今回はJSR株式会社のご紹介を致します。ディスプレイ部材や半導体用材料でその存在感をますます増しつつあるこの会社。一体どのような会社なのでしょうか?
Tshozoです。先日上司に罵倒された関係でだいぶ更新が遅れました。
今回はJSR株式会社のご紹介をしようと思います(実は窒素固定の続きの話はボリュームがかなりあるので、もう少々後に更新します)。
JSRは素材メーカで、 3Mと異なりその名が表に出ることはあまりありません。しかし強みを生かしつつ、多角的に収益を増加させている数少ない優良企業であるため、是非知って頂きたいという想いも込めて今回ご紹介します。
なお今回も外からの視点によるものですが、今回は元「中の人」から聞いた内容をベースにしておりますので、内情も踏まえていると思います。本記事からJSRの雰囲気のようなものが伝えられれば幸いです。
まず今回の前半(1回目)にJSRの歴史をさらった後、後半(2回目)でJSRが関わる最新の技術動向を扱う予定です。
1.創立期
元々は「日本合成ゴム」という名前で、民間6割、国4割の株比率で1957年に設立された国策会社です。国(現経産省)としては1950年の朝鮮戦争による天然ゴム価格の暴騰の対策に加えて、戦略物資となり得る合成ゴム産業を育成したいという意図がありました。初代社長には、当時日本ゴム工業会の石橋正二郎、つまりブリヂストンタイヤ創設者が就任しました。この経緯もあってか、JSRの筆頭株主は今なおブリヂストンです。
石橋 正二郎(石橋財団資料集より引用)
初代JSR社長にしてブリヂストンタイヤ創設者
2.民営化期(1950‐1960)
まず手をつけたのがC4留分からのブタジエンを利用したSBR(スチレン-ブタジエン共重合体)です。
SBRの分子構造(Wikipediaより引用)
当時は化学工業の技術力が欧米に対し圧倒的な差をつけられていたため、技術導入を行わざるを得ませんでした。具体的にはブタジエン製造にはHoudry Process社、抽出にはEsso Research Enginieering社、重合にはGoodyear社、といった感じです。技術料含めた対価は総計約400万ドル。当時では凄まじい金額で、関係者の覚悟が伺えます。周辺環境(輸入ゴムの価格下落や供給過剰)により当初は雌伏の時代が続きますが、1960年代になると高度経済成長時代へ突入、自動車タイヤ用途へのゴム消費が急増し息を吹き返す形となりました。
建設途上の四日市工場(こちらより引用)
3.発展期(1960‐1975)
上記のブタジエンを原料にしたゴム生産技術をベースに、ポリブタジエンゴム、ブチルゴム、エチレンプロピレンゴム、ポリイソプレンゴムと矢継ぎ早に素材生産を開始、加えてABS樹脂・熱可塑性樹脂などのゴム以外素材の生産も開始します。同社の完全民営化、固定為替相場制の廃止、オイルショックなどの大波を受けつつも、日本の総合ゴム企業としての位置を確立していきます。当然ながらこの頃の収益は大部分がこれら素材からのものであったため、他の収益基盤を求めて多角化を試みています。しかし「戦略に基づいたものではなく(社史より)」大きく成長したものはありませんでした。
意外にも健康食品産業にも参入をした時期があったようです
(株式会社三栄殿HPより借用・ほぼ同じものを扱っていた模様)
4.転換期(1975-1990)
上記の多角化は結果的に多くが失速しましたが、実はこの間に素材分野以外での萌芽を見つけることに成功していました。その代表が半導体製造に不可欠な材料、「レジスト」です(プロセスのどこで使われるかはこちらの資料などが参考になります)。回路図を基板上へ「写し取る」重要な材料であるこのレジスト、日本では東京応化(東京応化HP)がいち早く製品化に成功していました。これに対しJSRは千葉大学の角田隆弘教授(故人)との共研から見出したブタジエン樹脂をベースにレジスト事業へ切り込んでいくことになります。
千葉大学 故・角田隆弘名誉教授(こちらより写真を引用)
この分野で数多くの研究者を育てたことでも有名
さらに改良を重ね環化ポリイソプレン系の応用樹脂で製品化に成功、この後の半導体関係の機能性材料に関わる基本的なノウハウを手にしました。ただ当初は異物問題が頻発したのに加え売上が極僅かだったため事業存続の是非が頻繁に議論になっていたそうですが・・・。
なおこの間、上記の先端材料開発を支えたのは成熟し研鑽し続けていたゴム製品の合成技術・生産技術と売上げ拡大です。ベース売上げを素材が支え、機能品で高い利益を得る商売モデルがこの頃から作り上げられたことになります。
またこの時点で他の機能材料の基礎も作っていました。液晶やデジカメ用レンズに用いられるアートンフィルム、光ファイバコーティング剤、CMP(化学的機械的研磨法)に用いるスラリーとパッド、液晶配向膜等の新製品の種をこの時期から辛抱強く育てていたということは正に炯眼と言えます。なお当時からこれらの開発のほとんどに関わった吉田淑則氏は現在同社会長を勤めています。
吉田淑則氏 現JSR会長
1995年市村産業賞(液晶配向膜)、1994年高分子学会賞(アートン事業化)
5.変革期-現在(1990-2012)
この時期は自動車製品に使用される石化製品が下支えをしつつ、ディスプレイ用途製品や半導体関連製品が極めて大きく売上げを伸ばした時期になります。結果としてJSRはこの20年で売上げが3倍以上、利益が5倍以上になりました。
JSRの現在の売り上げの柱は3つあり、
・石化製品A(エラストマー類)
・石化製品B(合成樹脂・エマルジョン類)
・機能性製品(半導体・光学製品・ディスプレイ製品)
このうち利益の6割近くをこの機能性製品でたたき出しています。実際JSRに限らず競合の日本ゼオンやクラレ、クレハ、セントラル硝子等の機能化学製品に注力した化学製品会社は昨今の厳しい状況ながらも収益を確保しているところが多いです。初期の批判や収益の低さに負けずに次のメシの種を育てておくことが如何に重要かを考えさせられる事例だと思います。
ということでやや長くなりましたが、今回はここまで。次回は次世代の事業化を目指す同社の研究開発動向についてご紹介します。