14-Step Synthesis of (+)-Ingenol from (+)-3-Carene
Jørgensen, L.; McKerrall, S. J.; Kuttruff, C. A.; Ungeheuer, F.; Felding, J.; Baran, P. S. Science 2013, 341, 878. doi:10.1126/science.1241606
インゲノール(Ingenol)は抗ガン活性を持つ天然物の一種です。その誘導体インゲノールメブテート(商品名Picato)は、皮膚ガン(日光角化症)の薬として、ごく最近(2012年)米国FDAより医薬承認を受けています。
チャボタイゲキ(Euphorbia peplus)と呼ばれる植物からの抽出で供給されていますが効率は悪く、大量供給法が望まれる現状です。後述しますが、これは化学合成・生物合成いずれの立場からも非常に難しい課題とされています。
これに合成化学からの解決を図ったのが、世界の注目を集めるPhil Baran教授。Picato開発元の製薬企業LEO Pharmaとコラボし、この複雑化合物を僅か14工程で合成。大量化学合成への道を見事に拓きました。
純粋全合成がScience誌に載るのは大変珍しいですが、これほどの圧倒的成果であれば誰しも納得せざるを得ないでしょう。今回はこの成果について紹介してみます。
なぜインゲノールの大量供給は難しいのか??
複雑天然物由来の医薬品を市販し、広く使ってもらうには、大量供給という課題をクリアせねばなりません。天然から大量抽出できない場合には、遺伝子組み換え微生物による発酵法(こちらのケムステ記事も参照ください)が一つの王道です。しかしインゲノールの場合は生合成経路に未解明の部分が多く、効率向上の戦略が立てられないという現実に直面しています。
生物供給の現実性が低い場合、すがれるのは化学合成のみ。しかしインゲノールの化学合成は、たとえ少量であっても世界レベルの頭脳が解決を数年がかりとする難問です。
最も困難を極めるポイントは、「In-Out構造」と呼ばれる類を見ない骨格の構築です。インゲノールの環を構成する炭素鎖は、橋頭位から互いにそっぽを向いて生えています(下図の矢印)。このせいでインゲノール骨格は大きな歪みを持っており、普通の化学反応では構築することができません。
この難題は歴史的にも、合成化学者の格好の研究標的となってきました。インゲノールの全合成は過去3例が報告[1]され、いずれも「In-Out構造」の構築に三者三様のエレガントなアイデアが用いられています。(下図)。いずれも大変な苦労が強いられるとともに冗長な全合成工程(37~45工程)が必要で、とても実用に堪える経路ではありません。
そもそもの合成難度が高すぎるため、インゲノールを化学合成で供給することなど到底不可能だ、と考えられてきたのです。
Baranらの合成戦略 ~生合成経路のブラックボックスを仮説で埋める~
そのような背景にあって今回の14工程経路が登場し、インゲノールの化学供給は一挙に現実味ある話になりました。
超短工程化の実現に威力を発揮しているのが、「生合成模倣型2-phaseアプローチ」というBaran教授独自の考え方です[2]。簡単に説明すると、天然物は「環化酵素経路」によって骨格構築を経た後に、「酸化酵素経路」で酸化を受けて生合成される。これを模倣することで、人工合成経路でも短工程化が実現されるだろう、とするアイデアです(下図はタキソールにおけるとらえ方の例)。
(画像は論文から引用)
この指針に基づきBaran教授は、Tiglinane型骨格を「環化経路」で構築し、鍵となる転位を経てIngenane型骨格へと変え、引き続き「酸化経路」での酸素導入を行うことでインゲノールが合成できるだろう、との発想に至っています。
生合成経路に内在する合理性をアピールする意図からも、この考察は効果的なプレゼンテーションになっています。ただしインゲノールの生合成経路は多くが未知であり(casbaneまでは既知)、そういう事情もあってか彼らも鍵反応以外はトレースしてい ません。「生合成経路はこういうものだ」とする証明に示唆を与える目的は無く、その仮想からインスピレーションの種をみいだし、あくまで短工程化を実現させることを主目的にしているからでしょう。
2-phaseアプローチによる14工程経路の実現
それでは実際の合成経路を見てみましょう。最終的には既存経路よりも20工程以上を短縮。「生物を超えた!!」としても過言ではない、素晴らしい経路に仕上がっています。
彼らが出発原料に選んでいるのは、安価な(+)-careneという化合物。かさ高いジメチルシクロプロピル基を、炭素鎖導入の立体制御要因として捉えています。5工程を経た後は「環化経路」のハイライト・Pauson-Khand反応です。これによりTiglinane型骨格の5-7-6システムが一挙に構築されます。その後1炭素を加えて「環化経路」を終えています。
次なるハイライトは、TiglinaneからIngenaneへ至る鍵となるピナコール型転位。条件はシンプルそのものですが、後処理法も含めた反応パラメータに絶妙な最適化が必要だったそうです。野心的経路につきものの苦労がここでもやはりあり、「この転位の実現に8ヶ月を費やしたが全く上手くいかず、経路を諦める寸前までいった」(Baran研ブログより)と述べられています。
その後、セレンを用いたC-H酸化などを経て「酸化経路」を終え、インゲノールの全合成を達成しています。
しかしここでプロジェクト完了!では無く、「全合成してから、大量合成に向けての最適化検討に6ヶ月かけた」(Baran研ブログより)そうで、完成度の追求にも余念がありません。流石に超一流のラボといえるでしょう。
化学を超えて科学に至った経路
工程数の短さや派手な鍵反応は確かに見るべき点ですが、それは他の優れた全合成研究にも多かれ少なかれあるものです。しかしこの論文は、「他の仕事に無いもの」を語りかけているように思えます。
筆者が一読して最も凄みを感じたのは、「生合成模倣型2-phaseアプローチはその本質として、骨格レベルで構造多様性を生み出せる」ことを暗示している点です。
例えば中間体のTiglinane骨格を持つものに、ホルボールと呼ばれる重要生物活性天然物があります。これも合成難度の高いものではありますが、途中でバイパスすれば同じ発想でアプローチできるだろうことが、論文中でさらりと示されています。また用いる酸化反応を変えて「酸化経路」を調節してやれば、官能基レベルの多様性・誘導体化も行えます。これらは新たな医薬シーズの提供に直結することになります(下図)。
ほとんどの合成化学者は、生合成模倣経路をして「単一の化合物をいかに効率よく合成するか」という手段と捉えているように思えます。
しかしBaran教授は、「生合成経路に学べば、骨格の違う他のタイプの天然物も片が付くし、たとえそれが自然界が生み出しえない誘導体であっても、必然的にたどりつける道である」という、確たる洞察を持っていると思えます。これはまったく非凡そのものな視点です。
「ものづくり」だけに拘る視点からは絶対に見えてこない領域を見てこそ、仕事が「サイエンス」たりうる――多くのことを我々に学ばせてくれる、優れた研究ではないでしょうか。
関連文献
[1] (a) Winkler, J. D.; Rouse, M. B.; Greaney, M. F.; Harrison, S. J.; Jeon, Y. T. J. Am. Chem. Soc. 2002, 24, 9726. doi:10.1021/ja026600a (b) Tanino, K.; Onuki, K.; Asano, K.; Miyashita, M.; Nakamura, T.; Takahashi, Y.; Kuwajima, I. J. Am. Chem. Soc. 2003, 125, 1498. doi:10.1021/ja029226n (c) Nickel, A.; Maruyama, T.; Tang, H.; Murphy, P. D.; Greene, B.; Yusuff, N.; Wood, J. L. J. Am. Chem. Soc. 2004, 126, 16300. doi:10.1021/ja044123l[2] Chen, K.; Baran, P. S. Nature 2009, 459, 824. doi:10.1038/nature08043
関連書籍
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関連リンク
- 全合成ニュージェネレーション (有機化学美術館)
- 北の求道者、大いに語る(有機化学美術館) インゲノール全合成を達成した一人、谷野圭持教授について
- Baranのエレガントな合成とレドックスエコノミー(気ままに有機化学)
- New method to synthesize ingenol published in Science LEO Pharma社からのプレスリリース