国へポスドクとして留学しています。直近2008年のデータではイスラエルで雇用された科学者のうち30%が米国の大学の出身者です。イスラエルで化学者としてポジションを得ているうちの8分の1が米国におけるtop 40の化学科出身であり、”more-open-door policy”と呼ばれる積極的な政策によって優秀な化学者を呼び込もうとしているようです。
3名の偉人の導きによって発展してきたイスラエルの化学ですが、今後の動向については不透明な気がします。“Don’t worry, all will be fine”という楽観的な見方もあるようですが、イスラエルは地理的に少し難しい位置にあることもあり、中東というまだ化学未開の土地で、今後どのような発展を遂げるのか、それとも衰退するのかには注目に価すると思います。
とにかく紛争している場合ではないことだけは確かですね。