タマネギに泣かされたすべての人に!感涙のイグノーベル化学賞2013
2013年イグノーベル賞化学部門に、「タマネギ涙の化学反応」を解き明かした、ハウス食品ソマテックセンター研究主幹の今井真介氏らが、受賞されました。祝・日本人受賞です。タマネギ涙の化学反応を仲立ちする酵素が発見されたことで、酵素の設計図となる遺伝子の機能を抑え込み涙のでないタマネギの作出が可能であることも証明しています。
昨日速報を出しましたが、もう少し詳しく書いた「詳説バージョン」です。原著論文を確認し、どのような経緯で発見につながったのか、そのアプローチをここに解説します。
もう泣かないで!その涙の理由を変えるもの
タマネギを切ると目にしみます。これはタマネギを切ると催涙成分が放出され目を刺激するからです。
従来、原料分子(図上部グラフィック灰色)から酵素反応ひとつで進むのだろうと信じられており、催涙成分(図左下グラフィック赤色)と風味成分(図右下グラフィック青色)の作り分けは未解明でした[3]。酵素が触媒するのは第一段階の中間体分子(図中央グラフィック紫色)までであり、中間体分子から催涙成分への変換に別の酵素が必要だとは思われていませんでした。あとは勝手に進むだろう、と思い込んでいたわけです。第一段階の原料分子から中間体分子への変換を触媒する酵素は、アリイナーゼという名前がついています。
確かに、原料分子とタマネギ抽出物を混ぜると催涙成分ができました。しかし、精製したアリイナーゼと原料分子を混ぜるとちっとも催涙成分を作ることができず、むしろタマネギの風味成分ばかりができました。この違いは「ありえないぜ!」と思い、タマネギ抽出物を分画してみることにしました。すると、中間体分子を催涙成分に変える酵素が、新たに見つかりました[1]。定説を覆す発見です。中間体分子へ速やかに酵素が作用すると催涙成分になり、酵素が作用せず時間が経つと自発的に風味成分に変わるという仕組みでした。新しく見つかった酵素には、催涙因子合成酵素(lachrymatory-factor synthase; LFS)と名前がつけられました。
新発見への糸口=「酵素反応が予想通りいかない……だと!」
実験手技が下手なだけかもしれないなどと先入観にとらわれずしっかりデータを出している点、尊敬してしまいます。実際には、酵素活性の評価にひと工夫あったり、ニンニクでも並行して研究を進めていたりなど、もう少しだけ事情は複雑であったようです[4]。
タマネギ抽出物を分画したところ高速液体クロマトグラフィでそれぞれ単一のピークを与える活性画分が得られたため、ここに溶けているタンパク質のアミノ酸配列を読みました。この情報をもとにタマネギから遺伝子をクローニングしました。得られた遺伝子配列を、遺伝子操作が容易な大腸菌に遺伝子導入して、複製タンパク質を精製すると、期待どおりの酵素活性が確認できました。やはりこのタンパク質は、中間体分子を風味成分ではなく催涙成分に変える第二段階を触媒する酵素だったのです[1]。
“Don’t cry for me: inhibiting the biosynthesis of lachrymatory factor could give rise to a no-more-tears formula for onions.”
さすがイグノーベル賞!?「わたしのために泣かないで」と風格あふれる図脚注(論文Nature 2002[1]中 Figure 2より引用)
催涙成分ができるか風味成分ができるか―「その涙の理由を変えるもの」の正体が酵素タンパク質だと分かると、調理上の次の工夫も納得できます。目にしみないタマネギの切り方は、昔から知られています。
(1)よく冷やしたタマネギを切る!
酵素反応には最適温度があります。冷やしておけば反応は抜群に進まなくなるという寸法です。わたし、小学生のときに、自然教室でカレーを作るときのタマネギが、めちゃくちゃしみた記憶があるのですが、家では冷蔵庫から出したばかりを切っていたからでしょうかね。
(2)よく切れる包丁を使ってタマネギを切る!
催涙成分の原料分子と酵素は、タマネギ細胞の別の区画にあり、組織がつぶれたときに混合して催涙成分を作ります。古くて砥がれていない包丁を使うとつぶれる組織が多く、砥がれたばかりの包丁を使えば切断面が鋭利でつぶれる組織が少ないため、よい包丁を使えば催涙成分の発生を少なくすることができます。あっ、そう言えば、小学生のときの自然教室で使った包丁、見るからに古かったし、あまり砥いでいなかったのかも。
(3)ゴーグルをしてタマネギを切る!
催涙成分が空気中に漂うならばそれをシャットアウトしてしまえばいいという最強の方法。かっこわるいとか言わないで!
泣かぬなら美味しくなろうタマネギ革命
冷えてなくても、包丁が少しくらい砥いでいなくても、わざわざゴーグルなんてつけなくても、タマネギで泣かなくて済む方法がもうひとつあります。生まれながら催涙成分ができないタマネギを作ってしまえばいいのです。ニュージーランドのコリー・イーディー氏とハウス食品の今井真介氏らで共同研究がはじまります。
従来、知られていた原料分子から中間体分子へ第一段階の反応を触媒する酵素のはたらきを抑えてしまうと、催涙成分だけでなく風味成分まで減ってしまいます。これでは文字通り味気ないでしょう。しかし、新たに発見された第二段階の反応を触媒する酵素のはたらきを抑えれば、催涙成分だけを減らして、むしろ風味成分だけを増やすことができそうです。ただし、タマネギ含め、生命はまさに、何が起こるか分からない究極の複雑系。実際に確かめてみないと、机上論[1]のとおりになるとは限りません。
催涙成分を作る酵素の遺伝子は分かりました[1]。そこで、RNA干渉(RNAi)を使って遺伝子発現を落としたノックダウンタマネギを作ることにしました[2]。ちなみにマウスと違い、植物では狙った遺伝子を完全に壊すノックアウトは現在できません。だからRNA干渉を使います。このRNA干渉は2006年のノーベル生理学医学賞に輝いた項目です。RNA干渉はヒトだけでなく植物でも確かに効きます。ノーベル賞だけあってRNA干渉の仕組みはどこかに解説があるはずなので割愛します。
実際に、RNA干渉を使ってノックダウンタマネギを作出すると、催涙成分がぐんと減りました[2]。泣かないタマネギの完成です。また、タマネギ自体の生育にきわだった変化は見られませんでした。この泣かないタマネギ、成分分析は報告されているものの、日本の法律だと、遺伝子組換植物は実験室でしか育てられず、実験室では飲食禁止なので、論理的に考えると誰も食べたことがないはずですが、いったいどんな味がするんでしょうね。先入観なしに食べ比べしたらきっと美味しいのではと思います。
こうして、涙のでないタマネギの作出が可能だと証明されました。この泣かないタマネギを作る遺伝子組換の方法は、すでに特許になっています[5]。最近は、DNAマーカーを用いて優良系統を選抜し、既存品種に目的の形質だけ引き継がせる分子育種も国内では盛んです。酵素遺伝子も分かったので、種苗会社が持つ何十何百種類というタマネギの中から酵素機能が弱い系統を探して、その形質を引き継ぐように品種改良すれば、遺伝子組換なしに泣かないタマネギを作ることも理屈上は可能だと考えられます。今回のイグノーベル賞で注目度もあがったことですし、投資が盛んになって予算が確保できたら、泣かないタマネギが実現するかもしれませんよ。
それにしても、今年のイグノーベル賞はずいぶん真面目だなぁと思うものです。
参考文献
- “An onion enzyme that makes the eyes water.” Shinsuke Imai et al. Nature 2002 DOI: 10.1038/419685a
- “Silencing Onion Lachrymatory Factor Synthase Causes a Signi?cant Change in the Sulfur Secondary Metabolite Pro?le.” Eady CC et al. Plant Physiol. 2008 DOI: 10.1104/pp.108.123273
- “The Organosulfur Chemistry of the Genus Allium – Implications for the Organic Chemistry of Sulfur.” Block E et al. Angew. Chem. Int. Ed. 1992 REVIEW DOI: 10.1002/anie.199211351
- ハウス食品「タマネギ研究でのイグノーベル賞受賞」(http://housefoods.jp/company/news/dbpdf/582478291567cc.pdf)
- Vector for suppression of lachrymatory factor synthase (LFs) in transgenic onions. (10/932950)