有機化合物にはその骨格中に連続不斉炭素を有する化合物が数多く存在します。その中には不斉四級炭素と呼ばれる四つの異なる炭素置換基を有する不斉点が連続した構造を持つものも多くみられます。そのため、多連続不斉四級炭素を効率的に構築する方法の開発が強く望まれていますが、その実現は現代の精密有機合成を以ってしても困難を極め、最高難度の課題に位置付けられています。
今回、名古屋大学の大井・大松らはパラジウム錯体を触媒とする不斉環化付加反応による二連続不斉四級炭素構築の実現に挑み、独自の分子構築のアイデアと配位子設計“ion-paired ligand”[1]を駆使することによって見事につくり上げることに成功しました。
Ligand-enabled multiple absolute stereocontrol in metal-catalysed cycloaddition for construction of contiguous all-carbon quaternary stereocentres
Ohmatsu, K.; Imagawa, N.; Ooi, T. Nat. Chem.2013, ASAP. DOI: 10.1038/nchem.1796
本記事では、連続不斉四級炭素の構築法の概要と、論文著者へ開発秘話や苦労話などお聞きしましたので紹介したいと思います。
連続した不斉四級炭素をどうつくる?
今回の論文の核となる不斉四級炭素。例えば、二つ連続したもの(二連続不斉四級炭素)はどうやってつくればよいだろう?一般的にいえば、次の二通りの方法があげられます。
一つは四置換アルケンに対して面選択的な付加反応を行なうことで二連続不斉四級炭素を構築する方法(下図)。
この方法では、生成物の二つの不斉点の相対立体化学は基質であるアルケンの幾何異性に大きく依存します。そのため、単一の幾何異性体の四置換アルケンが反応基質として必要になりますが、その選択的合成を達成するための一般的方法論が欠如しているため、この形式の反応を実現することは困難になります。
二つ目の方法は三置換炭素中心を有する求核剤と求電子剤の立体選択的炭素-炭素結合形成反応です(下図)。
この方法は、四置換アルケンのような複雑な基質合成を必要としませんが、立体的に混み合った三置換炭素中心同士の結合形成は反応性が低く、その立体制御が極めて複雑であるという問題が存在します。
というわけで、一般的に考えられる方法ではちょっと厳しそうといった状況です。そもそもこれまでキラルな化合物を基質としたジアステレオ選択的な反応がいくつか報告されているものの、触媒的不斉合成による二連続不斉四級炭素構築の成功例はほとんど知られていません。
つまり、これを構築するためには新しい分子構築のアイデアと、パワフルなかつ触媒が必要となるわけです。
パラジウム触媒を用いた不斉環化付加反応で二連続不斉四級炭素を構築する
では、著者らはまずどのようなアイデアでその分子構築を行ったのでしょうか。答えはこちら(下図)。
まず、出発物質として設定した三置換アルケン(求電子剤)は四置換アルケンに比べて簡単に合成できます。三置換アルケンに対して求核剤を作用させ結合をつくった後(分子間反応)に、最も難しい三置換炭素中心同士の結合形成を分子内反応で行ったのです。釈迦に説法かもしれませんが、一般的に分子内反応は分子間反応よりも反応点同士が近傍に存在するため、反応がはやい。
このような段階的な方法により、最終的に難しいところの障壁をへらす分子構築法のアイデアを掲げました。
これに適したのが、パラジウム触媒による不斉環化付加反応です。遷移金属触媒を用いた分子間環化付加反応、なかでもπ-アリルパラジウム中間体を経由する不斉環化付加反応は比較的単純な基質から多置換環状化合物を立体選択的に合成する強力なツールとして広く用いられています。
一般的にこのような分子間環化付加反応は段階的な反応機構で進行するため、分子間結合形成に続く閉環プロセスは分子内炭素-炭素結合形成反応であると見なすことができます。π-アリルパラジウムの高い求電子性も考慮すると、この閉環プロセスの際には立体的に混み合った三置換炭素中心同士の結合形成も円滑に進行すると期待されます。求電子剤として合成容易な三置換アルケンを用いると、アリルパラジウム種の分子間付加によって三置換カルボアニオン部位を有する双性イオン中間体を与えます。
ついでに、立体選択性に関しては、引き続き起こる分子内閉環反応がアルケンの幾何異性に由来する立体化学を保持出来るほど十分速いならば、分子間付加段階でのアルケンのエナンチオ面を識別することで三置換炭素中心と同時に隣接する四級炭素中心も立体選択的に構築することが可能です。同時に、1,1二置換アリルパラジウム種を発生させるような双極子前駆体を用いて、π-σ-π相互変換を介した面不斉π-アリルパラジウムの異性化を制御することで閉環プロセスの際にもう一つの不斉四級炭素を構築することができます。
少し難しいかもしれませんが、とっても緻密なアイデアです。しかし、机上の空論ではなくこれを実現しなければなりません。
彼らは、この二つの絶対立体化学制御、すなわち三置換アルケンのプロキラル面の識別と面不斉π-アリルパラジウムの異性化の制御を同時に達成するための触媒開発を基軸とする高立体選択的不斉環化付加反応の開発に取り組みました。
- N-ノシル5-ビニルオキサゾリジノンと電子不足オレフィンの[3 + 2]不斉環化付加反応
結果のみ述べましょう。詳細は原著論文をお読みください。単一の幾何異性体として合成容易な三置換アルケンである電子不足オレフィンを基質とし、ある触媒をもちいて反応を行なった結果、基質の幾何異性に依存して、二つの不斉炭素の相対立体化学が決まり、完全なジアステレオ選択性および高いエナンチオ選択性で不斉四級炭素を有するピロリジンを得ることに成功しました。
ここで進行の鍵となったのがパラジウム触媒の配位子。著者らが得意とする、“ion-paired ligand”、キラルオニウム複合型ホスフィン配位子を開発し、その特徴であるアニオンとカチオンの多彩な組み合わせを駆使した配位子探索を行ったのです。最適なものは下図のようなキラルのアンモニウムイオン(3,3’位にβ-ナフチル基、リン原子上に4-トリフルオロメチルフェニル基)、対イオンとしてヨウ化物イオンを用いたものでした。
また、この不斉触媒反応はグラムスケールでも進行し、二連続不斉四級炭素を有するピロリジン誘導体を1回の反応で4.1グラム合成することに成功しています。さらに、トロンビン阻害の有する化合物の合成中間体にも誘導可能でした。
このように、新たに創製したキラルオニウム複合型ホスフィン配位子の持つ、キラルアンモニウムイオン、アニオン、ホスフィンの全ての機能を駆使することが本反応達成の鍵であり、π-アリルパラジウムのπ-σ-π異性化を介した面不斉の制御と三置換アルケンのプロキラル面の識別を含む多重立体制御を実現したことで、生成し得る八つの立体異性体のうち一つのみをほぼ完全な選択性で与えることに成功しました。まさに、触媒のチカラで不可能を可能にした結果であるといえます。
不可能を可能にした触媒と不斉反応を開発して
最後に、本反応とそれを実現に導いた触媒を開発した、大松亨介特任講師に今回の反応に関する開発秘話をお話いただきましたので紹介します。
新しい触媒をつくる研究では、未解決の反応を促進・制御する、あるいは既存の触媒よりも優れた機能を発揮する化合物を探して、悪戦苦闘をくりひろげます。そこでは創造的なアイデアや論理的思考が頼もしい武器になりますが、いかんせん相手は目に見えない分子。スマートに勝利できることは少なく、「最後まで諦めない!」という精神で泥仕合に持ち込んだ結果、幸運にも勝利を収めることがほとんどです(私達の場合)。二連続不斉四級炭素構築という難題の解決に挑戦した今回の研究も、例に漏れず。一度は敗戦を覚悟するところまで追い込まれ、最後の最後に放った一手から、奇跡的な大逆転勝利が生まれました。
勝利の決め手になったのは、もちろん触媒です。鋭い読者の皆さまは、すぐにお気づきかと思いますが、今回の配位子はどこかで見たことのある構造をしています。分子内にキラルアンモニウムイオン部位をもったホスフィン配位子ですが、アンモニウムイオン部位は、私の恩師である丸岡啓二先生と大井先生が開発した丸岡触媒Rそのものです。また、ベースとなる構造は、私達が2012年に報告した“ion-paired ligand”と呼んでいるものです。要するに、この両者を組み合わせた分子設計であり、
「自前の配位子に最強のアンモニウムイオンを組み込んだら、すごい配位子になるに違いない。」
という単純な発想が、今回の研究の出発点です。
やや心もとない武器を手に、確かな勝算もないまま、当時四回生の今川直道くんとともに研究をスタートしました。キラルアンモニウムの対イオンであるハロゲン化物イオンも活かそうと考え、Pdを触媒とする[3+2]環化付加をモデル反応にして実験を開始しました。出だしは順調で、既存の触媒システムを遥かに上回る高い触媒活性が確認でき、開始3ヶ月後には80% eeを叩き出しました。しかし、その後が私達にとっての地獄でした。そもそも配位子合成が大変な上に、つくってもつくっても最低合格ラインである90% eeを越えられません。基質の保護基、溶媒、温度など、思いつくことは片っ端から試しましたが、すべてダメ。鳴かず飛ばずのまま月日を積み重ね、次の一手が思いつかなくなるまで試し尽くした末、ついに白旗を揚げることになりました。私達の手に残ったのは、たくさんの使えない配位子と、せっかくここまで頑張ったからという理由で決めた今川くんの年会発表の機会だけでした。
しかし、ここで奇跡が起きました。年会発表の構成を組み立てるべく、これまでのデータを整理していた時です。「フェニル基だけをもつ単純な配位子から、一つずつ置換基を変えていって最適構造に至りました」という順に配位子のデータを並べようと相談していたところ、話の途中に登場させたい配位子を、ひとつだけ試していないことが分かりました。「やってないなら、別のデータでもいいか」という展開になってもいい所ですが、なぜか「年会まであんまり時間もないけど、最後の一つだから、ちゃんと合成して試そう」ということになりました。
そして数日後、私達は最後の配位子で反応を行い、結果を示すHPLCチャートを手に歓喜の叫びをあげました。論文に記載されている実験は、ほとんどがこの予期せぬ発見以降に行われたものです。読者の皆さまには、論文をご笑覧いただくとともに、ここでご紹介した泥臭い努力の跡を感じていただければ幸いです。
最後に、本研究は、大井貴史先生のご指導のもと遂行され、たくさんの大井研メンバーからの助言・協力をいただいて達成したものです。また、「できることは全てやる」という精神で、鬼神の如く実験してくれた今川直道くんの活躍があったからこその成果です。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
関連リンク
関連文献
[1]?Ohmatsu, K.; Ito, M.; Kunieda, T.; Ooi, T. Nat. Chem.?2012, 4, 473-477. DOI:10.1038/nchem.1311
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