夏もなほ心はつきぬあぢさゐのよひらの露に月もすみけり (藤原俊成)
6月になりました。およそ日本全国にわたり、梅雨の季節。ジメジメして過ごしにくくもありますが、雨に濡れたアジサイを見て、6月なのだとわたしたちは季節を感じたりもします。そんなわけで、アジサイに含まれる成分について、記事を書こうかと思います。
実は、アジサイには毒があるのです!
冒頭の和歌『夏もなほ心はつきぬあぢさゐのよひらの露に月もすみけり藤原定家の父、俊成のもの。この和歌にも、俊成らしい幽玄の美が感じられて、なかなかしみじみとさせられてしまいます。
』は、かのちなみに、ご存知の方も少なくないと思いますが、藤原定家というのは誰かと言うと……
1.『小倉百人一首』の選者
2.『新古今和歌集』の選者のひとり
記事の読者層からして、意外と3番『明月記』で、ぴんと来る人が多いかもしれませんね。
和歌に詠まれるほど、日本の梅雨に彩りを与える風物詩として、アジサイは昔から親しまれてきました。カタツムリがアジサイを食べる姿もよく描かれており、また実際に目にすることも少なくないでしょう。おりしも、サイエンスの世界だけではなくアジサイの成分に注目が集まっているようなので、その正体をここに紹介しましょう。
身近な植物ですが、アジサイには人間に対して毒があります。
アジサイの毒は青酸カリと同じ!?
アジサイ(Hydrangea sp.)には毒があるため、わたしたちは食べることができません。例えば、国内で2008年6月に、飾りとして料理に添えられていたアジサイの葉を口にしたことで2件の食中毒が発生し、厚生労働省は注意を喚起しいくつか文書を出しています[1]。間違ってもアジサイは食べないように!
アジサイで起こるこのような食中毒は、何か有毒成分が含まれているためだと考えられています。一説には、青酸配糖体によるものだと考えられていました。決め手になる動物実験がなく、またアジサイに含まれる量がいくぶん少ないため、本当かどうか疑わしいところですけれども、青酸配糖体が含まれていることは確かです。実際に、ハイドラシアノシドと呼ばれるいくつかの青酸配糖体が、アジサイから単離されています[2]。
グルコースの部分が他の糖になった配糖体も報告されている[2]
梅のまだ緑色をした若い実に含まれるアミグダリンと同じく、アジサイに含まれるハイドラシアノシドは青酸配糖体のなかまです。ハイドラシアノシドのような青酸配糖体は、グリコシド結合が加水分解されたときに、シアン化水素HCNが発生します。たいていこの分解反応は、胃酸が仲介して起こります。シアン化水素HCNが水に溶けて青酸となり、水中で電離したものがシアン化物イオンCN-です。推理小説で大人気な青酸カリKCNが、水に溶けてカリウムイオンK+とシアン化物イオンCN-になるように、青酸配糖体からできたシアン化物イオンCN-も猛毒です。このシアン化物イオンCN-が、ヘモグロビンや、ミトコンドリアで好気呼吸を行う酵素など、主に金属元素の鉄を含むタンパク質と強く結合して、機能を阻害し、毒性を発揮します。
ハイドラシアノシドが毒である理由は、アミグダリンや青酸カリと同じなのです。このような経緯から「アジサイの毒はこの青酸配糖体だ!」と考えられていました。現段階で手に入る情報だけから推測せざるを得ないならば、この仮説はだいたい合っているように思えます。
よみがえるアジサイの魅力
青酸配糖体は確かに毒ですが、これがアジサイ中毒の主たる原因成分だとは言い切れません。アジサイに含まれる有毒の成分は、青酸配糖体だけというわけではないという理由がひとつです。アジサイにはいくつか生物活性成分が他にも含まれ、わずかながらも細胞の代謝に影響を与える作用が報告されています[3], [4]。構造式を見ると、植物の代謝産物では定番のフラボノイドに似たかたちをしている成分も単離されており、これらはシトクロムP450のどれかに効いているのではないかと推測されます。もちろん、ここにあげたものだけではなく、何か重要な未知の化合物が別に含まれている可能性もあります。
まだまだ特徴づけが不十分なアジサイ成分
中毒の原因成分が何であれ、食べなければいいわけで、それほど追及されていません。日常で起きたささいな出来事の犯人探しや、政治の場での責任者追及が、不毛に見えることと、事情はちょっぴり似ています。つまり、分野の基礎をかため広げる、応用して役に立つといった目的意識なくして、科学的事実の証明は進まない、ということだと思います。
こんな状況ではある一方で、原因追求とはまったく離れたところで、アジサイ由来成分の研究は最近また注目を集めています。漢方薬として使われていたアジサイのなかまから、フェブリフジンが単離。吐き気を引き起こす嘔吐の副作用を克服した誘導体としてハロフジノンがマラリア治療薬として認可。近年、自己免疫疾患などさらに他の治療薬としても効く可能性が示唆され、生体内の標的タンパク質も判明して、研究が進展中、といったところです。新薬開発に役立ちそうな雰囲気がたちこめています。
天然化合物フェブリフジンと人工化合物ハロフジノン
東洋医学と西洋医学を対比させて、薬理機構の込み入った話を展開したいので、フェブリフジンとハロフジノンについて、続きはまた次の機会に。
参考文献
- アジサイの喫食による食中毒について(食安監発第0818006号)
- “The absolute stereostructures of cyanogenic glycosides, hydracyanosides A, B, and C, from the leaves and stems of Hydrangea macrophylla” Seikou Nakamura et al. Tetrahedron Lett. 2009 DOI: 10.1016/j.tetlet.2009.05.111
- “New type of anti-diabetic compounds from the processed leaves of Hydrangea macrophylla” Hailong Zhang et al. Bioorg. Med. Chem. Lett. 2007 DOI: 10.1016/j.bmcl.2007.06.027
- “New anti-malarial flavonol glycoside from hydrangeae dulcis folium” Nobutoshi Murakamia et al. Bioorg. Med. Chem. Lett. 2001 DOI: 10.1016/S0960-894X(01)00467-X
参考ウェブページ
- 自然毒のリスクプロファイル:高等植物:アジサイ
関連書籍
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追記(2013年7月)
※中毒の原因物質であることの証明方法について一例
(1)まず培養細胞を使うなどして細胞レベルで毒性の有無を明らかにする。分子レベルで作用機構が示唆できればなおよい。
(2)次にマウスなど実験動物に対して、餌に混ぜるなり、注射するなりで、候補原因物質の純品を投与する。アジサイそのものを投与した場合と比べ、症状が再現されるか検討する。
(3)マウス等実験動物とヒトでは代謝スピード等が異なりそのままでは議論できない部分も多い。そこで少量をヒトに投与して同様に確かめる。ヒトが被験者になる場合、生命に関わる量で実験することは倫理上できないため、中毒の治療にあたった際の症例と照合するなどして、妥当かどうか検討する。
(4)実際にアジサイに含まれる量を測定し、これらの実験で使用した量が妥当かどうか検討する。
アジサイ中毒青酸配糖体説はステップ(2)(3)(4)の観点を満たしていません。そのため現段階では推測の域を出ていません。
※カタツムリはアジサイを食べるか
種にもよるでしょうが、実際にアジサイの葉で飼育した経験があるので、食べるはずだと思います。とくに文献は見つからなかったためあくまで推測になりますが、カタツムリのからだ自体が青酸に強い(酸素運搬をヘモグロビンに頼っていない)・カタツムリの青酸無毒化酵素が強いなどの可能性が想定されます。
※毒がある植物
ツツジやスイセンなど他にも身近にたくさんあります。興味がある場合は各自で調べてみてください。