天然っていうとなんか体に良さそうとかいうイメージありませんか?天然成分配合とか、天然酵母で作ったパンとか。
有機っていうとなんか環境に優しそうなイメージありませんか?有機栽培とか。
じゃあ天然有機化合物は環境に優しくて体にいい感じ?
それほどでも無いですか。そうですか。失礼いたしました。
天然物化学に携わる研究者なら、研究のシーズを探すためにもユニークな化合物が発見されないかなあと日々気にしていることと思います。でもたまにちょっと信じがたいような化合物の発見に関する論文に出くわす事があります。今回のポストではいろんな意味で信じられない化合物を紹介したいと思います。
いわゆる天然物化学の世界では、まず微生物や植物などから化合物を分離、同定することから始まります。その後、生物活性や化学合成、生合成や作用機作の研究などへ発展していくことがほとんどです。全く新しい構造の化合物や、もの凄い生物活性をもつ化合物が発見されるたびにこの分野は発展してきました。よって天然から化合物を分離、同定する研究は最も重要なものと位置付けることができます。そんな研究で時に思いもよらない“あり得ない”報告がなされるときがあります。
まずはこちらのtramadolをご紹介しましょう。本化合物はカメルーンで薬用に用いられている植物から単離されました。抗炎症作用など様々な活性があることが明らかにされました[1]。
構造としては珍しい骨格ではありますが、植物なら作るかもしれないなあとも思えるアルカロイドです。ただ不斉炭素があるにもかかわらず単離されたのはラセミ体でした。まあ天然物は必ずしも純粋な鏡像異性体ではないことは知られていますし、ラセミ体もたまにあります。
じゃあ何が信じられないのかと言えば、この化合物はなんと既に人工的に合成がなされ、ドイツのGrnenthal GmbHより1970年代から市販されていた化合物だということです。主に鎮痛剤として用いられていました。
医薬品の開発などにおいては、一般に天然から得られた生物活性がある化合物をヒントにして(リード化合物)その骨格を改変したりして、より強い活性や高い安全性、経済性など様々な検討がなされます。製品になる頃にはリード化合物とは似ても似つかない形になっていることも珍しくありません。Tramadolの開発の経緯は定かではありませんが、カメルーンの植物から抽出することから始めたということは無いと思います。
ラセミ体だし何処かで買った化合物が何かの間違いで混入したのでは?という疑問が当然わきます。著者らはその辺を大変慎重に調べており、粗抽出物中に確かにtramadolが含まれていることや、窒素の同位体比が製品と天然物では少し異なっていることなどを示しています。
さてお次はこちらの化合物です。
どう見ても人工物です。ありがとうございました。と言いたいところですが放線菌の一種から単離されました[2]。
何が信じられないかって、まずフッ素ですよ。フッ素が含まれる有機化合物はごまんとありますが、天然から得られた例は極めて少ないです。そもそも環境中に使用できるフッ素が少ないですし、生体はフッ素をほとんど使うことができません。有機化学美術館さんに天然から得られたフッ素化合物の例が紹介されていますが、数えるほどしかないことがお分かり頂けることでしょう。
しかもこの化合物、ベンゼンにフッ素が結合してるんです。そもそもフルオロベンゼン誘導体の合成法って限られてますよね。それを生物がやってしまうなんて驚きです。
t-ブチル基を持つ天然物として初めて単離されたのはギンコライド
さらに驚きなのはt-ブチル基があるというところです。t-ブチル基も生合成的に少し困難なので天然からはあまり見つかりません。それが二つもベンゼン環にあって、しかもその大きな二つのt-ブチル基に挟まれたところにフッ素があるという人工合成もどうやろうか迷ってしまうような構造です。
構造決定にはX-線結晶構造解析を使っていますので間違いはないのでしょうが、放線菌がどうやってこれを作るのか非常に興味深いです。この化合物の生合成酵素が取れたら、有機合成上非常に有用なんじゃないでしょうか。なんかのコンタミじゃないことを祈ります。
最後は天然物化学者がやっちまった例を[3]。
有機化学者なら一見して”信じられない“と言いたくなる構造です。そうですBredt則に反しています。ビシクロ骨格の橋頭位に二重結合を置くのはいただけませんね。
ただしタキソールのように一方でも環が大きくなればOKです
やはりこの構造はおかしいのではないかと考えた研究者がおり、既知化合物のデータと比較するなどして、天然物の真の構造は右のような構造であることを明らかにしています[4]。論文のタイトルがanti-Bredt Red Flag!となっているのも面白いですね。
Bredt則に反していると言えばもっと凄いのがありました[5]。
もう本当にふざけるなですね。これを通した査読者は誰なのか明らかにして欲しいレベルです。
海外のサイトでも当時色々議論があったようです。
こちらは間もなく著者ら自身によって訂正が出され、右のような構造が提案されています[6]。そうですね。これなら素直な化合物ですねって。おいおいこれいくらなんでもカルボニルがエノール化して芳香環になるんじゃないの?こんなの安定なのか?とつっこみを入れたくなります。その後の進展はないようですのであいにく真偽のほどはわかりません。
天然物の構造決定に関する論文の査読をする際は、このようなあり得ない構造の報告には十分慎重になるべきではないでしょうか。最初に紹介した化合物のようにその発見自体をあり得ないものが見つかったという主張をしている論文であればいいのですが、常識ではあり得ない物質を提案されたらまずはデータの解釈に誤りがないか確認すべきでしょう。
天然物の構造決定には現在でもNMRが主流です。しかしNMRスペクトルの解釈には熟練を要します。少しでも解釈を誤るとこのようなあり得ない構造を導いてしまいます。たまにではありますが最後の例のように分子模型を組んでみれば明らかに無理がある構造が報告されることがあります。アナログな方法ですが、模型の力を舐めてはいけませんね。あとどうやって生合成されるかを考えに入れることも重要です。例えばテルペンなんだったらイソプレン則に沿った骨格をまず考えてみるとかした方がNMRの解釈がすんなりいくかもしれません。
天然物の構造決定に誤りがあった例がつらつらと並べられている報告なんてのもありました[7]。かなりの割合で天然物の構造決定に誤りがある例が発見されています。それだけ今だに難しい分野だということでしょう。魅力的な天然物の発見こそこの分野の発展、応用の鍵ですのでより優れた構造決定の方法論が登場することを願ってやみません。結晶スポンジ法はその候補になりうると個人的に思っています。
関連文献
[1] Occurrence of the Synthetic Analgesic Tramadol in an African Medicinal Plant. De?Waard,?M. et al. Angew. Chem. Int. Ed. 52, 11780 (2013). doi: 10.1002/anie.201305697 [2] Natural Occurrence of Organofluorine and Other Constituents from Streptomyces sp. TC1. Marimuthu, P. et al. J. Nat. Prod.?77, 2, (2014). doi: 10.1021/np400360h [3] Two New Chemical Constituents of Veratrum dahuricum (Turcz.) Loes. f. Cong, Y. et al. Helv. Chim. Acta 96. 345 (2013). doi: 10.1002/hlca.201200381 [4] The Anti-Bredt Red Flag! Reassignment of Neoveratrenone.? Andrei I. Savchenko, A. I.; Williams, C. M. Eur. J. Org. Chem. 7263 (2013). doi: 10.1002/ejoc.201301308 [5] Neolignans from Piper kadsura and their anti-neuroinflammatory activity. Lee, K. R. et al. Bioorg. Med. Chem. Lett. 20, 409 (2010). doi: 10.1016/j.bmcl.2009.10.016 [6] Corrigendum to “Neolignans from Piper kadsura and their anti-neuroinflammatory activity” [Bioorg. Med. Chem. Lett. 20 (2010) 409]. Lee, K. R. et al. Bioorg. Med. Chem. Lett. 20, 3186 (2010). doi: 10.1016/j.bmcl.2010.04.003 [7] Chasing Molecules That Were Never There: Misassigned Natural Products and the Role of Chemical Synthesis in Modern Structure Elucidation. Nicolaou, K. C.; Snyder, S. A. Angew. Chem. Int. Ed. 44, 1012 (2005). doi: 10.1002/anie.200460864