ナマステ chem-station
日本人にとってインドとはどんなイメージでしょうか。日本イコール、寿司、アニメ、侍と同じようにインドイコール、カレー、ガンジス川、仏教でしょうか。数年前から言われるいわゆるBRICsの一角であり、成長著しいインドの化学は世界でどんな位置づけになっているでしょうか。
インドの化学者自身がインドの化学界の現場について記したessayがAngewandte誌に掲載されておりましたので紹介します。
Chemistry in India: Unlocking the Potential
Arunan, E.; Brakaspathy, R.; Desiraju, G. R.; Sivaram, S.
Angew. Chem. Int. Ed. 52, 114-117 (2013). DOI: 10.1002/anie.201206960
残念ながら筆者はインド人研究者に知り合いがいないので正直なところよく分かりません。度々送られてくるポスドクの申し込みメールをみるとアグレッシブなのかな?程度の認識でした。
筆者は有機化学が専門なので有機化学に関連する論文誌を読み続けてきておりますが、そこに掲載されているインドの研究者による論文を読んで常日頃から感じていたことがありました。ご批判を承知で告白すれば、それは一言で言ってオリジナリティーの低さです。これ似たようなのをどこかで見たことあるな?という化合物の合成であったり、あーその化合物ならそこで閉環メタセシスだよねーみたいな。
まあそこは新興国のインドですから、今後伸びて行くんだろうと思います。しかし、同じBRICsのお隣中国は化学の分野でメキメキ頭角を現してきております。数年前はインドと同じく、まだまだ日本の方が内容的に優れていると感じていましたが、近年ではちょっと日本はやばいなあと背筋が寒くなる事が多いです。もともと人口の多い両国ですので、環境が整えば、物量では敵うわけがありません。それを具体的に示すデータがまず挙げられていました。
図は論文より引用
なんと驚く事にインド(黒線)は論文数では日本(緑線)に肉薄しております。近年我が国は数においては低調な傾向があり、これには様々な要因が言われておりますがそれは次の機会に譲る事にしてもインドが順調に伸びている現実は注目するべきでしょう。
では質はどうでしょうか?上述のように筆者はあまりいい印象を受けていませんでしたが、客観的に上位論文誌の掲載論文におけるインド人著者による論文の割合に関するデータが示されておりました(詳細は割愛します)。データをどう評価してよいやら難しいですが、特筆して低くも高くもないという印象です。
データを総合的に解釈すると、人口の割にはインドの化学は先進国に比べればまだまだのようです。では果たしてその要因はどこにあるのでしょうか。著者らはその要因をいくつか挙げております。
一つは発展途上であるが故の資金、設備、人材の不足です。インドにおける化学教育機関、研究機関の数は意外なほどに少なく、従事する研究者の数も足りていないようです。中国とはその点で大きく実情が異なっており、先進国の状況に大きく水を開けられていることが想像に難くありません。考えてみれば我が国ではどんな地方であっても少なくとも一つは化学に関連する学科を有する大学があるわけですから、若者が化学の高等教育を受ける機会は比較的潤沢に用意されています。一方インドでは限られた機関でしかそのような高等教育を受けれませんので裾野は広がらないわけです。さらに、インドでは貧富の差が激しいこと、人種、文化、宗教、カーストの多様性など一筋縄ではいかない高等教育に対する壁が存在します。国家的な戦略が難しいのも仕方ないことなのかもしれません。
1947年の独立以来、経済的に潤っていた期間は無く、それ故に先進国の化学が体験した70年代、80年代の革命的な進歩についていけませんでした。NMRやX線結晶構造解析の装置は限られた機関にしかなく、それに触れる機会がある研究者の数も限られていました。
著者ら 論文より引用
研究資金も研究には不可欠ですが、1991年から1992年のデータでは83%が政府からの援助でした。2005年から2006年にはおよそ70%に低下しておりますがいずれにしても民間、産業界の割合は低かったことを示しています。金額としてもこの十年で12.8から41.2に三倍以上の伸びを示しております。
その結果として論文数も増加の一途をたどっており、上の図のように英国、フランスは既に追い抜き、次は日本を追い抜く勢いです。数が出るようになれば質も上がってくると順風満帆のように見えますが、そうは楽観できない事情があるようです。
インドには音楽や舞踊などにgurukulamというシステムがあり師弟関係が重要な役割をになっています。グルは師、クラは家を表しており、古のインドでは師と共に森の中の庵で生活を共にしながら聖典を学んだそうで、化学教育ではさすがに森には行かないでしょうが、同じように密接な指導が行われているのでしょう。
師弟関係による音楽や舞踏の伝承は非常に有効だと思われますが、科学の世界ではどうでしょうか。当然筆者にも師匠と呼べる先生がおりまして、その世界観を受け継いではいますが、師匠の真似をしていたのでは科学者としての自分を出すことができませんので逆に意識して真似にならないようにするものです。しかし、インドではそうはいかない事情もあり、若い化学者はあまり挑戦的なテーマに挑めないことが多いようです。そういった挑戦的テーマには資金が配分されにくかったり、一度の失敗がその後のキャリアに致命傷なったりするためどうしても保守的にならざるをえません。また一種のヒロイズムとでも言いましょうか成功した年配の研究者のやり方を必要以上に崇めてしまう傾向が指摘されています。
異分野、すなわち生物学、物理学などとのコラボレーションも乏しく、やや発展性にかける研究内容が多く見られることも研究レベルの向上に繋がらない原因とされています。
まとめると、インドの化学はいまだ発展途上であり、研究環境や研究者の育成に関する問題を解決する必要があることが指摘されています。
しかし、総悲観になっているわけではなく、民主的な改革によって将来的には解決するだろうとのことでした。我が国でも学閥、学派の硬直化、公的研究資金の過度な偏りなど、インドよりはましでしょうが同じような問題を抱えながらこれまでうまい事やってきました。しかし、中印のような人口大国が台頭してきた現代において今まで通りのやり方で先進国としての地位をキープできるのかを改めて考えさせられました。
とにかく今後のインド人化学者には要注目です!
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