ビタミンEは名前のとおり抗酸化作用をもつビタミンの一種です。ビタミンEの主成分であるαートコフェノールは医薬品、食料、試料などに広範囲に渡り含まれており、疫病の治療、栄養補給、酸化防止剤として利用されています。
この度、名古屋大学の石原一彰教授らはこのビタミンEを含む光学活性なクロマン類の大量供給可能な化学合成法を開発したので紹介したいと思います。
High-turnover hypoiodite catalysis for asymmetric synthesis of tocopherols
Uyanik, M.; Hayashi, H.; Ishihara, K. Science, 2014, 345, 291. DOI:?10.1126/science.1254976
光学活性クロマン誘導体とその合成法
トコフェノールは化学的にはフェノールに6員環が縮環したクロマンという構造的特徴をもっています。これらはビタミンE以外にも様々な重要な生物活性をもっており大変重要な有機骨格です(下図)。ビタミンEにおいてはこのクロマン部位が、活性酸素から発生するフリーラジカルを補足して、酸化を防ぐ役割、すなわち抗酸化物質として働きます。もっと簡単にいえば、酸化反応から体を守るために酸化されて犠牲になってくれるわけです。
さて、市販のα-トコフェロール(光学活性体)は年間2000トンほど製造されており、主に、植物油から抽出された混合物を化学反応によって変換する、半合成法によって供給されています。ただし、クロマン骨格にはこれだけ様々な類似した生物活性化合物があるのですから、この骨格を光学活性で人工的に大量供給できる合成手法を開発することができれば、まだまだ新しい医薬品や酸化防止剤がみつかるかもしれません。
では、この骨格の人工合成法はないの?ということですが、もちろん有用な有機骨格ですので多くの化学者の努力によりたくさんの合成法が知られています。しかしながら、その多くは触媒としてよく使われる遷移金属触媒によるカップリング反応であり、使用した金属の除去や製造コストの問題により実用的に合成できるレベルには至っていませんでした。そこで、石原教授らは
1. 触媒として金属を用いない
2. 酸化反応条件で水素をとってあげるカップリング反応(脱水素型カップリング反応)
によりクロマン骨格を合成しようと考えたのです。
脱水素型カップリング反応
反応としては次のとおり、出発物質の2つの水素をとってあげて、繋げてあげればできますね(下図)。ここまでは化学構造式がわかる大学生程度ならわかるでしょう。では、金属を使わない触媒についてはどうでしょう。そもそも、石原教授はヨウ素やその化合物および酸化物を触媒として用いる反応の開発で有名です。実は、すでに、「類似」の反応を2010年に報告しています。すなわち、下記の様な触媒A(第四級アンモニウムヨージド)と酸化剤(過酸化水素やt-ブチルヒドロペルオキシド;TBHP)から反応系内で調製される次亜ヨウ素酸(R4NOI)を触媒とする脱水素型カップリング反応により5員環の骨格合成に成功しています。[1] 今回のクロマン誘導体をつくるためには5員環を6員環にしてあげる、つまり炭素を1つ増やしてあげるだけでよいのです。あら、意外と簡単なのかな?と思われますが、ここでただ炭素を1つ増やしただけで様々な問題が生じることとなります。もっとも大きな問題は化学的に5員環を形成する反応よりも6員環生成する反応の方が遅く触媒が失活してしまうことです。
改良に改良を重ねる
実際の検討や詳細は省きますが、研究を行った林さん(博士課程2年)が4年生の時から4年間、16冊のノート(1冊=120反応)を費やしたといえば想像できることでしょう(下記コメント参照)。ほぼ2000反応近くの検討でようやくトコフェノールの前駆体であるクロマン骨格を光学的にほぼ純粋、高収率で合成することに成功しました。
ここからは若干専門的な話になりますが、実際この合成法が成功したポイントは下図の赤色の部分であり、そのポイントを簡単にまとめます。
Ts基の使用:基質のフェノール水酸基(OH)の保護基を電子求引性基(Ts)にする→ 電子豊富なフェノールを電子不足として副反応を抑制
触媒の変更:触媒の対カチオンに長鎖のペルフルオロヘキシル基を導入した触媒Bを使用 → 不斉誘導に有効。配座の柔軟性がきいている?
酸化剤の変更:工業的に有用なクメンヒドロペルオキシド(CHP)を用いる→ 収率と選択性向上
添加剤を加える:炭酸ナトリウムなどの無期添加を添加する→ 触媒量を0.5 mol%まで減らせた(触媒回転数(TON)が200まで向上)、触媒の不活性種の再生が目的
触媒の不活化を確かめるためにラマン分光法により不安定な次亜ヨウ素酸(IOH or IO–)が活性種、安定なトリヨージド(I3–)が不活性種であることが判明し、それを基に添加剤を検討しています。このようなロジカルかつ細かな最適化により、一見「類似」した反応を全く新しいものに仕上げたのでした。
そもそも、抗酸化作用があり酸化されやすいトコフェノール誘導体を酸化反応条件でつくるということろが一見非常識に聞こえませんか?実際フェノールが酸化される反応に悩まされたようで、上記に記載したとおりTs基を導入して脱水素型カップリング反応を優先させるように工夫していますね。クロマン合成法の実用化に向けてさらなる官能基許容性の向上や反応効率が期待されます。詳しい話はぜひ原著論文を読んで勉強してみてください。
研究者からのメッセージ
最後に石原先生から今回の研究に関してのポイントや苦労話のコメントをいただきましたので紹介したいと思います。
前回からの「類似」の研究で2回サイエンスに掲載できたことは、喜ばしい限りです。前回はジヒドロベンゾフラン骨格、今回はクロマン骨格の合成で、両者は「類似」であり5員環と6員環の違いだけに思われがちですが、後者は反応性がとても低く、苦労の連続でした。林裕樹君が4年生と当研究室に配属後、4年間研究した成果です。その間の実験データが16冊の実験ノートになっています。研究当初、6員環をターゲットにすることで反応性が劇的に低下しました。その原因を追及することで、結果的に本触媒反応の活性触媒種が次亜ヨウ素酸塩(IO-)であり、その不安定な活性種は反応系中でI3-という不活性種になることを突き止めました(これにはRaman分光測定が有効でした。)。そして、その不活性種はK2CO3などの塩基存在下で分解し、再び活性なIO-に変換できることを見出しました。これがブレークスルーとなって触媒量を一桁削減することに成功しました。この発見により、触媒回転数を、今回の6員環の系ですとTON=200、5員環の系ですとTON=2000にすることができました。不斉触媒の設計も重要です。クロマン合成ではジヒドロベンゾフラン合成に比べ、基質のサイズが大きくなりますので、触媒の鍵穴も大きくする必要がありました。今回の触媒は前回の触媒に比べ、ビナフチルの3,3’位の置換基が長くなっています。また、比較的直線型の安定配座を有するペルフルオロへキシル基が鍵穴の構築に有効でした。トコフェロールの合成原料のベンゼン環には3つのメチル基と2つの水酸基が付いており、電子豊富なため、ベンゼン環自体が酸化されやすいという問題もありました。この点は2つの水酸基のひとつをTs基で保護することにより、副反応を抑え、環化反応を促進させることに成功しました。石原一彰