本年3月、東京大学の藤田・猪熊らによる結晶化しないで構造解析できる「結晶スポンジ法」をこの化学者のつぶやきでいち早く取り上げさせていただきました(記事:ナノグラムの油状試料もなんのその!結晶に封じて分子構造を一発解析!)
微量成分の構造決定を根本から変える破格のインパクトを与えるこの技術、科学最高峰誌Natureに掲載され、脚光を浴びることとなりました(Nature 2013, 495, 461. DOI:10.1038/nature11990 )。
しかし先日誠に残念ですが、1点、その手法を用いた構造決定において”誤審”が発見されたのです。一言でいえば、
「結晶スポンジ法で決めた天然物の絶対立体配置を誤った。」
ということです。彼らは既にNature誌にこの”誤審”について報告し、先日公開されました(DOI: 10.1038/nature12527)。またその内容は、刺激的なタイトルと天然物化学者の厳しい指摘とともに、9月19日付でC&ENにも掲載されています。
では、なぜ”誤審”をしてしまったのか?今回は化学者として化学情報を正しく発信するという観点から、その経緯と科学的な解説を行いたいと思います。
一方で、即日藤田誠先生に直接コンタクトをとらせていただきまして、いち早く本件に関するお話を伺いましたのでそれについても報告させていただきたいと思います。
何を「誤った?」
結晶化しないで構造解析が可能な結晶スポンジ法(詳しい解説はこちら)。簡単にいえば多孔性の結晶に構造を知りたいものを「封じて」整列させ、単結晶X線構造解析と同様に構造決定する手法です。結晶1個に「封じる」ため、サンプルはオイル状でも良く、量はナノグラムオーダーでも解析可能です。
藤田らはこのアイデアを実現し、さらにアプリケーションとして、最高クラスに困難な天然物の絶対立体配置の決定に挑戦したのです。
その天然物はミヤコシンA (miyakosyne A)と呼ばれ、東京大学の松永らによって単離・構造決定された化合物でした。。miyakosyne Aは使える試料が微量過ぎて結晶化も困難、さらに全合成を行って量的供給を行ってもそのままでは絶対立体配置は決まらない化合物です。また重原子が含まれないためX線構造解析で絶対立体配置を決められない化合物ですが、結晶スポンジ法では多孔性結晶に最初から重原子が含まれているため、決定可能なのです。
実際に彼らは結晶スポンジ法によって、CHO元素からなる別の天然物・サントニンの絶対立体配置の決定に成功、さらに本番であるmiyakosyne Aも、C14位の絶対立体配置を「決定」しました!
・・・ここまでが論文の内容の一部で、今回の手法を最大限にアピールできたハイライト部分でした。
一見妥当なプロセスに見えますが、なぜ絶対立体配置の構造決定を誤ってしまうことになったのでしょうか?
なぜ「誤った?」
実際の論文データをみてみましょう。下の図は、論文のSupplementary informationの中に示されているmiyakosyne Aの電子密度図です。
図 Electron density map (2Fo– Fc; contour: 0.25) superimposed on the refined structure of Miyakosyne A
ここでは、0.25σレベル(電子密度図を描く時の閾値を表す)で図が描かれていますが、観測されたmiyakosyne Aに相当する電子密度が一般的な結晶構造解析のデータに比べると弱いことが分かります。
筆者らも、占有率(miyakosyne Aがそのポジションに存在する割合)を50%として解析しています。当然のことながら、データの質はmiyakosyne Aが100%存在する場合の方が良いわけですから、この時点でmiyakosyne Aの絶対構造に関する情報量が減ってしまっていると言えます。
そして誤った絶対構造を導いてしまった大きな理由として、筆者らが訂正文の中でも言及している、ディスオーダーによる要因が考えられます。精度の良い結晶データであれば、原子が存在する場所にほぼ球形をした電子密度が観測される事が一般的なのですが、上図の場合には、非常にぼやけた電子密度図となっています。問題となった14位の炭素付近では、miyakosyne Aの構造に合致するともしないともとれる電子密度が存在します。論文中で筆者らは、このデータに対して14Rと14Sの両方を当てはめて解析し、双方の結果から14Sと決定したと言及していますが、誤った立体化学を導いてしまった理由として、この解析に用いたデータの精度に問題があったのではないかと推測されます。
X線結晶構造解析では、分子そのものが見える訳ではなく、回折により得られる電子密度図に対して原子を割り当て、それに合致する最適なモデル構造を導き出す手法です。そのため、1つの観測データから導き出される結晶構造は一義的では無く、それゆえ解析者の思い込みや勘違いによって誤った結果が導かれてしまうことがあることも事実です。今回の”誤審”は精度の高いデータを用いず解析を行い、踏み込んだ議論で「決定した!」と記載したことが、最大の原因であり問題と考えられます(これは下記の藤田先生のコメントでも述べられています)。
この”誤審”が与える影響と論文価値の扱い(ケムステ代表の見解)
まず中立の立場で今回の”誤審”の見解まとめを述べます。
(1) 結晶スポンジ法に関してはそのアイデアとそれを実現した革新的技術自体が否定されるものではない
(2) 今回「決定した」天然物の絶対立体配置は「誤り」であった
(3) 誤りは結晶データのディスオーダーによって生じた
(4) そもそもX線結晶構造解析で当該天然物の構造を決めることは大変困難(重原子なしでの絶対立体配置決定は可能)
(5) この難しい構造を決めるという高い目標があったからこそ、技術精度の向上、本手法の創成に至った
今回myakonsyne Aの14位の立体化学(実際には既知であったC3およびC26位の絶対配置に対し相対的に決定)は、このデータ精度で議論できなかった、という結論に至りました。この結果は、一見、開発した「結晶スポンジ法」が精度の高いデータを出せないと思わせるものかもしれません。
ただこれについては、通常の結晶を用いたX線結晶構造解析でも同じことがいえます。
そのため、結晶スポンジ法のアイデアと、それを実現した事実は否定されるものではないというのが私の見解です。
もう一つ、「Corregendum」というタイプの修正記事で発表されていることも注目すべき点です。
Nature誌に発表した内容を修正する場合、次の3通りのケースがあります。
(1) Commuications arising: データの追加、撤回、差し替えを伴う修正で、修正内容には審査が入ります。(修正が認められない場合、つまり論文全体の主張が大きく変わり、論文の価値が著しく損なわれる場合は、おそらく元の論文はretruction(取り下げ)になる可能性が高い)
(2) Corregendum: 著者側のミスで、表現や数値に誤りがあった場合の修正。
(3) Errata: ジャーナル側のミスで表現や数値に誤りが生じた場合の修正。
今回のケースは(2)で受理されたことからも、データの撤回や差し替えを含む修正ではなく、「(構造を)決定した」という表現を「推定した」という表現に改めるものである、とNature側が判断した結果だと思われます。
藤田先生のコメント
本結果を受けて、藤田先生ご本人にその経緯と考え、そして今後の予定をお話しいただきました。以下、藤田先生のコメントをまとめたものです。
Nature誌に発表した結晶スポンジ法ですが、もともとそのアイデアと実例は私どもの研究室に存在しておりました。しかし、化合物が結晶に吸い込まれ解析で構造が見えてくる確率は、せいぜい2-3割程度でとても実用的といえる技術ではありませんでした。この程度の成功率で価値を見いだすとしたら、相当に貴重な化合物の構造解析を達成する以外にありません。もし天然物の構造決定ができたらなら確率2割でも十分に評価されると考え、松永先生を訪ね単離天然化合物の提供をお願いいたしました。松永先生にはすぐに研究の価値をご理解いただき、Miyakosyne Aの貴重な試料をご提供いただくことができました。
Miyakosyne Aの構造を拝見し、正直私は、「これは不可能」と思いました。
まず「これだけ分子量が大きく柔軟性の高い化合物が結晶に吸収されるはずがない」「また吸収されたとしてもその位置が定まるはずがない」
と思えたからです。しかし、研究室若手が、挑戦して何とか構造を見てみたいと意欲を燃やし、また、挑戦するからには「駄目もと」で試す訳にはいかないと、類似のモデル化合物をつかって技術の向上を目指しました。約半年間の間にさまざまな技術的な改良を行い、ついには通常の有機化合物であれば8割程度は解析できる現在の「結晶スポンジ法」の技術が完成しました。miyakosyne A という大きな目標があったからこそ生まれてきた手法だったのです。
いよいよ本番で、数μgのmiyakosyne A を結晶スポンジと共存させたところ、予備的なX線測定、顕微IR等から化合物の吸収が確認されました。この時点で、「これだけの有機化合物が結晶に吸い込まれる」というだけで驚きの事実で、一同興奮を覚えながら解析にはいりました。
私は解析には立ち会っておりませんが、ホスト骨格にも微妙なdisorderが生じ、ホスト骨格の精密化だけでもかなりの時間を要したようです。しかし、まずホスト骨格に関しては十分な精度の結果が得られました。この時点でホスト内空間に捉えられているmiyakosyne Aの電子密度をクリアに観測することができました。しかし、論文のSIにも載せておりますが、精度はあまり高くなく写真に例えるならば「ピンぼけ写真」です。
ここから先、miyakosyne Aの構造は最小二乗の精密化計算(実測と計算の電子密度差を極少とする計算)を1原子、1原子慎重にアサインしながら行います。(データの質が低いため、まとめてアサインすると、計算がすぐに発散してしまうためです。)この過程では化学的にわかっている構造情報を最低限取り入れていきます。例えばC-C単結合とわかっている箇所はその距離情報を入れることで計算のパラメーター数を減らし、発散を押さえます。このような作業は通常のX線解析でも、収まりの悪い長鎖アルキルには良く行われます。この作業は、DFT計算でポテンシャル表面上の無数の鞍点から正しい遷移状態を求める作業と同じで、時間がかかる根をつめた作業がつづきます。このようにしてmiyakosyne Aの主鎖のアサインを終了したのち、C14の炭素上にメチル基の電子密度が観測され、その位置の精密化により、まずは14位S配置が暫定的に求まりました。
ここからは専門家とのdiscussionです。何人かの結晶学者と相談しましたが、我々の解析結果は悩ましいものであり、このような結晶内にあとから染み込んで共有結合で固定されておらず浮かんている状態の化合物は専門家といえども解析の経験がありません。データの質を判別するさまざまな数値(代表的なものはR値)はそこそこに結晶学の判定基準をクリアしておりますが、これは全体の平均値について判別しているにすぎず、肝心のゲストの構造の精度を判定できません。この時点で、結晶スポンジ法には構造決定のcriteriaが存在しないことに気がつきました。
結晶学者のアドバイスで、まず計算でR,S両方の配置をつくり、そこから最適化を行うという作業を行いました。おそらくどちらの構造でも収束してしまうのではと予想しましたが、実際にはS配置からは速やかな収束が起こり、逆にR配置からはなかなか収束がおこらず、長時間の繰り返しののち結局はS配置に収束しました。この結果で、我々はS配置を確信しました。最終的には、私が最も信頼できる結晶学者に生データを送り再解析を依頼するとともに、我々の解析結果について判定をお願いしました。その教授からのお墨付きがついたことで、我々も構造が正しく求まったものと完全な錯覚に陥りました。
私の最大のミスは、むしろ最後の論文執筆の際に、構造を「決定した」と明言して記述してしまったことでした。ここまで踏み込む必要はなく、corrigendumでも表現したとおり、”tentatively identify” で止めておけば、その後の合成研究で、初めてその構造が正しく求まったこととなり、何ら矛盾は生じなかったこととなります。この点は悔やみきれない点ではございますが、重大なミスに変わりはありません。天然物化学分野全体をお騒がせする大きなミスであったと反省しており、今後、世の中の数々の批判も真摯に受け止めるつもりでおります。
ミヤコシンAの再解析結果およびアサインを誤った考察については、続報論文にて報告するつもりです。また、来年の春季年会では結晶スポンジ法のscope&limitationと題し、ミヤコシンAの構造の誤りや、関連分野への謝罪の意も含めた発表をしたいと考えております。
最後に
「革新的な手法を開発したからさらにチャレンジしたい!」。研究の根幹ともいえます。今回、最大級に困難な化合物に挑んだことは勇み足であったかもしれませんが、藤田先生のコメントのようにこれが技術を格段に向上させ、発表に至るまでの精度に向上したのは紛れもない事実であると思います。データの扱いに気をつけなければならないという反面、まさに”Chem is try”ですね。本手法の有用性をさらに様々な困難なアプリケーションを通じてさらに向上させていただきたいと思います。一研究者として名誉挽回、今後のさらなる発展を期待します。
さて、話は変わりますが、C&ENに森謙治らの合成によって正確なmiyakosyneAの絶対立体配置が決定されたとありますが、どのような手法で行ったのでしょうか?こういう構造は単純な全合成や、Mosher法でも難しいので、大類法を用いて決定したのではないかと推定しますが、どうでしょうか。それにしても森先生未だに現役でパワフルですね。構造決定の論文が出版され次第続報を執筆したいと思います。
また本件に関して、お忙しいところ数多くの質問に化学者として真摯にお答えくださった藤田誠先生に感謝申し上げます。