「空気も水も気にせず、毒性もなくなんでも反応してとっても安い触媒ってないのですか?」
これらの条件をすべてを満たせる触媒を開発することができれば、ノーベル化学賞は間違いないでしょう。いまだに人間のできることなんてたかが知れています。今世紀はじめにその候補1つと躍り出た触媒が有機分子触媒。炭素・窒素・酸素などから構成される有機化合物のみを使った触媒反応です。遷移金属をもちいる金属触媒が現在でも大いに活躍しており、比較的幅広く反応するものや不可能な結合を繋げることのできる触媒が多数見られますが、残念ながらお値段や毒性の観点でコストや製造ラインにのらないものも多く一得一失です。一方、有機分子触媒は金属に対する毒性を考える必要もなく一般的に空気も水も気にせず使えるといった利点を有しています。
そういうとかなりノーベル化学賞は近いのかなと聞こえますが、最大の欠点は触媒の反応性。一般的には基本的な古くから用いられている「イオン反応」が主流であり、難しい結合をつなぐことや合成できる分子も金属触媒に比べて限られています。まだまだ新しいので仕方がないといってはこれまでなので、現状では化学者は躍起になって触媒の反応性をあげようと研究をおこなっています。
有機分子触媒の反応性をあげる一つの方法は、「脱イオン反応」。例えば、高い化学種である「ラジカル」を用いて反応する手法です。さて、少し前置きが長くなりましたが、今回京都大学の丸岡啓二教授らは、そんなラジカルのなかでも「有機硫黄ラジカル」を用いたユニークな不斉触媒反応に挑戦し、それを「脱イオン反応」を達成しましたので紹介したいと思います。
“An organic thiyl radical catalyst for enantioselective cyclization”
Hashimoto, T.; Kawamata, Y, Maruoka, K. Nat. Chem. 2014, ASAP. DOI:?10.1038/nchem.1998
有機硫黄ラジカル触媒反応
有機硫黄ラジカル種は不安定な化学種であり、通常は二量化したジスルフィド(RS-SR)という形で存在します。タマネギの成分であるアリルジスルフィドもゴムに加硫したときの構造もジスルフィドを含んでいます。つまり何かしらエネルギーを与え、RS-SRのS-S結合を切ってあげないといけません。結合を均一に切って硫黄ラジカルを発生させるには光反応が有効です。普通の太陽光でもきれますが、通常は少しエネルギーの高い波長をつかえる水銀ランプを用いるのが一般的です。
さて、そんな不安定な有機硫黄ラジカルですが、実はこれまでにこれを触媒として使って分子をつくった反応が1例だけ報告されていました。1988年に京都大学の大嶌幸一郎教授らによって、発表された、ラジカル環化反応と呼ばれる反応です(下図)。[1]
?とってもユニークな触媒反応ですが、残念ながら得られた化合物は4種類の生成物(ジアステレオマー・エナンチオマー)の混合物となります。できれば4種類の化合物の作り分けをしたいもので、これを基に丸岡らは「不斉有機硫黄ラジカル触媒」を新たにデザインして、4つを1つにする検討をはじめました。
触媒のデザイン
ここからは少し専門的になります。このラジカル触媒反応の反応機構は以下のとおり(下図)。硫黄ラジカル種の原料への付加、シクロプロパン環の開環、もう一つの原料に付加、そして環化反応で生成物が生じます。ということは「ココ!」と書いた部分、すなわち環化反応で、すべての不斉点が生成するので、この段階で(ジアステレオ・エナンチオ)選択性を出せるような触媒をデザインしなければなりません。
これに挑戦したのは橋本卓也助教と当時M1だった川又優さん。はじめにキラルなビナフトール部位を有する有機硫黄ラジカル触媒(ビナフトール型触媒)を設計したようです。はじめはジスルフィド+光で触媒の検討をしていましたが、触媒合成の問題で断念し、チオール(RSH)からベンゾイルペルオキシド(BPO)+光により硫黄ラジカルを生成する方法に変更しました。様々なビナフチル型触媒を検討しましたが、最も良い結果は下図の赤色部分SiAr2がSit-Bu(2-Np)2のもので収率82%、91:9のジアステレオ選択性、そして44%eeでした。すなわち、2つまでは絞ることができたものの、残り2つの選択性は7:3ほどでした。
ここで、ビナフチル型触媒をつかった反応中間体を確認した川又さんは勝負にでます。これまで幾度と無く検討してきたビナフチル骨格をすて、より剛直な触媒を目指してナフチル環をターフェニル型に変えたのです。これは論理的な変更ではあるもののなかなか勇気がいることだと思います。そのデザインが功を奏し、詳細は省略するものの、ラジカル環化反応が最大収率95%、ジアステレオ選択性95:5、そしてエナンチオ過剰率86%eeで得られる触媒をついに見出したのです。つまり、ほぼ一種類の生成物(完全ではないですが)を選択的に生成する条件を発見しました。ここまでで3年間日夜検討を繰り返した結果でした。
この有機硫黄触媒の合成方法は10段階と多段階ですが、大変秀逸です。Newman-Kwart転位と逆チアBrook転位により目的の位置にシリル基(赤色部分)を導入し、合成の最終段階でデザインを変更したシリル基、アリール基を導入しています(下図)。
どのぐらいの反応に適用できるか、その他の条件検討などは原著論文をお読みください。以上、有機硫黄ラジカル種を使って全く新しいラジカル不斉反応を開発することに成功しました。これまでの触媒デザインとは全く異なるだけでなく、触媒の反応性が高い有機触媒であることが特徴です。まだまだ改良や他の反応への応用が考えられますので今後も楽しみにしてみたいと思います。
研究者のメッセージ
最後に、開発者である橋本助教と川又さんにこの研究を遂行するにあたった経緯や苦労話、コメントをいただきましたで紹介したいと思います。
これまでの不斉有機触媒を大まかに括ると、官能基として酸・塩基を持ちイオン性反応を促進する触媒といえます。丸岡研究室ではこの枠組みから外れる新しい不斉有機触媒として、ラジカルを官能基として備えラジカル反応を制御する触媒の開発を掲げています。そのような考えのもと着目したのが、1988年大嶌先生らとFeldmanらによって発見されたチイルラジカルによるラジカル環化反応の不斉化でした。
まず正式に研究を立ち上げる前にエナンチオ選択性がでるかは自分で確認しておこうと思い、ビナフトール由来の簡単な触媒を作ってみたところ、5%eeという微妙な結果が出ました。あとは、内心自分でやるのは躊躇われるテーマだと思いながらも、川又君に託しました。彼の人並み外れた努力にもかかわらず結果はなかなか出ず(トータル2年で2000実験以上)、途中で挫折しかけたことは数知れず。しかし、
1)無触媒での反応は進行しない、
2)立体選択性が決まる遷移状態は一つに規定される、
3)生体ではチイルラジカルを使った立体選択的反応がある、
などの論理的な希望と、いまさらやめられないという覚悟で続けました。これはなんとかなると最初に喜んだのは、生成物のシス‐トランス比がほぼ単一になったあたりです(論文中Table 1, entry 5)。
この研究によりラジカルを使ってラジカル反応をエナンチオ制御することは十分できると確信しました。触媒は複雑なものの、反応温度0℃で、ラジカル環化反応が高立体選択的に進行していることからわかっていただけると思います。ただ基質が少し変わるだけで選択性が大きく下がるなど、これまでやってきた酸塩基反応とは違った点も思い知らされました。別の観点では、触媒の形から入らず、反応にあわせて触媒を一から作るというアプローチが新鮮でした。
橋本 卓也
この研究テーマは、当時修士1年だった私に向けた橋本先生からの一言で始まりました。
「チイルラジカルを使ったラジカル環化反応で不斉かけたいから、頑張って触媒探して。はい、これ基質。」
研究初期からこの反応のエナンチオ制御を困難にする問題点はいくつも認識されていました。自由度の高い中間体、触媒から離れた不斉点、そして制御困難とされるラジカル反応。予想通り、有効な触媒構造は容易には見つかりませんでした。およそ1年かけて、合成に10ステップ以上を要するものも含めて100個近いビナフチル型触媒を試しました。結局、導入する置換基が思いつかないほどビナフチル骨格を修飾し尽くしても満足のいくエナンチオ選択性が得られることはなく、手詰まりになりました。この状況を打開するきっかけになったのが、この当時ベストの部類に入るビナフチル型触媒を基に合成した反応中間体様化合物の結晶構造でした。そこには反応中心である硫黄原子のまわり半分をしっかり覆うシリル基と、不斉軸の部分でふらふらしながらなんとも不甲斐ない様子で佇むナフチル環の姿が映っていました。そこで、シリル基はそのままに、もっと剛直な不斉環境を持つ触媒を一からデザインし直すことにしました。
1年も費やしたビナフチル型触媒を諦め新しい骨格に手を出すのはリスクの高い選択でしたが、幸運なことにこれが当たりました。分子模型を組んでは計算化学で最安定配座を割り出し、今回の触媒の基本的なデザインができあがりました。合成ルートの検討では、もう長い触媒合成はしたくないと思い極力短工程を心がけ、最適化が要求されるシリル基と不斉炭素上の芳香環を合成後半に導入できるように工夫しました。これによって短期間で多くの触媒スクリーニングができ、論文にある触媒にたどり着きました。プロジェクトの途中何回も絶望しましたが、最終的には全く新しい触媒骨格を論理的に設計し、それが実際に機能することを証明できたことをうれしく思います。
川又 優
参考文献
[1]?Miura, K.; Fugami, K.; Oshima, K; Utimoto, K.?Tetrahedron Lett.?1988,?29, 5135. DOI:?10.1016/S0040-4039(00)80701-7