某ドーナツ屋の100円セール(2012/03/20~2012/03/25)に行きそびれてしまったので、輪っかの話でもしようかと思います。天然のタンパク質から、人工の高分子材料まで、輪っかでつながる魅力は、ぐんぐん進化しています。このキーワードはカテナンです。
ドーナツの穴は熱が中まで通りやすくするために空けられたと言われています。このドーナツのように、真ん中を丸く抜いて輪にしたかたちを、トーラスと呼びます。とにかく輪っかがあればよいので、よじれた輪ゴムでも、持ち手のあるティーカップでも、ドーナツと相が同じトーラスです。
トーラスと相の同じ輪っかが、鎖(catena)のようにつながった分子を、カテナン(catenane)と呼びます。最初[5]は輪がからみあう偶然を期待して合成されたため収率は低く、フラスコでは間に合わず浴槽で反応を仕込んだという逸話が語り継がれています。その後、金属錯体や自己組織化などの観点から工夫された合成法が確立され、当時と比べれば収率は格段に改善されました。
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- 天然のカテナン分子
自然界にカテナンはないのかというと実はあって、例えば古細菌のなかま(Pyrobaculum aerophilum )で見られるクエン酸合成酵素が該当します[6]。クエン酸合成酵素は、ヒトをはじめ他の生き物では単量体として存在する一方、この古細菌ではジスルフィド結合で2つのペプチド鎖がカテナンとなって組み合わさり二量体として存在します。このカテナンタンパク質の変性温度は、わたしたちのクエン酸合成酵素の変性温度よりも高く、この古細菌が高熱の極限環境に適応するために進化した結果であると考えられています。鎖になって立体構造がロックされているため、熱変性しにくいのでしょう。さすがこの古細菌は100℃超の熱水温泉に住む変わりものだけあって、まさかそこまでやるのかとうなりたくなるほど、環境への適応も徹底しています。
タンパク質の立体構造データはPDB(Protein Data Bank)より取得
オレンジ色部分がジスルフィド結合
また、古細菌のクエン酸合成酵素以外にもカテナン構造は知られています。ウイルスの殻(capsid)を構成するタンパク質[7]や、細菌の環状DNAが複製される過程でも、カテナン構造は登場します。
- 人工のカテナン分子
自然に負けず、人工の化合物では、より複雑な構造のカテナンが合成されています。五輪旗のオリンピックシンボルのように5つの輪が連続したカテナン[1]、2ヶ所でがっちりとロックされたカテナン[2]、ボロミアンリングのように3つの輪が交差したカテナン[3]、焼き菓子のプレッツェルのように1分子で輪が交差したカテナン[4]などなど、カテナンのなかまにはユニークな構造がテンコ盛りです。
ユニークな超分子のかずかず
眺めているだけでも、華麗で荘厳な構造に、時間も忘れて見入ってしまいそうです。単にユニークな構造として終わるのではなく、ゆくゆくはカテナンのような超分子が、ナノデバイスとして応用される日も近いかもしれません。
実際に、輪っかを上手く活用した応用例としては、トポロジカルゲル[8]が知られています。(ただし正確にはカテナンというよりは輪を串刺しにしたロタキサンのなかまです).滑車のように輪が高分子のひもをつなぐことで、従来とは桁違いの柔軟さを材料に与えます。超分子ネットワーク構造により柔軟さに優れたこの技術は、すでに日産がスクラッチシールドという名称の自己復元型塗装として商標登録しており、自動車や携帯電話の外装に使用されています。2012年1月には、スクラッチシールド加工を施したiPhone用新型ケースの開発が発表されています。
論文[8]より
輪でつながりあうことは、バラバラに壊れることなく柔軟さを保つ上で、従来の限界を凌駕した新たな可能性をもたらします。古細菌クエン酸合成酵素の場合、タンパク質のフレキシブルさを保ち触媒活性を失わないまま、変性を抑え卓越した耐熱能力を獲得していました。スクラッチシールドの場合、擦り傷で凹んでもネットワーク構造が断絶されないがために、従来ありえなかった自己復元が可能になりました。このように、輪っか状の分子には、まだまだハンパない可能性が秘めているかもしれません。
円環の先にあなたはどのような希望をつなげますか?
- 参考ウェブページ
超分子ネットワークの実用化
http://www.molle.k.u-tokyo.ac.jp/research/supramolecule.html .
スクラッチシールド|日産|技術開発の取り組み
http://www.nissan-global.com/JP/TECHNOLOGY/OVERVIEW/scratch.html .
日産、自己復元型塗装「スクラッチシールド」を施した、iPhone用ケースを開発中!(2012. 01. 17)
http://web.meet-i.com/news/?p=105406 .
- 参考論文
[1] 5つの輪が連続したオリンピアダンの合成
"Olympiadane." Amabilino et al. Angew. Chem. Int. Ed. 1994 DOI: 10.1002/ange.19941061212
[2] 自己組織化で作る2カ所でつながりあったカテナン
"Spontaneous assembly of ten components into two interlocked, identical coordination cages" Makoto Fujita et al. Nature 1999 DOI: 10.1038/21861
[3] 分子ボロミアンリングの合成
"Molecular Borromean Rings" Kelly S. Chichak et al. Science 2004 DOI: 10.1126/science.1096914
[4] プレツェランとその相同な環状カテナンの合成
“Donor–Acceptor Pretzelanes and a Cyclic Bis[2]catenane Homologue” Yi Liu Dr et al. Angew. Chem. Int. Ed. 2005 DOI: 10.1002/anie.200500041
[5] 最初のカテナンの合成
"The Preparation of Interlocking Rings: A Catenane" Wasserman et al. J. Am. Chem. Soc. 1960 DOI: 10.1021/ja01501a082
[6] 好熱古細菌のクエン酸合成酵素はカテナンタンパク質だった
"Discovery of a Thermophilic Protein Complex Stabilized by Topologically Interlinked Chains" Daniel R. Boutz et al. J. Mol. Biol. 2007 DOI: 10.1016/j.jmb.2007.02.078
[7] ウイルスの殻に見られるカテナン構造
"Protein Chainmail: Catenated Protein in Viral Capsids" Robert L. Duda Cell 1998 DOI: 10.1016/S0092-8674(00)81221-0
[8] トポロジカルゲルの合成
"The Polyrotaxane Gel: A Topological Gel by Figure-of-Eight Cross-links" Yasushi Okumura and Kohzo Ito Adv. Mater. 2001 DOI: 10.1002/1521-4095(200104)
- 関連書籍