既にお伝えしましたとおり、ケムステが「化学コミュニケーション賞2012(団体)」を受賞する運びとなりました。
副代表の私もサイト運営を通じ、本当にいろいろなことを考え、様々な経験をしました。非常に感慨深いものがあります。
これまで代表以外のメンバーは出自を明らかにしてきませんでしたが、今回の受賞を機に私も身分を開示することにしました(この業界は実に狭いので、周りには既にバレバレ、今更感もあるのですが・・・)。私のオフィシャル身分は大学教員(助教)で、こちらのラボで研究に従事しております。専門は有機合成化学(触媒開発)です。
そんな自分がどういう経緯で「ケムステ運営」に関わることになったのか・・・
本ブログは「つぶやき」という自由度の高い場なので、自分にとっての「ケムステルーツ」を述べてみるのも悪くない気がしました。まったく「誰得記事」ではありますが、たまにはこういう昔話も悪くないでしょう。おつきあい頂ければ幸いです。
※ 以下はあくまで副代表個人の主観に基づく内容であることをご了承ください。
なんで私がケムステに?
時は2002年。当時の私はインターネット技術の虜でもあり、漠然と「将来は化学を専門にしようかな」と考えてもいた理系学生でした。
そんな自分にとって、当然ながらChem-Stationは当時から存在感の大きなサイト、ある日「運営スタッフ募集」の文字が目に止まりました。即座にこう直感しました。
「巨大化学サイトを自分で発展させられるのなら、誰も読まないホームページを趣味で更新し続けるより、ずっと生産的だしオリジナルでは? 他分野にはここまでの充実度を見せるシステマティクな学術サイトはどこにも無いのだし」
「こんなサイトを作る人って、いったいどんな人達なんだ。規模が大きいからメンバーも沢山いて、きっと名のある化学者達に違いない! ならば今から仲良くなっておいて絶対に損は無いはずだ!!」
すぐに「参加希望」のメールを送りました。しかしその一方で、内心こうも思っていました。
「学術サイトの運営スタッフだったら、知識面で足手まといになってしまうかも知れない。しかしHTMLやホームページの作り方ならわかる!だから化学のほうは、サイト運営を手伝いながら勉強していけばいいかな」
・・・そう、当時の自分は大学3年生。専門レベルの化学などろくに勉強していなかったのです。よくよく考えればまったく不合理な理由でケムステへの参加を決めてたわけですね。いやぁ、若さって怖いですねー(笑)「ケムステ管理に最低限の知識水準が必要です」なんて要求項目が仮にあったとしたら、自分など加入すらできなかったことでしょう。
とはいえ、どっちみち化学は勉強するつもりでしたし、続けているうちに何とでもなっていくものですよ(実例=自分)。
後でわかったことですが、「化学に興味があって、ホームページ管理が出来て、継続できる時間的余裕のある人間」というのは、本当にレアだったのです。私のような人間でも、当時はどうにも貴重だったらしい(笑)
とんでもない代表
そんな自分を快く迎えてくれた代表の懐の深さは流石としか形容できませんが、ほどなく年もそう違わない彼が、ほぼ独力でケムステを管理していた事実を知ります。
どっかの大学教員が、複数組んでやってるんだろう・・・とばかり思っていたのですが、その事実を聞いて、「凄い」をすっとばして
「なんじゃそりゃ、そんなのアリなのか!?」
と何ともいえない衝撃を受けました。
作業量云々よりも、「化学を語ることは大学や教授陣の専売特許でもなんでもない。ネットの力を借りればいち個人、いち学生でもそれが実現できる」―この視点が私にとって目から鱗、最大のインパクトだったのです。今でもこれは、自身を構成するルーツの一つになっています。
その後しばらくして、私自身も有機合成系ラボに配属されることになりました。その例に漏れず労働量は凄まじく、加えて周りは頭の回るメンバーばかり。それまで「すんません朝起きられませ~ん」と言ってはばからない、ダレダレな日々に漬かった学生でしたから、矯正に相応の努力を要したのは言うまでもありませんね。結局、ケムステと研究の並行作業ペースをつかめるまで、2年ほどを要した気がします。
しかし当時から鬼仕事っぷりを発揮してやまない代表、「寝ない」と言ってはばからず、夜3時にメールを送ってもすぐ返信がくる、加えて異常な実験量を誇っていたそうで(ラボが違ったので詳細不明ですが)・・・。「こりゃー体力気力勝負ではまったく勝ち目ねーな」と痛感せざるを得ませんでした。こんな方を見ていますと「働き過ぎ」という意識は自然に消えて無くなります。「必要だからやらねばならない、とにかく頑張らないと置いて行かれる、サボることに益など無い」という考え方になります。
しかし現実としてこんな代表を真似すると自分のほうが死んでしまうので(苦笑)、無理ない作業量に落ち着かせてはおりましたが。試行錯誤の末、「日曜休んで週70-80時間ラボで働くペース」を採用しました。こんなでもずいぶん働いた実感はあります。その上でさらに自分の時間を作りたい――もしも本気でそう思えるのなら、それは可能だと断言できます。何しろ私自身、この上に業務時間外のケムステ作業を続けていたわけですから。(他ならぬ代表はそれ以上に働いてましたしね・・・。)
ともかく若いうちにそんな目線とエクストリームな世界を知れたことは、大変素晴らしいことだったと思っています。
継続は力なり―しかし実行できる人間は数少ない
とはいうものの、多忙なラボ生活と並行しながらのケムステ作業、モチベーションの維持は並大抵のことではありませんでした。振り返っても、我ながらよく続いてるよなーというのが本音です。
そんな私の経験から、一つ確信的にいえる真理があります。それは「好きなことが突然嫌いになったり面倒臭くなることは、人間誰にでもある」ということです。言い換えれば「好き」以外のモチベーションに乏しいと、人間長くは続けられないのです。
傍目からは華やかかも知れないケムステですが、見方を変えればお金儲けは期待できない、周囲に理解者が少ない、本業が忙しいと言い張れば後回しにできてしまう、何より裏方作業は地味!・・・そんな活動でもあったわけです。時間の有り余っている学部生時代ならともかく、拘束時間の長いラボと両立させるとなれば、「好き」なだけで続けられるはずもありません。
私自身は「とにかく継続すること」の重要性を痛感してましたので、甚だパーソナルな考えに基づき、信じるに足るモチベーションを「複数」設定していました。こうしておけばどこかで一つ折れても続けられるんです。
個人的に重点を置いていたのは以下の4点です。結局は人生設計にまで絡むレベルの②③を考えつけたことが、継続の明暗を分けたと分析しています。
①自学自習の幅を広げる工夫として
そもそも私は、「専門なんてラボで週70時間・5年もやってりゃ、勝手に覚えないはずないだろう。むしろ別種の知識を意識的に仕入れて、視野を広げることのほうが重要じゃないの」という、ある面でナメた考えを持っていました(今でもこの本質は変わっていませんけど)。とはいえラボ生活の現実としてなかなか難しく、体力気力も限界がある。結局は無理矢理にでも勉強をサイクル化し、半自動・半強制的に進めるというシステムに身を置かせること必要なのです(たとえばラボ内の勉強会なんかもその工夫ですよね)。
そこで業務時間外にケムステ記事を世界公開することを通じ、分野外の勉強機会にしてしまおう、と考えたわけです。これは誰にでも分かりやすいモチベーションですよね。今でもブログ媒体で試みている人達は大勢いるようです。見る限りアウトプットのクオリティも低くありません。
しかしその多くは思いの外発展してないように見受けられます。違いは一体どこにあるのでしょう。これに対し正鵠を射る答えはただ一つ、「<自分のための勉強>は続ける理由として弱い」―それに尽きています。
そもそも論として勉強作業は筋トレみたいなもんなので、それ自体楽しいはずがありません(と個人的には思っています)。原動力にしても、時と場合によって移ろいゆく「知的好奇心」などといった不安定なものに根ざしているわけですし。加えて専門のラボ生活に身を任せてしえれば、そっちの方がむしろ集中的な勉強になるんじゃないの?―こういう考えに至る人たちのほうが、むしろ合理的ではないでしょうか(笑)。
ようするに、これだけでは副業を長期継続するモチベーションとして甚だ不足、というのが個人的見解なのです。
②博士課程進学に向けての保険
大学院進学当初、自分が学術研究の道へ進むべきかどうか、どうにもよく分かりませんでした。やったこと無いので当然といえば当然。しかし話を聞く限りでは、「研究に向く人間のほうが少数派」たることは間違いなさそうでした。情報集めたうえで素直に考えれば、「日本的システム下では、博士課程進学がリスキー」という結論が導かれることも必然です。面白いことに、やめる理由ほど山ほど思いつきますし、周りも親切に教えてくれる現実でした(笑)。
ただ、日々の研究はなかなか面白いわけです。また、企業で働くことにとりたてて強い興味があったわけでもありませんでした。いずれにせよ揺らぎ無い覚悟が身につくまで、少しばかり時間がかかるだろうなと直感したわけです。
じゃあどうしようかと考えたうえで、ともかく学術研究の「好き嫌い」はひとまず横に置き、「向いてるかどうか」で博士課程進学を決めることにしました。もし自分が「向かない」と痛感した暁には、ケムステで培った考えと技術を持ち出して、他業種に就くための武器にしよう、と考えたのです。つまりケムステの活動は自分の人生にとっての「保険的位置づけ」でもあったのです。
そもそも保険として成り立っていたのか、どういう思考で保険にしようと思い至ったか不明だったりもして、今思えば危うい意思決定でしかないのですが(笑)、少なくとも「学術研究では習得不可能なスキルを、ケムステという場で訓練できた」ことは間違いありませんでした。
ただ、これも進路が決まってしまえば、後は野となれ山となれになろう考え方です。
③将来に向けた独自宣伝媒体の構築
最終的には「アカデミックに行っても良いかなぁ」と博士課程辺りで漠然と考え始めたわけですが、そう設定してしまうと、もっと先まで考えておかねばなりません。
日本化学界の現実として、最初にもらえるアカデミックポスト(助教)には研究を独立的に進める手が存在していません。無理してやったところで講座制ボスのお膝元、世界目線でビジブルにならない、下手すれば35~40歳ぐらいまで小間使いにされてもおかしくない・・・なんて話も聞きました。それはなかなかにやるせないなぁ・・・と思ったわけです(この点、理解あるボスの下で働けることを、今は幸せに思っています)。
これはアカデミックシステムの問題なので、10年やそこらでは絶対変わらないだろう・・・仕方ない、ならば30前半ぐらいまでは個人レベルでできる副業に励もう、どうせなら研究とシナジーのある作業がいい、お金要らずでできてウェブ技術に抵抗ない自分向きのものが良い、どうせなら将来独立した暁に、自分の仕事を宣伝できれば最高じゃないのか?科学のことなどろくに知らないメディアに丹精込めた研究成果を提供した結果、ちぐはぐに面白おかしく報道されることが多い現実にも心底嫌気がさしていました。
・・・ここまで考えを進めれば、「ケムステを画期的情報媒体に仕上げる」という答えに至るのも必然でした。
④気分転換
実は私は「同じ仕事をずっと続けるとしんどくなる」という、ある面で研究者としては致命的(?)なパーソナリティを有しています。なので常に複数の事柄を並行し、飽きたら別のに移るワークスタイルを今でも採用しています(実のところこれは全くおすすめできませんし、学生にもやめるよう言っております)。
ラボ研究とケムステは、いい具合に性質が違っていました。つまり研究に詰まった時の気分転換として、甚だ都合が良かったのです。それでいて化学に触れていられるので、遊び呆けるタイプの気分転換よりも、知識習得効率が格段に良い。今でも何かにつけて効果を実感しています。
似たような活動が世界のどこにもなかったため、活動評価基軸が存在しなかったのも自分にとっては幸運でした。ケムステにはノルマがあるでもなく全く自由。長期放置しても誰からも文句も言われず、気楽そのものでした。一方では、世界の誰もやってない活動だからこそ、何をやっても構わない―これを肌で学べた良い機会でもありました。
自分に必要なこと、他人が望むこと―その境界
今回受賞した化学コミュニケーション賞は、「化学に対する社会の理解を深めることに貢献した団体に与える」という趣旨だと理解しています。
しかし副代表個人の現実としては、コミュニケーションへの畏怖も、社会貢献という崇高な理念も、はたまた化学の専門知識すら、そのとっかかりには一切必要ないものでした。
そもそも私がケムステに加入した10年前、「サイエンスコミュニケーション」などという概念は全く知れ渡っていませんでした。活動がそれに資するものだと明確に意識していたわけではないのです。
どちらかというと「自分がやりたいこと、人生でやらねばならないことを、その場その場で追求していった」個人的なモチベーション、もっと言うなら「ケムステの活動が自分の長期的利益になる」という実感が強くあったわけです。
今でも根っこの考えは変わっておらず、「ケムステをして社会貢献に無理矢理括り付けよう」などといった偉そうなことはあまり考えておりません。そのために十分な時間が割けないというのも一つの理由ですが、あくまで「自分にとって便利なことなら、世界の誰かの役に立つだろう、じゃぁちょっとだけ手を加え、整備して公開しておくか」程度に捉えています。その方が長く続けられるだろう、という意図からです。やれる限り続けてみて、ふと振り返ったらサイトがこんなに大きくなっていた、というのが偽らざる実感でもあるので。
ただ、これほど大規模で影響力のあるサイトになってしまうと、それはそれで周囲とのつきあい方を考えなければならないのかな、とも思っています。長く続けるうちに、そこは大きく変わりつつある点だと自覚しています。
おわりに
最近になって、優れたスタッフが日本国内、はたまた海外からもたくさん加入してくれました。そのおかげで10年前では考えられないほどに、安定的な情報発信とサイト運営が実現されています。リーチ可能な範囲、実施可能な物事もずっと拡大しました。
ネット媒体のケムステであれば、地理的制約無しにそんな彼らと一緒に仕事ができ、交流が持てるわけです。
この事実はネットを介してのことですが、虚構でも何でもありません。人類有史に無かった画期的技術が実現せしめた、とても素晴らしい価値であり、現実そのものなのです。
しかし一方では代表・副代表とも、研究の合間に運営せざるを得なかった現実もあったわけで、進捗やクオリティに至らない点が数多くあったかとも思われます。未来への反省材料とさせて頂き、今後とも運営を進めていきたく思います。本サイトの変わらぬご愛顧をよろしくお願い申し上げます。
長文申し訳ありませんでしたが、少なくとも副代表個人はこんなスタンスでやっております。
以上の話に共感できる方(いるかな?)、化学サイトで世界を変えたい!という野望をお持ちの方、きっと自分なりのモチベーションを持ちうる方だと信じます。
化学ポータルサイトChem-Station 副代表 生長幸之助