先日の記事では、「ものづくり」に焦点を当てて、合成生物学の力量と将来性を紹介してきました。
しかしその応用は、「ものづくり」にとどまるものではありません。
新たな人工生物系を用い、高い選択性/有効性/安全性を持った治療法の開発が医療分野で進められているのです。
このうち多能性幹細胞については既に良質な解説が多数あります。ですので今回は、それ以外の研究に焦点を当てて取りあげてみたいと思います。
主には下記レビューをまとめ上げた内容になりますが、今後の医療科学の方向性を化学者側で考えるきっかけにできればと思います。
Bringing next-generation therapeutics to the clinic through synthetic biology.
Bugaj, L. J.; Schaffer, D. V. Curr. Opin. Chem. Biol. 2012, 16, 355. doi:10.1016/j.cbpa.2012.04.009
合成生物学の疾病治療への応用は、研究領域としては開拓が始まったばかりです。
しかしながら、「機能を持たせた遺伝子回路系を、生体内に組み込む治療戦略」には、その高い潜在性を窺わせる例が既に多数存在します。
これらは大きく分けて3タイプに分類されます。代表例を簡単に紹介してみましょう。
1.患者の細胞に直接合成遺伝子系を導入する系
一言で言えば「細胞を遺伝子改変して病気を治す」という考え方です。特に加齢性細胞や機能不全組織を治療する目的に、もっとも直接性の高い方法といえます。
従来の遺伝子治療では、機能性遺伝子を標的細胞に組み込むことが限度でした。
合成生物学では、環境応答性素子を機能性遺伝子に組み込むことで、より高精度な遺伝子発現制御を狙っています。すなわち望む生体環境下でのみ、遺伝子発現をon/offする設計です。
たとえば以下の図は、がん細胞のみで作動する遺伝子を投与することで、ガン細胞を選択的にたたく治療法を示しています。
ガン特異的な転写因子(TF-1,TF-2)によって最下流の遺伝子産物であるチミジンキナーゼ(TK)が発現し、ガンシクロビルという薬剤存在下に致死作用を発現するという仕組みです。
2.合成遺伝子系を組み込んだ機能性細胞を患者に投与する方法
一言で言えば「遺伝子改変細胞を薬とみなして投与し、病気を治す」という考え方です。免疫系によるクリアランスが問題になるので、抱合性分子に包含された状態で投与される想定です。
1の直接的遺伝子導入法と比較して、
- 目的の機能を有する細胞のスクリーニングがex vioで可能
- 人工細胞とホスト細胞との相互作用が抑えられるため、安全性が高い
- off-targetの遺伝子導入を避けられる
などが優位点として挙げられます。
応用例としては、尿酸応答転写因子と尿酸代謝酵素遺伝子を組み込んだ細胞を投与して痛風治療を行ったり、光応答性遺伝子発現を行う細胞を投与することで、病組織だけで血糖降下ホルモンの局所発現を目指す治療法などが提案されています。
3.合成遺伝子系を組み込んだバクテリアベクターを患者に投与する方法
一言で言えば「バクテリアによって改変遺伝子を運びこんで、病気を治す」治療法です。
大腸菌やサルモネラ菌などある種のバクテリアは、ガン組織に集積する性質を有します。この特異な性質をガン細胞ターゲティングの手段として用います。
利点としては、
- バクテリアは遺伝子操作がしやすく、機能性遺伝子を組み込むのが容易
- ガン細胞に対するターゲット選択性が高い
- バクテリアが運動性を有するので、受動拡散では到達できない深部がん組織にも作用できる
などがあげられます。
この遺伝子改変バクテリアをモデルマウスに投与することで、がん組織の縮小化(1/2~1/10)に成功した例が知られています(図a)。ここでは、ガン関連遺伝子産物(bcl2, STAT3 etc)や抗アポトーシス性タンパクに対するsiRNAを組み込んだサルモネラ菌が使われています。
またバクテリアをベクターとする方法ならではの応用として、コレラ毒素の産出を抑える方法も提案されています。
腸内においてコレラ菌密度が高い時には、コレラ菌は毒素を放出しません。コレラ菌はCAI-1という分子を仲間密度の感知手段として利用しています。これを逆手にとり、CAI-1を生産する改変大腸菌を腸内に寄生させれば、コレラ毒素の放出がなされなくなるという理屈です(図b)。
本質的な問題点
利点ばかりを強調しても何なので、把握されている問題点も併記しておきます。
現在最も懸念されているのは、設計遺伝子系の予想外の作用、つまり「遺伝子組換えの結果もたらされる、即時的/隔世的な危険性が全く読めない」点です。要するに遺伝子組み換え食品で懸念される安全性問題と同様のハードルを抱える治療法と言うことができます。
「なるべく複雑性を抑えた単純な遺伝子系で、いかに高度の機能を実現させるか」に加え、倫理と法規制の整備も科学的側面以外の大きな課題となっているようです。後者はバイオパンク潮流なども相まって、完璧に押さえつけることは難しそうな印象です。一歩間違えれば特定の人的マーカーを標的としたテロ応用やバイオハザードを引き起こしかねない方法でもあるわけです。
これらを上手く解決したり丸めることができるか否かで、今後の普及が決定づけられるような印象を受けました。
総括
以上の手法と「ものづくりによって開発された薬を投与する」従来型治療法との最大の違いは、一つor複数の分子を用いるのではなく、環境認識・応答を組み込んだシステムを利用する点にあるといえます。
つまり医学研究の発展方向を眺めたとき、治療の手段は「分子」から「システム」に移行しつつあるのでは?と見ることが出来ます。
最初から生体適合性がある程度保障されている系(遺伝子・細胞)を人為的に改変して投与し、所望の治療機能を生体内で環境応答的に発現させるという戦略は、実効的な治療につながりやすいアプローチと言えるでしょう。
人工的な有機分子でこのあたりを実現しようとすると、分子サイズと構成要素の巨大化・肥大化がどうしても避けられません。結局はこれが生体適合性や機能そのものを損なう大きな原因となったり、開発速度の遅延を招くという、避けがたいジレンマに直面している現実でもあるでしょう。生体指向型化学の将来に関し、根源的な問題を提起する事例と言えるのではないでしょうか。
【「化学」が医療領域に対し貢献できることは何か?】と今一度の考えを巡らせる、良い契機と本記事がなれば幸いです。
(各コンセプト図は冒頭総説より引用しました)
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