突然ですが、「ワクチン」(予防注射)と聞くと何を思い浮かべますか?
子供の頃、恐怖したお注射の記憶でしょうか?あるいは最近受けたインフルエンザワクチンを連想する方も多いと思います。しかし、化学と結びつけて連想される方は少ないのではないでしょうか。特に化学者にとっては、薬と言えば抗生物質や抗ガン剤など、病気を治す薬、または病気の症状を和らげる薬の方がなじみがあるのではないかと思います。
今回は病気を予防する薬、ワクチンのお話です。
ワクチン(vaccine)は1796年にエドワード・ジェンナーによって発明されました。ジェンナーは牛痘(天然痘の類縁ウイルスによって引き起こされる。ヒトでは症状は軽度)を健康な人に接種すると天然痘が予防できることを見いだしました(天然痘ワクチン)。牛痘の接種により天然痘に対する免疫が獲得できるためです。この発見により、古代から死の病として世界中で恐れられていた天然痘は急速に収束に向かいました。そしてジェンナーの発見からおよそ200年後の1980年、天然痘はついに根絶され、WHOから根絶宣言が出されました。人類によって感染症が根絶された初めての例です。
牛痘を接種するジェンナー。いまやったら大問題?
天然痘ワクチンの例から見てもわかる通り、ワクチンとは病原体そのものです(天然痘の場合は近縁の牛痘ですが)。ワクチンの有効成分であり、免疫を誘導する物質、抗原は病原体に含まれている分子なので、ワクチンは病原体そのものを培養して作られます。
ワクチンは製造法から二つに大別できます。生ワクチンは毒性を弱めた生きた細菌やウイルスであり獲得免疫力や免疫の持続時間は長いのが特徴ですが、生きた病原体を使うため体内で増殖する可能性があり、病気の症状や悪影響が出る可能性があります。一方の不活化ワクチンは処理されることにより死んだ病原体であるため、安全性はより高い反面、一度の接種では得られる免疫が十分でない場合があります。
最近大きな話題となったポリオワクチンでは生ワクチンの危険性が指摘され、つい先日、不活化ワクチンが承認されました。
(赤ちゃん)「おいおい、大丈夫か?」。まだまだワクチンもすべてがわかっているわけではない
このように主に病原体の培養によって生産されるワクチンは化学者にとっては少し縁遠い存在です。ワクチンを化学の視点で見ると、天然由来の複雑な混合物です。より安全であるとされる不活化ワクチンもすべての成分が明らかとなっているわけではありません。化学的に成分や構造が明らかなワクチンができれば、予防接種の安全性はより向上することが期待できます。すなわち化学合成の出番です。[1,2]
当然、化学合成が可能となれば構造修飾による効果の向上も期待できるだけでなく、培養が難しい病原体に対するワクチンも、より効率的に大量生産できる可能性があります。現在HIV、マラリア、新型インフルエンザなど蔓延する感染症にも有効な対抗手段になりうると期待されています。
しかし、合成ワクチンの開発には、高分子である抗原の構造決定および合成、抗原を効果的に運搬するキャリアの選定や免疫の持続時間など課題も多く残されているのが現状です。
やはり病気にかかってから治すより、できることなら事前に予防したいものです。医薬品市場の中でも急成長を続けているワクチン分野ですが、今後化学者の活躍の場が増えていくのではないでしょうか。
“Carbohydrate vaccines: developing sweet solutions to sticky situations?”
Rena D. Astronomo et al.
Nat. Rev. Drug. Discov. 2010,
9, 308–324. DOI:
10.1038/nrd3012
“Epitope-based vaccines: an update on epitope identification, vaccine design and delivery”Alessandro Sette et al.
Curr. Opin. Immunol. 2003,
15, 461–470.
DOI: 10.1016/S0952-7915(03)00083-9