6月なので6にちなんで、原子番号6番、炭素Cにまつわる「6」の話を記事にしたいと思います。
炭素原子と言えば結合を作る手は4本だということは、理科好きならば中学生でも常識扱いされる有名なことかもしれません。4本しか手がないのであれば、4よりも多くの方向へ結合の手がのびることはなさそうです。
しかし、特別な場合には「炭素原子が6方向に結合の手をのばす分子」もあるのです。しかも、それが実験室で作った人工の合成物だけでなく、生き物が作った天然の化合物にもあるというから驚きです。
わたしたちヒトの手足は4本、昆虫の手足は6本、カニははさみを入れて10本というように、手足の本数は決まっています。はっきりと記録に残っているところによれば、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンベニトで見つかったヤスデのなかま(Illacme plenipes)は666本もあった[4]ようで、こうなってくるともう数えるだけでも大変そうです。
わたしたちと同じように、元素ごと、原子が結合を作る手の数もまた、ある程度、決まっています。
中学校や高校で習うとおり、簡単に手に入る化合物の場合、炭素原子が結合を作る手の数は、みな4本です。例えば、都市ガスの主成分であるメタンも、お酒に含まれているエタノールも、二重結合がふたつある二酸化炭素分子も、炭素原子の手の数は4本です。さらには、大学に入って、軌道(orbital)の考え方を学ぶと、炭素原子が結合を作る手の数は確かに4本だということが、自然と納得させられます。4本しか手がないのであれば、4よりも多くの方向へ結合の手がのびることはなさそうです。
炭素原子から結合の手が4よりも多くの方向へのびた分子はないのか?
実は、結晶を取った上で、分子の中で原子がどの位置にあるか立体構造を調べることができるほど安定な化合物に限定しても、いくつか[1,5]あるんです。しかも、実験室の中で人工的に作られた化合物にとどまらず、最近[6]になって草花や木々が生え微生物の住まう土の中にも発見されてしまいました。
4本から6本へ とはつまりこういうことデス! 画像はフリーの素材[8]を拝借して加工
では、ミュージアムに立ち寄ったつもり(※)で、炭素原子から手がのびた分子のかたちをお楽しみください。どうぞ。
※より正確には「超原子価」・「多中心結合」・「クラスター」・「分子炭化物」といった概念を説明したほうがいいのですが、それなりに納得できる説明をつけているものの、しっかりとは解説していません。もしそうすれば、実際は大変な文量になるからです。
金属元素がナシの場合
人工の化合物のうち、軌道が単純な炭素C・水素H・酸素O・窒素Nといった典型元素でできた分子を、先にご紹介します。まずは、どういう具合になっているのか想像しやすい準備体操として、炭素原子から結合の手が5方向にのびるこちら。
いわゆるSN2反応を思い出せるとどうなっているのか想像しやすいのですが、さながら、左の酸素原子が中央の炭素原子に攻撃、次の瞬間には、右の酸素原子が中央の炭素原子に攻撃というふうに、量子レベルのものすごい速さ、それもシュレディンガーの猫が箱の中で死んだり生き返ったりするくらいのスピードで、真ん中の炭素原子が2方向から往復ビンタをくらっている、そんなイメージでしょうか。箱の中で猫が死んでいるのか生きているのか分からない状態にあるように、3つの共鳴構造がかさなってバランスを取った5方向に結合の手をのばすかたちで結晶が得られ、立体構造が明らかにされましています[2]。
結合の手が6方向の場合は、というとこちら。 4より多くの方向に結合の手がのびる理屈は同じです。
共鳴構造をすべて書くと長ったらしくなるので、かなめになるふたつだけピックアップして図にしました。真ん中の炭素原子は、4方向から往復ビンタということになります。6方向に結合の手をのばすかたちで、結晶構造解析がなされています[5]。
さて、それでは、次に金属元素アリで、6方向に結合の手をのばす炭素原子をご紹介します。天然に見つかった6本の手を持つ炭素原子というのも、実はこちらのタイプです[6]。
金属元素がアリの場合
金Au・鉄Fe・モリブデンMoといった遷移元素が絡んでくると、原子軌道はじめ、本当に理解しようとすると必要な知識が少しばかり増えるので、お手元に大学の無機化学の教科書があればそちらを、なければそういうものだということでおゆるしください。
6方向から別の原子に囲まれた炭素原子ということで、いきなりドンと有機金化合物のこちら[1]。
18枚のベンゼン環で守られたその姿は、さながらサイエンスフィクションの世界に登場する宇宙要塞を思わせます。他にも変わった構造の有機金化合物が合成されており、元素の金が持つ性質には目を引いてしまいますが、6本の手を持つ炭素原子が中心にあるこの分子[1]もそのひとつです。
そして、もうひとつ、金属元素と結合を交わした分子で紹介したいものがあります。天然にも6方向に結合の手をのばす炭素原子が見つかった[6]というこちらです。
この分子、自然界のどこにあるのかと言うと、土の中。空気中の窒素ガスを、植物の肥料になるアンモニア態の窒素栄養分に変える、細菌のニトロゲナーゼという酵素です。この酵素タンパク質は、例えば、レンゲソウやダイズなどマメ科植物に共生する根粒菌が持っています。炭素原子の周りの構造はというと、モリブデン(Mo)と鉄(Fe)を含んだこちら。炭素原子は、6方向を鉄原子と接しています。
一般にタンパク質結晶構造解析で水素原子は見えないので一部省略
タンパク質立体構造はPDB(Protein Data Bank)より
もともと、ニトロゲナーゼに鉄やモリブデンがくっついていることは知られていました。しかし、ニトロゲナーゼを結晶にし、タンパク質の立体構造[3]を調べてみるとびっくり、6つの鉄原子の中心に、謎の原子があったのです。その時点[3]では、酸素か炭素か窒素いずれか軽い元素の原子だろうとしか、分かりませんでした。
そこで、あらためてニトロゲナーゼが調べられ、各種のスペクトル情報を鉄モリブデン補因子のない変異タンパク質と比較[6]し、また密度汎関数法を使った量子力学シミュレーションの結果[6]と照らし合わせることで、やっとはっきりしました。中心にあるのは、炭素原子である、と[6]。さすが窒素固定、こんな奇抜な構造を、酵素に要求するとは、驚愕です。
生物界で他に例のないこの構造を窒素固定細菌がどう作るのか、さらに生合成の経路も判明[7]しました。炭素原子が挿入される時期は、まだモリブデンが結合していない、鉄と硫黄の上半分と、鉄と硫黄の下半分が合体する頃[7]。どのように炭素原子がもたらされるのかというと、アデノシルメチオニン(S-Adenosyl methionine)いう化合物に由来するとのこと[7]。アデノシルメチオニンは、分子に1炭素が増えるときは細胞にとって定番の化合物で、細菌からわたしたちヒトまで共通して見られます。
もしを叶えるサイエンス
化学反応の触媒や、中間体、そして化学理論の進歩に、変わりもの分子は貢献してきました。また、実験室の中で合成されたものしか存在しないと思われていたものが、自然の中に見つかると、好奇心がわいてもっと知りたくもなります。もし炭素原子の手が6本あったら……不可能を可能に変え、新しい夢をつくることも、科学の役割でしょう。
他にもあります
三中心二電子結合を考えると、5方向に結合の手を持つ炭素原子としてトリメチルアルミニウム。さらに超芳香族性を考えれば、6方向に結合の手を持つ炭素原子としてカルボランもあります。詳しくはケムステ記事「今日の分子『トリメチルアルミニウム』」・「気になる化学用語『カルボラン』」をご覧ください。立ち入ると文量が重くなりすぎてしまうと感じ、とっておきのニトロゲナーゼの話をするために、割愛しました。
参考文献
[1] “Aurophilicity as a Consequence of Relativistic Effects: The Hexakis(triphenylphosphaneaurio)methane Dication [(Ph3PAu)6C]2+.” Scherbaum S et al. Angew. Chem. Int. Ed. 1988 DOI: 10.1002/anie.198815441 [2] “Synthesis and Isolation of Stable Hypervalent Carbon Compound (10-C-5) Bearing a 1,8-Dimethoxyanthracene Ligand.” Kin-ya Akiba et al. J. Am. Chem. Soc. 1999 DOI: 10.1021/ja992719g [3] “Nitrogenase MoFe-Protein at 1.16 A Resolution: A Central Ligand in the FeMo-Cofactor.” Einsle O et al. Science 2002 DOI: 10.1126/science.107387 [4] “Rediscovery of the world’s leggiest animal.” Marek PE et al. Nature 2006 DOI: 10.1038/441707a [5] “Synthesis and Structure of a Hexacoordinate Carbon Compound.” Torahiko Yamaguchi et al. J. Am. Chem. Soc. 2008 DOI: 10.1021/ja710423d [6] “X-ray Emission Spectroscopy Evidences a Central Carbon in the Nitrogenase Iron-Molybdenum Cofactor.” Lancaster KM et al. Science 2011 DOI: 10.1126/science.1206445 [7] “Radical SAM-Dependent Carbon Insertion into the Nitrogenase M-Cluster.” Wiig JA et al. Science 2012 DOI: 10.1126/science.1224603