前回に引き続き、今回はJSRの研究開発の一例をご紹介いたします。
Tshozoです。皆さん、ストレス耐性は高いに越したことはないですよ。
で、前回の続き。JSRはこれまで石化事業(エラストマー、樹脂)に軸足を置きつつ半導体事業、表示材料(ディスプレイ)事業というフロンティアに進出してきたことは述べましたが、次はどのような領域を切り開き、又は深化させようとしているのでしょうか。
2002年に同社が掲げたターゲット事業領域(同社資料より抜粋)
2002年に同社から出された上に示す図表より、その一端を伺い知ることが出来ます。現在は『JSR20i3』という方針に切り替わっています(ご参考:こちらにプレゼン資料があります)が、開拓していく事業方向は変わっていませんので以下この図に基づいて話を進めます。
この図を見るとより少量多品種かつ高度な技術に組合せが要求される領域に足を踏み入れようとしていることがわかります。特に自分が面白いと思ったのは、これまで同社との接点が無いメディカル領域に足を踏み入れようとしていることです。医療に関わるこの分野は非常に厳しい品質管理と審査が求められますが、おそらく半導体事業で培った品質管理技術と高度な合成技術が生かせるとみたのだと思われます。
さて今回は上記の新規領域のうちフロンティアマテリアルに注目し、下記2つの代表例をご紹介します。
1.液体シランによるウェットプロセスシリコン形成技術
これはNatureにも載った(こちら)のでご存知の方は多いでしょう。北陸先端大の下田達也教授、セイコーエプソンとの共研により出された成果です。
世界で初めて液体プロセスにより形成されたSi製トランジスタ
半導体の基本構造であるシリコンはインゴットからシリコンウェハとして切り出した後に多数の工程を経て集積回路化(IC化)されます。詳細は割愛しますが工程数が非常に多く、またそれぞれに高度な技術が必要とされるため、成熟産業と言えども結局コスト高につながります。
では、このシリコンを回路上に自由に「塗工」出来たらどうなるか? Siの使用量が極めて少なくなる、回路設計の自由度が大きく広がるなどちょっと考えただけで色々な可能性が広がると思います。元々はノースダコタ州立大から出された構想なのですが、そんなコンセプトを世界で初めて実現させたのが本結果です。
液体シランによるプロセスの概要・スタート材料は場合により変わる
基本的には上の図に示すように、低分子量シラン(SinHm)を熱又はUVでポリマー化(ポリシラン)、それをさらに加熱して脱水素化しアモルファスSiや多結晶Siにします。しかしここに立ちはだかったのが「ほぼどの有機溶媒にも溶けない」というポリシランの難溶性でした。「塗工」するためにはポリシランの溶液化は必須なのですが、これまで誰もその突破口を開けていませんでした。
それを解決したのが、「環化シランが介在する溶媒系にはポリシランが溶解する」という極めて重要な事実の発見です。JSRは上の図と異なりシクロペンタシラン(CPS・Si5H10)を出発原料にしたのですが、これにUVを照射している際、粘度が徐々に上がることを見出しました。これを「実は生成したポリマーが溶けている状態ではないか」と考えて精製を行い、シリコンインクとして適用、脱水素+結晶化を行いました。その結果上記のような薄膜トランジスタとして適用できるレベルの多結晶シリコンの作製に成功したということです。
JSRが出発原料に選んだCPS
UV照射によりポリシランになるが、同時にその溶媒にもなることが判明
もちろんまだプリミティブな結果であり、Siを高品位化・高結晶化するのが難しいなど課題は非常に多いのですが、極めて大きなポテンシャルを持った技術だと感じます。米国でもDoDやDoEが資金を出して「液体シリコンプロジェクト」(詳細はこちら)を進めており、注目度も高い技術といえます。なお最近ではJSR・下田教授はこの技術を応用して「塗る太陽電池」を実現させています(ニュースリリースはこちら)。
2.高分子電解質
次の成果はこちらです。これは既にホンダFCX搭載の燃料電池に使用されていることが発表されています。
ホンダFCXに搭載された炭化水素系電解質膜(こちらより引用)
フッ素系電解質以外で車両へ搭載されたのは世界初
燃料電池は以前ご紹介したとおり水素(還元剤)と酸素(酸化剤)を両極に流し、理論上その系のギブスエネルギー分を発電できる化学発電機です。特に小型軽量化が見込める高分子電解質膜式FCには両極間にプロトン(H+)を伝導する仕組みが必須です。
このプロトン伝導膜に通常使われるのはDupont社が1960年代に合成していたNafionと呼ばれるもので、下図のようにテフロン骨格にプロトンを伝導するスルホン酸基が付いたお値段の高そうな骨格をしています。
Nafionの代表的な分子構造(JSR技報より引用)
合成ルートは複雑で正直まず手を出したくないお相手
この類の材料は安定性が非常に高いのですが非常に高額で、しかも90℃以上の高温でクリープ(形状ヘタり)を起こすため実用化には様々な問題がありました。
これに対しJSRはホンダと共同で比較的低コストで高温でのクリープに極めて強い炭化水素系骨格を持つ分子構造を設計。遂に2006年に上市しました。詳細な分子構造は明らかにされておりませんが、同社技報を見る限りおおよそ下記のような構造であると推定されます。
JSR技報に掲載された代表的な分子構造
同社特許によると他にも様々な工夫がしてある様子
これによりナノレベルで膜内に相分離構造を作ることに成功、高プロトン伝導率と高強度、広い温度域での動作を実現しました。なおこのような分子構造の電解質膜の歴史は古く、1990年代には既にバージニア工科大のMcGrath教授や東工大の上田充教授らが同様の論文を記載していましたが、実現には至っていませんでした。本件でJSRは分子構造から見直して実現した、ということです。
JSRが計算により推定した電解質の相分離3Dモデル
空間部が親水(プロトン)通過部(引用元同上)
しかし実際に燃料電池に使うとなると、この分子構造ではおそらく下記のような壁を乗り越えなければなりません。
・骨格部の高分子量化が極めて難しい
・ポリマー化反応がFriedel-Crafts反応で重金属を多量に使用するためコスト高
・「硬い」構造であるため、触媒層(電極)とうまく「接着」するのが難しい
・高温熱水中で-SO3Hが外れやすい
詳細はオープンには語られていませんが、これらの解決には多大な苦労と工夫があったものと推測されます。なお3点目の接着については触媒層の組成まで踏み込んで解決したという特許が出されていました。非常に難しい技術であったことが伺えますが、これらを粘り強く解決したJSRとホンダの力量が伺える例だと思います。
上記のように強みを深化させつつ新しい分野へ果敢に挑戦するJSR。他にも変性末端SBRによる省燃費タイヤの実現、IBMとの共研による高度リソグラフィ技術など、紹介したい技術はまだまだあるのですが、これらは別の機会に取り上げることにしましょう。
それでは今回はこれにて。