大学や大学院を卒業する前にほとんどの人が通過しなくてはならない難関があります。それは就職活動、略して就活です。リーマンショック以降、日本は就職氷河期とか言われていて就職することが大変と報道されています。これは、そんな厳しい就職活動を終えた私の体験記です。先に言っておきますが、うまくいったとは思っていません。ですから、これから就活をする人は私を反面教師にしてうまく乗り切ってほしいと思います。また、就活とは無縁の方も少しでも化学系修士の就活について知っていただけたらと思います。
私のスペック
まず私のスペックを紹介します。
性別:男
年齢:23歳
学歴:T大学を卒業後、東京大学大学院に進学
研究分野:有機化学
容姿:イケメン 「中の下」ととある女性に言われました(笑)
居住地:東京
就活結果
エントリーした業種:総合化学メーカー 20社
化粧品メーカー 2社
マテリアルメーカー 3社
自動車関連メーカー 2社
(すべて技術系)
面接まで到達した会社の数:10社
最終面接まで到達した会社の数:2社
内々定を頂いた会社の数:1社
ここから先は、時系列で話が進みます。
12月前まで
幸い研究がうまくいっていたため、博士に進学することも考えていました。そのためインターンシップにも行かずひたすら研究に打ち込んでいました。
しかし時は過ぎ、就職することを決めました。その理由はいろいろありますが博士に行った後の未来を描けなかったからです。もちろん、博士に行くメリットも十分わかっていますし優秀な博士の方をたくさん知っています。このケムステにも極めて優秀な博士の方々が素晴らしい記事を書いています。しかし、色々な理由があって私は就職することを決めました。
就活をすると決めた後からは、就職サイトに登録したりネットで情報を調べたりと簡単にできることをしていました。研究室には就活を経験した先輩がいましたが、気が引けて詳しく話を聞いたりはしませんでした。一度だけ、中堅の化学系企業の説明会に行きましたが、大勢の人が来ていてびっくりしました。この時期はイベントが少ないこともありますが、中堅でも大勢の人が集まる事実を知り、就活の厳しさを感じました。
12月
2013年卒の就活は、12月から説明会が一斉に始まりましたが、学会で初めの一週間は活動できず。そのため、専攻の就職説明会に行かれず推薦の情報を聞きそびれました。
しかし、その後は学内の合同説明会を中心に出席していました。東京大学では、学内の合同説明会が充実していて大手の化学系企業の話はだいたい聞くことが出来ました。
その合同説明会で話を聞いてからwebエントリーをしました。この時エントリーしたのは、化学に携わる物ならだれでも知っている総合化学メーカーとあこがれの企業だけで、企業名で選んでいました。それは、ただ単に名前の通った大きい会社に行きたいと思っていたからです。
研究の方も基本的には休まず両立していました。私は実験屋なので実験を休みたくなかったのと“東大生だし就活なんて簡単だろ”という感じでなめていたからです。
1月~ES提出スタート~
年が明け、個別の説明会とエントリーシート(ES)の提出が始まりました。ESでよく書かされるのは、研究概要と志望動機です。
研究概要は分かりやすく書くことに徹すればよいのですが、志望動機が問題です。一般的に志望動機はその会社でやりたいことを書くのが良いとされています。しかし化学メーカーは、どの会社も同じような製品を色々と製造しているので、その会社でそれをやりたい理由を書きにくいのです。
例えば、燃料電池について研究したいとします。しかし私が説明会に出た限り有名な所は、どの会社でも燃料電池の研究をしていました!また、研究開発に至っては、会社の未来がかかっているのでざっくりとしか情報しか出てきません。そのため非常に苦労しました。
結局自分の研究に近いところを絡めて書いたと思います。でも、私が書いたほとんどの内容はありきたりでつまらない内容だったと思います。
2月~個別説明会ラッシュ~
2月はES提出と個別説明会のラッシュでした。また、何社かはリクルーターが来てくれていろいろと相談に乗ってもらいました。
技術系におけるリクルーターというのは、同じ大学の先輩で実際に技術系で働いている社員のことです。説明会などのオープンなイベントよりも距離が近く深いことも教えてくれ、場合によってはESの添削もしてくれます。またリクルーターとやり取りをすると、採用プロセスで優位になることもあるようです。
そんなリクルーターと会い、私はまた有頂天になりました(笑)
3月 ~選考結果が出始める~
3月になると早い所は結果が出始めます。いわゆるお祈りメールをもらうとがっくりして通過メールをもらうと有頂天になる感じで、一喜一憂を繰り返していました。ただ、たくさんのお祈りメールをもらっても4月から本格スタートだと思って、無意味な安心感を持っていました。また、研究所見学などで新幹線を使って遠出することもあり、ある意味就活を楽しんでいました。
ここまでが、4月に入る前までの動きでした。これ以降の話は
(2)で紹介します。