ベンゼンテトラアニオン誘導体の合成に成功,芳香族化合物の理解 深まる.
日本を代表する絵画のひとつ、江戸時代の画家である俵屋宗達による代表的作品「風神雷神図屏風」。ふと思い起こして、見比べてみると、あら不思議。フェロセンが太鼓にも見えるし、手足の指も5本ずつだし、これはネットスラングで言うところの 完 全 に 一 致 というやつでは。そっくり!?
冗談はさておき。この「雷神分子(仮名)」の胴体にあたる中央の炭素六員環にご注目。金属元素のイットリウムに挟まれて、よくよく考えてみると電荷がおもしろげなことになっています。テトラアニオン(四価陰イオン)になっており、数えてみるとパイ電子はちょうど10個です。10は4で割り切れないため、ヒュッケル則を満たすことになりますが、はてさて実際に作って調べてみると芳香族になるのでしょうか。
ベンゼンテトラアニオン
ベンゼンテトラアニオンは芳香族性を持つのか、合成・単離・結晶構造解析の結果[1]はいかに?
イギリスの歴史的に有名な科学者、かのマイケル・ファラデーが、鯨油を化学変化させベンゼンを単離したのは1825年のこと。月日は流れ、それ以来ずっと、芳香族性(aromacity)は化学の広い分野にわたって基礎となる重要な概念のひとつでした。
実際、芳香族性の話題は、大学学部教育おそらく1年めの化学で登場する重要なトピックのひとつと言ってもよいでしょう。学ぶであろう内容のうち、パイ電子の個数が4で割って2余ることを要求するヒュッケル則は、芳香族性を議論するためのよく使われる指標であり、シクロペンタジエニルアニオンやシクロヘプタチエニルカチオンなど、正負の電荷を帯びたイオンでもしっかりとあてはまります。
さて、雷神のようなかたちでイットリウムが配位した冒頭のベンゼンテトラアニオン誘導体。目をつけるべきところは、雷のように「電子が走っているか」にあります。ヒュッケル則が満たされていても、電子が非局在化して、炭素六員環の上をぐるぐる回っていなければ、芳香族性を持ちません。
ベンゼンテトラアニオンは芳香族性を持つのか
環のすべてが炭素原子でできた芳香族化合物のうち、ベンゼンテトラアニオンは2013年[1]以前まで単離の例がなく、そのため芳香族性を持つかどうか、ほとんど検討されていませんでした。最近になってフェロセンジアミド配位子を使うと金属元素が芳香族炭化水素をサンドイッチのように挟み込むことができると2011年に判明[2]し、この性質を足がかりにして研究が展開され、冒頭の、雷神のようなかたちの分子が合成されました[1]。結晶も得られて、立体構造も解かれています[1]。
イットリウム原子について核磁気共鳴(nuclear magnetic resonance; NMR)スペクトルを調べてみると、ベンゼン環に配位させていない状態で370ppm、ベンゼン環に配位させて雷神のようなかたちの分子にすると189ppmでした。この数値が示唆するところによると、期待どおりベンゼンテトラアニオンとイットリウム原子で相互作用しているようです。密度汎関数法(density functional theory; DFT)で量子力学計算した結果も合わせて、期待どおり芳香族性を持つだろうと推論されています[1]。
イットリウム89(89Y)の化学シフト(chemical shift)値
「分子の構造」とは、「分子のかたち」はもちろん、広い意味で「分子の運動する様子」や「電子の分布」をも含む概念です。これらひとの目ではそのまま見ることのできない「分子の個性」が、どうにか工夫して見えたとき、わたしたちは、この世界に存在する多種多様な物質が持つ性質それぞれを支える本当の姿に迫ることができます。さながら、自然法則をすべる神様が、ちょっとだけ振り返り、こちらにほほえんでくれる、わけです。
こちらは神様というより鬼?宇宙人?電撃嫁?
巧妙な方法でベンゼンテトラアニオンの性質を垣間見ることができて、芳香族化合物一般の理解はさらに深まりました。
参考文献
[1] “A six-carbon 10p-electron aromatic system supported by group 3 metals.” Huang W et al. Nature Communication 2013 DOI: 10.1038/ncomms2473 [2] “Scandium arene inverted-sandwich complexes supported by a ferrocene diamide ligand.” Huang W et al. J. Am. Chem. Soc. 2011 DOI: 10.1021/ja204304f