「毒ガス」と聞いて、皆さんはどのようなことを連想しますか?化学兵器、火山ガスなどの危険で忌避すべきものであるという方がほとんどだと思います。しかし皆さんご存知でしょうか。そんな”毒ガス”があなたの体の中にも存在していることを‥‥。
一酸化窒素
一酸化窒素 (NO)は自動車の排ガスなどに含まれ、光化学スモッグや酸性雨を引き起こす大気汚染物質の一つとされています。
一方で、生体内では一酸化窒素合成酵素(NOS)によってL-アルギニンから産生され、殺菌、血管拡張やシグナル伝達などの重要な機能を担っていることがよく知られています。
図:NOの生合成?L-アルギニン→L-シトルリン+NO
爆薬であるニトログリセリンも血中のNO産生を増やすことで、狭心症治療薬として効果を発揮します(→●)。
図:ニトログリセリン
一酸化炭素
一酸化炭素 (CO)は酸素よりもはるかにヘモグロビンと結合しやすい性質があり、酸素運搬を阻害して中毒症状を起こします。火気設備の不完全燃焼などで発生し、無色無臭で発生に気付きにくいため、特に冬場にガスストーブなどの暖房器具を使う際には定期的な換気が必要不可欠です。さてそんな危険なCOですが、これも体内で発生します。
図:ヘムの分解とCO生成
ヘム→ビリベルジン+鉄イオン+CO
一酸化炭素の標的となるヘムですが、一方でこれがヘムオキシゲナーゼによって分解されるとCOが発生します。COには低酸素を検知して血管拡張を促す機能が報告されており[1]、生理的な意義が明らかになりつつあります。
オゾン
オゾンといえばまずオゾン層を思い浮かべる人が多いと思います。上空の成層圏で層を形成し、人体に有害な紫外線を吸収して地上に降り注ぐ量を減らしてくれています。こうした面で私達の生活に無くてはならないオゾンですが、同時に極めて強い酸化力を持っており人体に対しては有害な毒ガスです。実はこのオゾンも体内で発生するのです[2]。
マクロファージのミエロペルオキシダーゼ (MPO)などの働きで発生した一重項酸素がIgG抗体の触媒作用によって、オゾンへと変換されます。このオゾンはその酸化力を活かして、病原体の殺菌などに働いているものと考えられています。
硫化水素
硫化水素は火山性ガスとして知られており、所謂「卵の腐った臭い」の正体です。強い臭気と粘膜に対する刺激性、そしてミトコンドリアのシトクロームcオキシダーゼ阻害による急性中毒などの危険性がある毒ガスです。なんとこの硫化水素も体内で発生しています。
図:硫化水素の生合成
(独立行政法人 国立精神・神経医療研究センター プレスリリース (→●)より引用。一部改変)
硫化水素はL-システインからシスタチオニンβ合成酵素 (CBS)など複数の経路によって生合成されます。硫化水素には組織を酸化ストレスから保護する作用が報告されており、生体の酸化ストレス防御に深く関わっていると考えられます。
近年ではL体ではなくD-システインを基質としたD-アミノ酸酸化酵素 (DAO)を介した経路も発見されており[3]、腎臓の虚血再灌流障害などに対する新たな治療薬として期待されています。
生体ガス分子のこれから
これまで紹介したように、昨今の分析技術の飛躍的進歩にともなって低分子のガス分子の生理的役割が明らかになりつつあります【→関連リンク】。近頃ではそうしたガス分子の研究を医療に役立てようという試みがなされています。危険なはずの毒ガスももしかしたら薬になる、そんなことも将来あるかもしれません。
外部リンク
参考文献
- Hypoxic regulation of the cerebral microcirculation is mediated by a carbon monoxide-sensitive hydrogen sulfide pathway. T. Morikawa et al. Proc. Natl. Acad. Sci. U S A. 109, 4 (2012) doi: 10.1073/pnas.1119658109
- Investigating antibody-catalyzed ozone generation by human neutrophils. B. M. Babior et al. Proc. Natl. Acad. Sci. U S A. 100, 6 (2003) doi: 10.1073/pnas.0530251100
- A novel pathway for the production of hydrogen sulfide from D-cysteine in mammalian cells. N. Shibuya et al. Nat Commun. 4 (2013) doi: 10.1038/ncomms2371