近年の合成化学や各種分析手法の隆盛により、化学の力で分子を組み立てることは昔に比べて容易になりました。現在の合成化学の潮流はより直感的に簡単な部品から分子を組み立てられるか、に移っています。そういう観点からみると、分子をつくることは未だ「容易」という一言で片付けられるものではありません。
一方で、どこから手をつけて良いのかわからず全く太刀打ち出来ない分子もまだまだ存在します。「最難関分複雑分子」とでもいいましょうか。そのような分子を合成するには無限に存在しうる合成経路のなかから、あるコンセプトに従い合成経路を絞り込む必要があります。久々にそんな分子、合成経路を最近目にしましたので紹介させていただこうと思います。
先日、東京大学大学院薬学研究科井上将行教授らよって報告された最難関複雑分子の一つであるリアノドールの全合成です。
Total Synthesis of Ryanodol
M. Nagatomo, M. Koshimizu, K. Masuda, T. Tabuchi, D. Urabe, M. Inoue, J. Am. Chem. Soc. 2014, DOI 10.1021/ja502770n
こんな複雑分子どうやってつくるの?
さて、冒頭の画像で構造はおわかりですよね。貴方ならこの複雑分子どのようにつくりますか?様々な意見があるかもしれません。テストと違って解法もありません。むしろこれをつくる方法(逆合成解析)を提示できたら、一人前の合成化学者に近づいているといえます。
闇雲にトライすれば良いわけではありません。分子の基本炭素骨格をはじめにどのように組み上げるかでほとんど勝負は決まります。其々合成化学者によって分子の基本骨格を組み上げる手法は持っているものです。そういう筆者もある基本的なコンセプトに従って分子を組み上げる研究をしています。洗練されたコンセプトをもった基本的な合成方法(合成方法論)に沿えば、複雑な分子も”一見”簡単にみえることがあります。
今回井上らは「非対称化」という合成コンセプトに従い、リアノドール[1]の合成に着手しました。
分子の非対称化
分子を組み上げるには何回もの反応を行わなければなりません。この反応回数が多ければ多いほど、合成は大変になります。一方、対象面をもつ分子(対称分子)をつくって、同時に多方向から同じ反応を行えば、非対称な分子に比べてその反応回数は半分になります(図1)。つまり合成したい分子に対象面をみつけて最終的に非対称化できるような反応を行えばよいわけです。
図1. 分子の対称性に注目したコンセプトおよびその非対称化
「分子の対称性に注目し、それを崩す」
井上らはそのような「非対称化」という合成コンセプトで、リアノドールの合成を考慮したところ、以下の合成経路にたどり着いたのです。
リアノドールの対称性
?リアノドールから対象面を探すように逆合成解析してあげると、図2の対象分子に導くことができます。これに対して、非対称化反応(ビスヘミアセタール形成)を行えば、中央の分子になります。この分子からリアノドールに誘導するという方法によって、合成の無限の可能性をかなり絞り込むことができました。
リアノドールの対称性に注目した逆合成解析
対称分子の合成と非対称化
ここから話は専門的になります。実際は以下のようにして、まず対称分子の合成を行いました。ヒドロキノンと無水マレイン酸のDiels-Alder反応、続く電解反応により基本対称分子のビシクロ[2.2.2]オクテン骨格を合成しました。ここから、数度の二方向からの同時官能基変換により、目的とする対称分子の合成に成功しました(図3)。[2]
図3. 対象分子の合成
この非対称化反応にはかなり苦労がみられます。[3]?最終的に以下の方法が決定版となりました(図4)。
酸素雰囲気下トリエチルシラン、触媒量の2価コバルト触媒とt-BuOOHを作用させC15位にペルオキシドを導入しました。得られた、ペルオキシドにNfF (C4F9SO2F)とDBUで処理すると、Et3Si基がNf基へと交換され、NfOHの脱離を伴って、トリケトンが生成しました。トリケトンはシリカゲルカラムでC11-15位ケトン間の水和が進行し、ビスヘミアセタールへと変換されました。すなわち、この2回の反応で今回の合成コンセプトである対称分子の酸化的な非対称化を実現したわけです。
図4 分子の非対称化を指向したビスヘミアセタール化反応
リアノードールの全合成
というわけで、今回は最難関複雑分子をつくり得た合成コンセプトのみに焦点をあてて紹介させていただきました。しかしこの先にも、反応しづらい橋頭位にいかに炭素骨格を導入するか、ジケトンの片側だけ選択的に炭素骨格を導入する、またその立体選択性などをはじめとして、この分子を合成するために新しい反応を開発し、分子の性質を利用した巧みな合成経路に仕上がっています。
詳しい話はぜひ原著論文を読んで勉強してみてください。現代の合成化学の手法が散りばめられています。
著者へのインタビュー
最後に、今回の代表著者である井上先生(下記写真中央)に今回の研究に対するメッセージ、苦労話や秘話を聞いてみました。
多数の極性官能基を含む天然物の全合成では、骨格の組み上げ方、官能基を組み込む方法やその配列を、無限に見える可能性の中から選択しなければなりません。もちろん30工程を超える合成ルートを最初から最後まで事前に予測することは不可能です。研究の中心となる譲れないコンセプトを掲げ、天然物合成の実践の中で、戦略・方法・反応を、鍛え上げ、洗練させます。
我々の初期のコンセプトは、リアノドール中央部に内在するC2対称性に着目して、二方向同時官能基変換を利用して工程数を大幅に削減するというものでした。これを実現した後には、リアノドールの全合成が目に見えたように思えました。しかし、合成中間体が標的化合物に近づくほど、常規を逸した副反応が、本当にたくさん(!)起こりました。そこから、一つ一つ標的化合物へと近づくべく、突破口を見いだしました。例えば、ヒドロペルオキシドを経るC15位ケトン構築、ビスヘミアセタール形成や橋頭位ラジカル反応は、八方ふさがりのように見えた状況において、着想を得た方法論です。全体的には、本研究で用いた分子変換のひとつひとつやその配列、選択した方法・戦略が、科学的に必然性を持つものになったと思います。
本研究は、萩原 幸司博士と共に始め、占部 大介講師、長友 優典助教、田渕 俊樹博士が大きく発展させ、枡田 健吾君(博士課程2年)、小清水 正樹君(博士課程1年)が決着をつけてくれました。3歩進んで2歩下がりながら研究を進めてくれた共同研究者のたゆまぬ努力と、予想に反した結果を成功へと導いた深い洞察と強い意志に、敬意と感謝を表します。
井上 将行
関連文献
- 植物アルカロイドリアノジンの加水分解生成物。リアノジンの単離:Rogers, E. F.; Koniuszy, F. R.; Shavel, J., Jr.; Folkers, K. J. Am. Chem. Soc. 1948, 70, 3086. リアノドールの過去の合成:Deslongchamps, P. et al. Can. J. Chem. 1979, 57, 3348.
- Hagiwara, K.; Himuro, M.; Hirama, M.; Inoue, M. Tetrahedron Lett. 2009, 50, 1035. DOI:10.1016/j.tetlet.2008.12.054
- Urabe, D.; Nagatomo, M.; Hagiwara, K.; Masuda, K.; Inoue, M. Chem. Sci. 2013, 4, 1615. DOI:?10.1039/C3SC00023K
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