今回はアメリカ化学会(ACS)から公開されているGeorge Whitesides教授へのインタビュー動画を紹介します。
論文執筆法のQ&Aという体裁をとっていますが、その実は独自の研究哲学をシンプルな言葉で語ったものです。「そもそも科学研究とはどういう営みなのか」「科学者に必要とされることとは、現実的に何なのか」などにまで及ぶ、メッセージ性の強い動画です。小手先の執筆テクニックなどには一切触れていません。
どの発言も多くの示唆に富んでおり、氏の斬新な科学観をわずか8分間で濃密に学べる、研究者なら一度は見ておくべき動画と言えるでしょう。
今回は動画の字幕に補足する形で、氏の研究哲学に詳しく迫ってみようと思います。
氏の主張を統合するキーワードは、『伝達』です。
科学論文は研究と不可分なものである
「私からのアドバイスは、論文を書くことは研究とは別のものであるとせず、 なるべく早い段階から、それは研究の一部であると考えることです。」
そもそも論文にならないデータは、ほとんど日の目を見ることがありません。言い換えれば、いくら沢山のデータを集めたところで伝達できない限り、それは成果に直結してこないわけです。
科学研究の現場でもっとも時間を取られる作業は「データ集め」です。すなわち、論文のクオリティを保ったままデータ集めを減らす工夫ができれば、生産性の向上に直結します。そのためには予め、「研究伝達媒体」たる論文の完成形をイメージしつつ、取るべきデータを厳選していくプロセスを考えておく必要があります。
この点についてより深い理解を得るには、氏のエッセイ「Writing a Paper」を一読することをお勧めします。このエッセイで氏は、「『論文はデータを集め終わってから書くもの』という認識をそもそも捨てさるべきだ」という趣旨の主張をしています。氏の哲学においては、科学研究の遂行と論文執筆作業は不可分なプロセスなのです。それは「研究は伝達されるべきもの」という哲学に端を発しているように伺えます。
アイデアは言語化しておくべきである
―研究を始めると同時に、論文を書き始める場合、 実験結果にバイアスがかかってしまうことにはなりませんか?
「むしろ、頭の奥に隠れているアイデアよりも、文書化されたものに基づいている結果のほうが バイアスがかかりにくいのだと思います。」
言語は盛り込める情報量が少ない一方で、誤解を生みにくい特長を備えた伝達媒体です。科学論文上での伝達が第一とされる科学研究においても、言語媒体での表現に長けておくに越したことはありません。
この現実を踏まえた上で氏の発言を読み解くならば、「どうせいつかは論文に仕上げなくてはならないのだから、自分の研究テーマを常日頃から言語に落としこむよう努めておくべきだ」と解釈できるでしょうか。適切に「研究の言語化」を行えれば自他共に誤解を生む機会を減らすことができ、科学の伝達をスムーズにすることができる、さらにはその言語化作業こそが良い論文づくりと研究遂行の効率化に重要であるということです。
もう少し踏み込んで解釈するなら、「他人に伝達して活用してもらえる形に加工できない限りは、どんな情報/データを出した所で意味がない」と主張しているようにも読み取れます。
基礎研究の現場では「発見時点で意義を明確に示すことができない解釈困難なデータ」が数多く出ます。これは最先端での作業に取り組む限り、仕方のない一面でもあります。
しかしながら、その仔細を全て理解しているのは、世界でただ一人=他ならぬ自分だけであることもまた事実です。
自分だけが得たデータを「言語」の形に落としこみ、他人に活用してもらえるよう表現する・・・このことは、基礎研究者の責務というべき営みなのでしょう。この作業を放棄してデータ集めに奔走することは、膨大な資金と時間を無為にしているも同然、ということなのでしょう。心しておきたいです。
新しい伝達媒体は科学のあり方を変える力を持つ
―新しいテクノロジーによって、科学者同士のコミュニケーションがどのように変わりましたか?
「昔は、自分の科学を、一枚の紙に言葉や表、二次元のプロットによって表現しなくてはならなかったのです。他のタイプの科学を表現することはできなかったのです。・・・ビデオを配信するというメディアによって、 以前は閉じられていた科学探求が、 大きく開かれるようになったのです。」
Whitesides教授はビジュアルアピールを特に重視しています。
例えば以下の動画は、氏のチームによって作られたソフト・ロボットのデモです。このような成果は、論文という静的なメディアを眺めるだけでは極めてイメージしにくいものです。しかし動画で示されると、どんな研究かがひと目でわかります。
氏の発言をもう少し詳しく読むと、「新たなコミュニケーションテクノロジーは科学の枠組みを変える力を持つ」と指摘していることも分かります。これは大変に鋭い視点だと思えます。
現代ではITインフラが進歩し、これまで不可能だったアピールが誰でも簡単にできるようになっています。それに伴い、科学者~大衆間はもちろん、科学者同士のコミュニケーションのあり方も、大きく変化しているわけです。
以前ケムステでも「お互いを見分けるゲル」「迷路を解く液滴」などの研究を紹介しました。これらはその主張を支持する好例と思えます。動画以外では端的に表現することも難しいですし、実物を見ないことには科学者コミュニティにすんなり受け入れられにくい研究のようにも思われるからです。
つまり、動画・音声などのインタラクティブメディアを通すことで、これまで取り扱えなかったものですら科学として扱えるようになったのです。
論文の目的は「他人の考えに影響をおよぼすこと」である
―論文の著者は、自分の論文のためのマーケティングを行う必要がありますか?
「難しいのは、その新しいアイデアに対して、人々に真剣に考慮してもらうということです。自分の新しいアイデアはそれだけの価値があることを証明しなくてはなりません。それをマーケティングと言おうと、説得力と言おうと、あるいは科学的な例を作り出していると言おうと、それはすべてある意味同じことなのです。 要するに、人々の考えに影響をおよぼそうとすることが根源にあるのです。」
「論文は読んでもらえなければ意味がない」というのはおそらく厳しい現実を反映した真理です。インターネットの発達、研究者人口の増大、ジャーナルの乱立によって、現代の科学界は情報過多に過ぎる様相を呈しています。一人の研究者が処理できる情報量はたかが知れているため、関連研究の全てをフォローすることはもはや不可能です。「良い仕事を記した論文であれば、誰もが読んでくれるし引用してくれる」という考え方は、楽観的に過ぎるといえます。『研究者の人生はアブストラクトとして数秒で消費される運命にある』という言葉もあるぐらいです。
そのような渦中にあって、タイトルとアブストラクトの占める重要性は増すばかりです。膨大な研究論文の山に埋もれぬよう、自らの研究を「売る」戦略こそが重要になっています。
このような中では、誰しも目を引くキャッチーなやり方にこそ目がいきがちでしょうが、しかしそこはさすがのWhitesides教授、「科学研究における伝達の成功=他人の考えに影響をおよぼすこと」という根源の重要性を説いています。
それは氏のグループが信条として掲げている
”私たちが行う研究が、もし人々の考えに影響を及ぼさないのであれば、それは失敗とみなす”
というフレーズからも伺えます。
美辞麗句を並べたキャッチーな論文を読んでもらえたとしても、一過性の話題で終止するようではダメだということです。他人の中で優先順位を変えるような論文づくり(=伝達プロセスの実現)を心がけるべきだ、という基本は多産多作の業績プレッシャーにに負われる毎日だからこそ、心しておくべきでしょう。
まとめ
氏のインタビューは『伝達』というキーワードを軸として一貫した内容となっています。筆者風にまとめあげると、以下のようになるでしょうか。
「科学研究は伝達されるべき宿命にある」
「伝達技術の進展は科学の枠を広げる」
「他人の思考に影響を及ぼすことが、科学伝達の本質である」
シンプルながら、限りなく科学研究の本質・ど真ん中をつく素晴らしい内容だと思えます。
狭い専門領域に浸る日々を長く続けると、「伝達」の重要性を忘れがちになります。自らの研究が間違った方向へと向いてしまわぬよう、常日頃から意識し続けておきたいことばかりですね。