塩はどの家庭にも置いてある身近な化学物質です。小学校の理科でも塩の主成分が塩化ナトリウムであることは教えます。そんな身近な塩化ナトリウムではありますが、さてどれだけ塩化ナトリウムのことを普段気にかけていますか?
我が国では昔から塩は神事や仏事に用いられるなど、神聖な意味合いを持つことも少なくありません。店舗の玄関には塩を盛っておき、商売繁盛のげんをかついだりします。様々な場面で登場する身近な”塩”にスポットを当てることにして、少しだけ塩化ナトリウムのことを掘り下げてみたいと思います。
今回のポストはNature Chemistry誌よりTulane大学のBruce C. Gibb教授によるthesisをご紹介します。前回はこちら
Salt of the Earth
Gibb, B. C. Nature Chem. 5, 547-548 (2013). Doi: 10.1038/nchem.1684
Nature Chemistry誌の名物と言えば、毎号巻末に掲載されるとある元素に関するエッセイ(In Your Elements)です(今月はこちら)。筆者は毎号楽しみにしています。元素一つとっても、様々なストーリーがありますが、化合物に関するショートストーリーというのはあまりありませんね。身近な塩一つとっても一家言ある方はたくさんいらっしゃると思うのですが、あまり聞きません。
最近では塩の受容体、すなわちどうやって塩味を感知するのだろうかという問に関する報告があったりします[1]。意外に思われるかもしれませんが、味覚や嗅覚の受容体はいまだに不明な部分が多いので、その研究は現在でもホットなトピックです。報告によるとこの受容体を機能できなくしてもまだ塩味を感じることができますし、塩化カリウムのちょっと金属臭い塩味を感じることができます。これはすなわちまだ塩化ナトリウムの受容体は他にもあるのかもしれないということです。
塩は調味料としてほとんどの料理に使われますが、それ以外にも、保存料として、繊維の洗浄や漂白剤として、革製品をなめしたり、場合によっては住居になったりします。太古の昔から塩は生活に密着した化学物質であることから、現代における石油のように塩が経済的に重要な役割を果たした時代もありました。いかにして塩を得るかについては、きちんとした科学的根拠が確立する前には秘中の秘であって、擬似科学の温床にもなっています。近代では塩の生産は政府の管理下に置かれることも多々あり、我が国でも専売公社というものがその昔独占していました。古くは塩が税になったりして、フランスでは悪名高いgabelleという塩税があったそうで、かのフランス革命の遠因とも言われています。
画像は論文より引用 © TONY CAMACHO/SCIENCE PHOTO LIBRARY
話しを現代に戻しましょう。皆さんは年間どれくらいの塩が生産されていると思われますか?なんと二億七千万トンだそうです。これは工業製品の巨人、アンモニアや硫酸を凌ぎます。ではそのうち食用に使用されているのはどれくらいでしょう?なんとたったの2パーセントです。20パーセントは融雪剤として道に撒かれ、あなたの車のボディにダメージを与えています。
工業的に重要な用途としては炭酸ナトリウムの製造、すなわちソルベープロセスがまず挙げられます。
2NaCl + CaCO3 Na2CO3 + CaCl2
炭酸ナトリウムはガラスの製造にも欠かせないので生活に密着した用途に用いられる化学物質です。
次に工業的な用途として重要なのはCastner-Kellerプロセスによる塩素の製造です。
2 NaCl + 2 H2O Cl2 + H2 + 2 NaOH
一般的には少し馴染みのない反応ですが、要するに塩化ナトリウムの電気分解です。作った塩素を何に使うのかというと、身近にある塩ビ、すなわちポリ塩化ビニルの製造でしょう。住宅の配水管などでよく見る灰色のプラスチックの管は大体塩ビです。塩ビは安く、加工が容易で、丈夫で長持ちとプラスチックの優等生です。塩ビは年間4500万トン生産されているそうなので、必要な塩素も大量です。
その他にも現在では15000種類以上、約52%の化学製品に塩素原子が含まれているそうです。このプロセスの問題点は電極に水銀を用いることでして、国連では2015年までにはこの水銀に代わるプロセスに置き換えていくことに140カ国が署名しています。
Castner-Kellerプロセスでは塩素の他に水酸化ナトリウムが生成します。塩素と同時に水酸化ナトリウムが得られることから、この反応を行う工場をchlor-alkali工場と称したりします。ソーダ工業なんていいますよね。水酸化ナトリウムも工業的に重要な物質ですので、多くの塩ビ製造業者はこれを利用した製品も作っていたりします。
また水酸化ナトリウムはBayerプロセスにおけるボーキサイトからアルミニウムを得る過程で用いられていることを忘れてはいけませんね。
もう一つの生成物である水素も用途は様々です。そのままプラントの燃料にもできますし、Harberプロセスにおけるアンモニアの原料となったり、脂肪酸や石油の水素添加(クラッキング)にも使われます。
塩にまつわる雑多な話の数々でしたがいかがでしたでしょうか。さあ明日の昼食で、もしくは食事の準備で塩をパラリとふりかける時は、美味しくいただくことはもちろんのこと、単なる調味料ではなく、塩は人類の文明を支える大黒柱であることを思い出して下さいね。
関連文献
2006).
Molecular Gastronomy: Exploring the Science of Flavor (Columbia Univ. Press,