わたしたち人類は、化学の方法論が確立して以来、多種多様、膨大な数の分子を見つけ、また新たに合成してきました。この広大な化合物空間に不可能を可能に変える奇跡の組み合わせがいまだ眠っていると考えられています。
遺伝子導入なしにiPS細胞を作る。今まで多くの人が、それは難しいだろうと考えていました。導入する遺伝子を一部だけ代替したり、あるいは作成効率や作成時間を改善したりすることはできても、全部ひっくるめて取りかえる条件はそう簡単には見つからないし、そもそもあるかどうかも分からない、と。
そして、化学物質だけでiPS細胞の作成を達成。そんな、驚愕の成果[1]が公表されました。山中因子4つのいずれも使用せず、したがってウイルスを使うなど遺伝子導入なしに、マウス体細胞からiPS細胞の作成に成功したようです。7種類の化合物を使った場合は効率0.2パーセントであり、効率はさらに10分の1未満に下がるものの4種類の化合物でも可能とのこと。サイエンス誌の電子速報版(Science Express )で取り上げられているほどなので、たくさんの人が注目すると考えられます。
*ケムステ過去記事『化学物質でiPS細胞を作る』参照
何の気なしに「今後も期待しておきましょう 」なんて言っていたところ(ケムステ記事『化学物質でiPS細胞を作る』参照)できちゃいました。今回の「化学iPS細胞」に必要な4化合物は、以下の通り。
「いったいどうやってこんな組み合わせを見つけたんだ?」とまずは思いたくなります。概要だけ解説します。
不可能を変えた奇跡の組み合わせに迫る?
試した化合物はおよそ10000種類。試薬会社10社から取り寄せたいわれのある9903化合物を組み合わせ、さらに研究室独自の88種類を加えて、バラエティーに富んだ化合物ライブラリを構築しています[1]。一部、単独ではすでに医薬品や実験試薬になっている化合物も含まれます。
そして、かなり込み入った条件の化合物選抜を複数回にわたって行っています[1],[2]。そこから、さらに最少化・最適化を試行錯誤で進めています[1]。論文著者を見てみると筆頭以下6人にContributed equallyがついています[1]。とてもじゃありませんが、1人ではできない実験量でしょう。
論文[1] Fig. S30 より
遺伝子名(青六角形)略号; O(Oct4), S (Sox2), K (Klf4), M (c-Myc)
化合物名(赤長方形)略号; FSK(foskolin), VPA(valproic acid), CHIR(CHIR99021), Tranyl (tranylcypromine), DZNep(3-deazaneplanocin A)
成功への糸口は、山中因子4つのうちOct4遺伝子だけの使用で可能にしたバルプロ酸・CHIR99021・61452・トランスシクロプロミンの組み合わせ[2]のようです。ここにフォスコリンを加えるだけでは上手くいっていなかったところへ、さらに化合物選抜を行ってデアザネプラノシンを見つけ出してきたことが、完全な化学iPS細胞への突破口になりました。
(1) 化合物選抜のおかげでフォスコリン・バルプロ酸・CHIR99021・61452・トランスシクロプロミン・デアザネプラノシンの6化合物により最初に化学iPS細胞が成功しました。
(2) この6化合物から1化合物ずつ抜いてみたところ、バルプロ酸・トランスシクロプロミンの2化合物はなくても効率が下がるだけでしたが、フォスコリン・CHIR99021・61452・デアザネプラノシンの4化合物がないと上手くiPS細胞を作ることができず、不可欠な成分であると判明しました。
(3) 他方、フォスコリン・CHIR99021・61452・デアザネムラノシンの4化合物を使えば、10分の1未満に効率が低下してしまうものの、iPS細胞の作製自体は可能であり、4化合物が最少の組み合わせだと判明しました。
(4) 作成効率を上げるため7化合物に加えたTTNPBは、別の化合物選抜で取れてきたものであり、0.2パーセントまで作製効率が改善されました。
なお、iPS細胞作成の成否は、細胞レベルで作ったiPS細胞を調べるのみならず、胚盤胞の状態の胚に、作ったiPS細胞を注入して得たキメラマウスによって確めています。
本文以外にもSupplementary Figureは30枚にも及び、かなりのボリュームが感じられます。論文の真贋が気になる場合はじっくり読み込んでみるといいでしょう。
さらなる改良に期待
今回の0.2パーセントが高いのか低いのかというと、最初の報告としては、そこそこ目を引く数字ではないかと思います。ただ、現在、急ピッチで臨床試験が進められようとしている技術は、そのまま比較できる数値ではないものの90パーセントであるとかもっと桁違いに高い数値を、近いうちに達成する目標として掲げています。化学iPS細胞を医療応用するには、さらなる改善でこれに追随する必要があります。
医療応用を見据えて、iPS細胞の作製はどの方法が好ましいか、現段階では素人考えで一方的に決めるつけることはできません。それぞれにどういうリスクがあるのか、実験動物でデータを取り、最後にはヒトでも確認し、しがらみなく公正に研究を進め、しっかりと見極めなければならないでしょう。ウイルスを使う方法だけではなく、プラスミドを取り込ませる方法や、遺伝子産物を取り込ませる方法など、他にもいくつかあります。もちろん、専門家だけのことだと無関心を装うのではなく、市井でも議論し興味を高めること自体は、よいことだと思います。
ただ「小分子化学物質だけでは無理だろうというまさかの思い込みをぶち壊した」、そして「無限に広がる化合物空間から不可能を可能に変える奇跡の組み合わせを実証した」という点で、やはり驚愕の成果です。今後さらなる最適化を目指すにあたり、分野を超えて参入も加速しうることと考えられます。
参考論文
- “Pluripotent Stem Cells Induced from Mouse Somatic Cells by Small-Molecule Compounds.” Hou P et al. Science 2013 DOI: 10.1126/science.1239278
- “Generation of iPSCs from mouse fibroblasts with a single gene, Oct4, and small molecules.” Li Y et al. Cell Res.2011 DOI: 10.1038/cr.2010.142