時は21xx年。あなたがある化合物が必要になったとしたらどうするでしょうか?まずはその化合物が売ってないか調べて、売ってなければ合成することになるでしょう。ではどうやって合成しましょうか?まずは既存の良い方法が無いか調べて、良い方法がなければ自ら合成法を考えますか?
いいえ、もうその必要はありません。構造式を入力するだけで後は人工知能が最適な方法を探し出し、自動合成ロボットシステム、オーガニックネット(仮)が合成してくれるようになったのです。そして全世界でそのシステムが稼働されたその日、オーガニックネットは邪魔な人類を殲滅するべく大量の化学兵器を作り始めたのでした。反乱を起こしたオーガニックネットに対する抵抗軍指導者であるジョン・コーリー(仮)の指揮下、反撃に転じる人類。人類の未来を賭けた戦いが今始まる・・・
だいぶ無理がありましたね。今回のポストではAngew. Chem. Int. Ed.誌に3報連続で掲載されたNorthwestern大学の Grzybowski教授らのグループによる、そんな夢のような未来の、有機合成化学者にとっては悪夢のような大胆な試みに関する論文を紹介しましょう。
Rewiring Chemistry: Algorithmic Discovery and Experimental Validation of One-Pot Reactions in the Network of Organic Chemistry
Gothard, C. M.; Soh, S.; Gothard, N. A.; Kowalczyk, B.; Wei, Y.; Baytekin, B.; Grzybowski, B. A.
Angew. Chem. Int. Ed. 51, 7922-7927 (2012). doi:10.1002/anie.201202155
Parallel Optimization of Synthetic Pathways within the Network of Organic Chemistry
Kowalik, M.; Gothard, C. M.; Drews, A. M.; Gothard, N. A.; Weckiewicz, A.; Fuller, P. E.; Grzybowski, B. A.; Bishop, K. J. M.
Angew. Chem. Int. Ed. 51, 7928-7932 (2012). doi:10.1002/anie.201202209
Chemical Network Algorithms for the Risk Assessment and Management of Chemical Threats
Fuller, P. E.; Gothard, C. M.; Gothard, N. A.; Weckiewicz, A.; Grzybowski, B. A.
Angew. Chem. Int. Ed. 51, 7933-7937 (2012). doi:10.1002/anie.201202210
彼らは現在までに報告されている数百万にものぼる有機化合物と、反応に関するデータベースを構築し、それらの関連性すなわちネットワークを解析するという手法を採用しています。そのネットワークのことをthe network of organic chemistry (NOC)と呼びます。近年のコンピュータの進歩によってNOCを網羅的にリーズナブルな時間で解析することが可能になってきました。
図は論文より引用
まず第一の論文において彼らはNOCを用いて、ワンポット反応(一つのフラスコ内で連続的に行う反応)が可能な組み合わせがどれ位あるかを見積もっています。ワンポット反応では、残存してしまう副生成物や試薬、溶媒の適、不適など様々なファクターが混在するため単純な反応でも組み合わせることは容易ではありません。彼らはそれぞれ一段階の反応として報告されている反応の中でワンポットで行える可能性が高い組み合わせを抽出し、二段階、三段階の反応がワンポットにできる可能性を探しました。具体例としてはキノリン誘導体の変換反応ネットワークを示しています。水酸基のハロゲン化、続く薗頭反応、鈴木ー宮浦反応をワンポットで行える可能性を示し、実際に実験によって確認しました。ただ、有機化学者として難癖をつけるとしたら、薗頭反応や鈴木ー宮浦反応はズルくないかと。もっと意外性のあるワンポット反応を示して欲しかったです。
図は文献より引用
第二の論文では、NOCを用いて反応経路の最適化について検討しています。実際にある企業で生産されている化合物について、既存の方法より効率的の経路を導き出すことに成功しています。ファクターとして労働者の賃金が導入されていることで多段階の反応経路は不利となります。その他原料や試薬、溶媒の価格などを総合的に評価することで1 g当たり$39.6のものを$21.5で理論的には合成できることを示しています。実に40%以上のコスト削減が見込まれます。化合物の精製にかかるコストが含まれているかは不明です。
図は文献より引用
最後の論文では化学兵器に使われるような危険な物質をどう管理できるかについて論じています。我が国で1995年に起きた地下鉄サリン事件についても言及されています。悪意を持ったテロリストが化学兵器の製造を行えないように原料となるような物質は適切に管理されるべきであることは明らかです。しかし、有効な規制法はあるのでしょうか?彼らの解析によれば、化学兵器の一つであり、こちらもオウム真理教が使用したVXは、やろうと思えばスーパーやホームセンターで容易に購入可能な物質から合成可能であることを示しています。これらの物質を規制するのは現実的ではありませんので、この実例からもわかるように100%の安全というものはあり得ません。
でも悲観的になる必要はありません。上述の方法はあくまでやろうと思えばできるだけであって、合成化学的には非現実的です。化学兵器に至る事が可能な経路をそれぞれ評価し、各中間体にスコアを与えます。そのスコアが高ければ高いほど効率や入手し易さが高いということになり、それらの高いスコアを有する化合物を監視し、化学兵器を製造するのに必要な化合物の組合せで監視することでテロリストによる化学兵器の製造を予見できる可能性があることを指摘しています。
では、彼らのアルゴリズムがあれば有機合成化学者は不要になるでしょうか?そうなると私もご飯が食べれなくなってしまいます。そんな私が言うと説得力は無くなるかもしれませんが、まだまだコンピュータに全てを任せる日は遠そうだと感じます。何故ならNOCはそもそも過去のデータベースに依存しており、そのデータベースは実際に合成化学者が実験した結果が反映されているに過ぎないからです。まったく新しい合成経路を導くのは至難の業ですし、全く新しい分子が提案できる訳でもありません。
そのようなことができる人口知能と、自動合成ロボットが組み合わさった時、私たちは不要になるのです。はてさてそれは何年後でしょうか
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