夏、蚊の季節です。
今年に入っておりしも、蚊取り線香でおなじみ除虫菊に含まれる生理活性物質について、生合成の鍵となる酵素が解明されました。この酵素は、アルコール成分とカルボン酸成分のふたつの大きなサブユニットを、除虫菊の生理活性物質についてエステル結合で連結します[1]。
そこで、除虫菊の生理活性成分をめぐり、生合成の鍵反応をいくつか紹介したいと思います。
最終産物の構造をじっくり見ながら、どのような前駆体が登場するか、想像してから続きをお読みください。「アルコール成分の五員環はどう作るの?」・「カルボン酸成分の三員環はどう作るの?」・「エステル結合はそのまま直接に縮合してできるの?」……鍵反応を当てられたらめっけものです。
除虫菊(シロバナムシヨケギク)に含まれる生理活性物質は、ピレスリンをはじめとするピレスロイドのなかまです。ピレスロイドは、ピレスロロンのようなアルコール成分と、菊酸のようなカルボン酸成分からなるエステルです。除虫菊のつぼみや花から、ピレスロイドは多く放出されます。
エステルらしくピレスロイドは、温めると揮発しやすい化合物です。戦前は除虫菊から抽出して蚊取り線香にしていましたが、現在はもっぱら化学合成された類縁体が使用されています。ピレスロイドには、昆虫の神経細胞にあるナトリウムチャネルを開きっぱなしにする生理作用があります。そのため、蚊が地面に落ちてヒクついている場面を観察した経験のある方もいるでしょう。
除虫菊成分が何ものか解説したところで、さてさてそれでは、生合成逆合成解析の世界へご招待ー。
- 除虫菊生理活性物質のアルコール成分「五員環の構築はあの植物ホルモンの生合成と同じ!」
ジャスモン酸は植物に共通 / ピレスロイドは除虫菊に特有
除虫菊生理活性物質のアルコール成分について、構造式を見て「植物ホルモンのジャスモン酸に似ている」と気づいた方は聡明でしょう。除虫菊生理活性物質のアルコール成分もまた、ジャスモン酸と同じく、オキソフィトジエン酸から生合成されると考えられています。植物の代謝産物をめぐる生合成にともなう進化の系譜を思い浮かべると、とても考え深いところだと思います。
生理活性型ジャスモン酸イソロイシンを認識する受容体COI1タンパク質の立体構造[2]
オキソフィトジエン酸までの生合成酵素は、ほとんどシロイヌナズナの変異体探索によって同定されています。さすがシロイヌナズナはモデル植物だけあって、例えば、生合成酵素がそれぞれ細胞のどこに分布しているのか、生合成酵素の設計図を記した遺伝子がどのようなときに発現するのか、データベースを見ればちょちょいのちょいと調べることができます。中には、結晶構造解析で立体構造が解明され、反応機構がすでに提案されている酵素まであります[5],[6]。そのため、五員環の構築についてはこれら[5],[6]をご参照ください。
~ あなたはジャスモン酸との関係に気づきましたか? ~
- 防虫菊生理活性物質のカルボン酸成分「三員環の構築は真似しがたい基質の二量化で生合成!」
除虫菊生理活性物質のカルボン酸成分について、構造式を見て、まず目が留まる場所は、シクロプロパンの三員環でしょう。そこそこ珍しいシクロプロパンの三員環ですが、植物はどのように生合成しているのでしょうか。
生合成ではなく化学合成の場合、シクロプロパンの三員環を作ろうとしたら、教科書通り、まずはシモンズ・スミス反応を思い浮かべるところです。ジヨードメタンが亜鉛と反応して有機亜鉛化合物が生成し、これが協奏的にオレフィン付加およびハロゲン脱離を起こし、立体特異的に三員環を構築できます[3]。
化学合成の場合
化学合成と異なり、生合成ではこのシモンズ・スミス反応を鍵とした反応経路は採用されません。除虫菊生理活性物質のカルボン酸成分である菊酸の炭素骨格を見てみると、イソプレン単位が2つつながったかたちをしています。実はその通りで、植物の場合、2分子のジメチルアリルジリン酸をエイヤッとくっつけて生合成しています[4]。たった1段階で立体制御下にこんな環化を成し遂げるとは、まったく酵素というものは力強いものです。SAN員環だけに自然の営みを前にして正気度がガリガリ削られそうです。
除虫菊生理活性物質カルボン酸成分の生合成の場合
~ あなたはイソプレン単位に気づけましたか? ~
- 最新動向「生合成の鍵となるふたつのサブユニットをつなげる酵素をついに解明!」
除虫菊生理活性物質のアルコール成分とカルボン酸成分について、それぞれ盛大に寄り道しましたが、それでは満を持して最新の話題[1]に移りましょう。
化学合成の場合、教科書通りならば、エステルはたいていカルボン酸塩化物とアルコールから作ります。しかし、カルボン酸塩化物は生体内で存在できないため、生合成ではカルボン酸に補酵素A(coenzyme A; CoA)がチオエステル結合したものがたいてい基質になります。
論文[1]を手がけた研究チームは、除虫菊生理活性物質のアルコール成分とカルボン酸成分をエステル結合でつなげる酵素を単離するため、酵素活性を頼りに分画したようです。単離に先立ち酵素活性の検出に使用した基質は、もちろん補酵素A(coenzyme A; CoA)がチオエステル結合したものです。
~ あなたも補酵素Aの関与を予想できましたか? ~
生合成の最終局面を触媒
そして、単離したタンパク質の部分アミノ酸配列をエドマン分解で読み取り、縮重プライマーで遺伝子クローニングして塩基配列を決定しました。大腸菌に遺伝子導入して標品タンパク質を精製したところ、酵素活性も確認されました。
この生合成酵素の設計図を記した遺伝子の発現はピレスリンが検出される花やつぼみで多く、根ではほとんど検出されませんでした。また、この生合成酵素の設計図を記した遺伝子は、傷害に応答して発現が誘導されていました。
生合成経路のミッシングリンクを解き明かしたこの研究チームは、今回の知見を生かして、今後は除虫菊の育種に役立てたい、とのことです。
- 参考文献
“Identification and characterization of a GDSL lipase-like protein that catalyzes the ester-forming reaction for pyrethrin biosynthesis in Tanacetum cinerariifolium – a new target for plant protection” Yukio Kikuta et al. Plant J. 2012 DOI: 10.1111/j.1365-313X.2012.04980.x
[2] ジャスモン酸イソロイシン受容体COI1の立体構造“Jasmonate perception by inositol-phosphate-potentiated COI1–JAZ co-receptor” Laura B. Sheard et al. Nature 2010 DOI: 10.1038/nature09430
[3] シモンズ・スミス反応の反応機構“Reaction Pathways of the Simmons-Smith Reaction” Masaharu Nakamura et al J. Am. Chem. Soc. 2003 DOI: 10.1021/ja026709i
[4] 除虫菊成分のシクロプロパン環を構築する酵素の単離“Chrysanthemyl diphosphate synthase: Isolation of the gene and characterization of the recombinant non-head-to-tail monoterpene synthase from Chrysanthemum cinerariaefolium” Susan B. Rivera et al. Proc. Natl. Acad. Sci. 2001 DOI: 10.1073/pnas.071543598
[5] シロイヌナズナAOS(ALLENE OXIDE SYNTHASE)タンパク質の立体構造“Structural insights into the evolutionary paths of oxylipin biosynthetic enzymes” Dong-Sun Lee et al. Nature 2008 DOI: 10.1038/nature07307
[6] シロイヌナズナAOC(ALLENE OXIDE CYCLASE)タンパク質の立体構造“The Crystal Structure of Arabidopsis thaliana Allene Oxide Cyclase: Insights into the Oxylipin Cyclization Reaction” Eckhard Hofmann et al. Plant Cell 2006 DOI: 10.1105/tpc.106.043984
- 参考ウェブサイト
文部科学省科学研究費補助金「新学術領域研究(研究領域提案型)」
生合成マシナリー生物活性物質構造多様性創出システムの活性と制御
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