今回は「権力」という言葉をキーにひとつ記事を書いてみたいと思います。
Tshozoです。本年も宜しくお願い申し上げます。
【今回の記事は基本的にフィクションです・こういうこともあり得るだろうなと思ってご覧ください】
新年を迎えて昨年を振り返ってみたのですが、あんまりイィコト無かったなぁと振り返るにつけ哲学などジコケイハツ系の書物にも目が向いてしまいがち。そんなわけで本屋をうろついていたところ中、ある書物に書かれた文章が目につきました。
「あらゆる組織の中に権力関係は生じる」
これは、哲学者ミシェル・フーコーの書物に記載されていた文章です。あらゆる組織と書いてますから、会社やラボの中のボス・部下の関係も例外ではないわけです。
ミシェル・フーコー フランスの哲学者
(注:フーコーは同書物内で「権力」という言葉を一般に使われる場合と異なった意味で用いています
上記の文章は話のマクラとしてのみお考えください)
ある程度歳をとられた方は、組織の中で理不尽な経験をされたことはあるでしょう。かく言う筆者も今回、あまりにも理不尽、あまりにも非人道的かつ狡猾な仕打ちをボス側から受けたことにつけ、一体何が根幹に潜んでいるのかを一般化して書けないかと思うていました。その後この話を肴にアチコチの酒の席で聞いてみると、程度の差こそあれ似たような事は理系の職場で多く起きているようです。この構図、一体背景に何が隠れているのでしょうか。化学のみならず 科学全般に携わられる方が経験される可能性もある事項ではないかとも感じ、敢えて書きます。ご一読頂けますと幸いです。
で、件(くだん)の事項を多数聞いてきましたが、ボス側(=権力側)がとったリアクションの中で3つの共通項がありました。
① こちらの評価を明らかに平均未満に設定する
② 成果を奪う
③ 起きた事実を関係者に正しく伝えない、伝えさせない
こう書いてみると結構ヒドイですね。なお①については「筆者が本当に無能だっただけ」というケースも有り得ますが・・・ともかく評価上は「こいつは何も成果が出せてない」ことになっていました。
ということで、この件と化学者の関係につき私見を述べてみたいと思います。なお以下、権力とは「個人及び集団の意思に関わらずその行動を強制する指向性」のことを指し、以下権力側と書くときは上記の指向性を行使する個人或いは集団を指すものとします。
さて今回の案件や知人から聞いた話をよく考えて整理すると、背景にある構図が浮かび上がってきました。それは、
「権力側は多くが化学と関係ないところに居り、それに対して化学者側は開発の最前線に存在していた」
ということです。当たり前じゃねぇかと思うでしょうが、現代の化学のありかたとして大前提となる点なのではないかと感じるのです。
まずこの具体例として、以前採り上げたBASFのカール・ボッシュと権力との関係を見てみましょう。彼は世界初のNH3量産化を成し遂げた功績により、最終的に同社の社長となります。その頃ドイツは国家社会主義(ナチズム)に向かい、BASFとしても収益を確保するため化学品を軍へ供給する「もっとも愚劣なビジネス(ボッシュ本人の言)」へと向かわざるを得なくなります。その後化学会社カルテルであるI.G.ファルベンの社長となりますが、時の権力者ヒトラーとの関係悪化により閑職に押し込められ、同時に化学者としてのキャリアを停止・抹殺されます。盟友であったフリッツ・ハーバーもカイザー・ヴィルヘルム研究所の役職を追われ同様の末路を辿っています。この時ヒトラーは化学と無縁の場所に居り、そしてボッシュは途中までは化学者、そして社長という化学プロデューサの位置に居ました。図に書くとこんなかんじ。
批判は数多くあれど、100年経った今も社会に影響を与える化学史最大の発明を行った化学者であっても、権力の前にはその生殺与奪を握られうるということを示しています(なお、社会通念上健全でない案件、つまり毒ガスや大量破壊兵器等のいわゆる軍事系について是非を云々するのは手に余るため割愛します/上記の件は例示のみの引用ということで容赦願います)。
で、この例に比べりゃ今回の話はスケールは小さいどころか極小なのですが、基本構造としては同じものだと解釈できます(下図)。
そしてこの似た構図が意味することとしては、
「化学者(科学者)は権力に対し本質的に背を向けている」
ということではないかと思うのです。実際には労働者全般がその立場に立たされているのですが、科学技術が社会に根を張り、次々に新しい技術のフロンティアを拓くのに重要な役割を果たすはずの化学者ですら、悲しいことにそうした構造に取り込まれてしまい得るのだと改めて実感しました(今回の件が起きるまでは頭での理解に留まっていたと言えます・・・)。
もっとも、普通の関係を保っていれば上記の図は健全に回るはず。多少の意見の衝突はともかくとして、化学者は降りてきた「社会的・会社的要請」に対し真摯に開発を行い、ボスはそれを取りまとめ、会社やラボへ成果を献上してさらに発展した成果を狙う――これが健全な関係であります。そして得た成果を基に経済や社会、組織がある程度健全に成長する中には、全体の数割程度がそうしたよい関係を保ち数々のイノベーションが発生していくと推定されます。
また、そうした関係を成り立たせるのは権力側と化学者側との「信頼関係」です。8割くらい打算関係でも構わないのですが。なおこの信頼関係は特に遠距離戦の、イノベーション的なものを求めるときに決定的な要因になります。健全な関係は自由な発想、自由な議論、自由な活動に繋がり、そこにイノベーションの種が育まれるからです。背を向けてたって、研究に集中できる。それが理想の関係です。
ところが。こうした良好な関係が根腐れする場合があります。それは
「この図のどこかが不健全な情報の捻じ曲げを行う」
場合です。これがこの構図上で最も深刻な根腐れを生みます。化学者側が行うのは捏造と言いますが、権力者側が行うこの行為はさしずめ「歪曲」というべきでしょうか。
たとえば。
●ボスからの指示が恣意的なものである
●自然法則を無視している
●本当の課題と理屈上全く結びつかないものにである
●さらに上位からのむちゃくちゃな都合に基づく企画である
・・・といったことが降りかかってきたらどうします? 真摯に自然科学に向き合う化学者なら当然反抗するでしょう。そのプロジェクトや指示が実現した場合に本当に社会にメリットがあったり、目的が明確(教育など)であったり、化学者として名が残せるなどの個人的な嬉しさがはっきりしているならまだ一考の余地はあるでしょうけど。
ところが、いざ組織の中にいるものとして考えた場合、ボスの指示に反抗した結果、一体何が待っているでしょうか。こりゃ継続的に命令違反をしていることになりますので、最初に述べた1,2,3(低評価、成果奪取、デマゴーグ)が歪曲とセットで行使され得、最悪は非道行為(意思に反した異動や*切り)すら行われることすら有り得ます。そして、それを行えるのは権力側だけなのです。さらに、これに対し化学者は悲しいことに往々にして無力であることがほとんどです。
なお、私が知るパターンでは、化学者側はほぼ全員ひどいイヤガラセを食らうか追い出されました。その指示を出した人間も(一応は)その更に上位、またその更に上位から同じように脅迫指示されている(はずな)のですから無理からぬことですが・・・。だからと言って許容できる性質のものではありません。
結局のところ、みんな背後を取られている・・・?
なおカール・ボッシュの場合は途中までヒトラーを利用しようとしていましたが、ドイツからの全ユダヤ人科学者追放というとんでもない政策を見直すよう具申したところヒトラーの逆鱗に触れ、権限のない名誉職に押し込まれました。ボッシュの当時の立場は化学者ではなく社長でテクノクラート的な存在でしたが、「背後を取られていた」現象としては同じことだと言えるでしょう。
ちなみに歴史的に見ても権力側の化学者(科学者)に対する「歪曲+非道」の例は枚挙に暇がありません。
▲ガリレオ・ガリレイに対する宗教裁判(天動説を支持する教会から迫害を受け終身刑)
▲量子論の産みの親マックス・プランク(ユダヤ人擁護の色が強かったため繰り返しナチスから警告・脅迫、息子を殺害される)
▲イギリスで暗号解析に多大な貢献をしたアラン・チューリング(同性愛者であったため重要任務を解任→自殺(?))
▲マンハッタン計画でのロバート・オッペンハイマー(悪漢エドワード・テラーの歪曲証言により公職追放、後に名誉回復)
▲油滴による電荷測定法の創始者ハーヴェイ・フレッチャー(ボスのミリカンにノーベル賞級の論文をぶんどられた→ ● ●)、
▲八木・宇田アンテナ基本構想に大きく貢献した宇田新太郎教授(詳細→ ● 有名な八木秀次氏の行動が興味深い)
・・・というように明るみになっているだけでも数多くの事件があるのですから、歴史上こうした歪曲のせいで無名のまま死んで消えていった化学者・技術者たちの無念たるや、千や万では換算できないでしょう。集団でその被害を受けたユダヤ人科学者・科学者達がナチスから受けた迫害や、ソ連で起きていたトロフィム・ルイセンコによる農業政策を非難した旧ソ連科学者・技師たちの悲惨な末路はここで述べるまでもないと思います。
権力側からの歪曲行為の被害を受けたと思われる科学者たち
また、この結果最終的に権力側に残るのは、正論を述べずに正しい科学的知識を持たない、情報の差し替えを行うだけで責任を取らない人間がほとんどとなります。 これこそが組織根腐れの原因となり、またさらに引き継がれていきます。経験的にですが、こうした組織の悪習はなぜか引き継がれてしまう性質があります。例え最高権力者がそういう歪曲を起こさない人道的な性質の人であったとしてもこの根腐れは発生します。例えば名君と言われた徳川家康でさえ、老齢となってから奸臣本田忠信に唆され、忠信の政敵であった大久保忠隣を無実の罪で降格(改易)させてしまうという騒動を起こしています(大久保彦左衛門著「三河物語」より → ● )。
組織が小さい場合は目が隅々まで行き届くためこうした奸臣は出にくいでしょう。しかし組織が肥大化し開発対象が多様化して目が行き届かなくなり、前線で本当に何が起きているかを権力の頂点が監視出来ない、又は監視できないようになった場合、この歪曲はより発生しやすくなると筆者は推定しています。あとは組織が「全体主義」(→ ●)的になり、異論を唱えられなくなる雰囲気になる場合も歪曲が発生しやすい傾向があるようです。
また、認識しておかなければならないのは、自然科学のうちでも化学は社会から相当に知識的距離が離れている分野であることです。機械系などより知識が必要であるというわけではなく、「扱うモノの実態が直接見えない」ということは社会と権力に対し大きな知識的距離を生みます。これは素粒子などを扱う学問にも言えますが・・・。
このため、権力(+権力欲)に背を向けてでもその知に没頭しなければ大成しにくい分野であることは皆様感じていると思います。さらに社会が抱える問題が複雑化し、単純手法のみでは解決しにくくなっている現代はその距離はなおさら増しており、この大きな距離がさらに歪曲を生む温床となると筆者はみています。
・・・では、化学者は権力側にどう対せばいいのか。正直、これについては答えが出るような問題ではありませんし、私も自分なりの対策を見つけようと悶々としている状態です。在野の科学者であった故 高木仁三郎氏が言っていたような「権力構造から隔離された科学資金の設立」というものは一つの答えであり得るかもしれませんが、その基本となる人間の良心はそこまで規模の大きいものではないでしょう。そもそも対策すら有り得ないかもしれないのですが、この課題に対する関心を寄せておくことは一技術者として決して無駄なことにはならないはずと信じております。
しかしながら今回色々と調べた案件を思い返すにつけ、
「最も科学的な分野が、最も非科学的な人間関係によってその方向を左右される」
という矛盾を肌身で感じずにはいられませんでした。誰が言ったか忘れましたが結局はニンゲンのやることなんだなぁということがオチになりそうなお話でした。
しかし、我々はある程度今回の記事のようなことを覚悟してこの世界に入っているはず。それでも何故化学系に進もうと思うのか。
化学が面白いと思えるからなのは間違いありませんが、もう一つ二つ、その答えがきっとあるはずです。その一つのうちになるかどうかはわかりませんが、上記の例に挙げた 晩年のMax Planckのことばを挙げておきます(原文はドイツ語)。
”… the greatest good that no power in the world can take from us, and the one that can give us more permanent happiness than anything else, is integrity of soul. And he whom good fortune has permitted to cooperate in the erection of the edifice of exact science, will find his satisfaction and inner happiness, …”
それでは今回はこんなところで。権力に対し辟易しているオッサンの繰り言にも五分の魂は宿ることを祈って今回の結びと致します。
※注:筆者は権力の存在 自体を否定していません。一つの物事を成し遂げるのに権力は必要ですがし、メシを食わしてもらってる以上、一兵卒として大概のムリな要求には従います。しかし、ものごとと技術の本質に目を向けない、又は目を向ける努力をしない現行の権力の在り方に危惧を覚えているのが今回この記事を書いた動機です。