未曽有の大惨事から1年。東北大学の復興をここにつづっておきたいと思います。ネイチャーやサイエンスの最新号の表紙が、一本松に、フクシマと、東日本大震災にちなんだものになっていました。あれから1年。みなさんは長かったと感じますか? 短かったと感じますか?
震災時に大学敷地内にいた人間に関して言えば人的被害は耳にしていませんが、沿岸部に住んでいた家族や親戚をなくしたという方は何人か知っております。まずはじめに、ご冥福をお祈り申し上げます。
2011年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本における観測史上最大の規模、マグニチュード 9.0を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの広範囲に及んだ。この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。
参考:Wikipedia |
東北大学も地震の被害を受け、4月中までの休講が決定し、研究室それぞれで復興の日々が始まりました。青葉区にある中心的なキャンパスに関して言えば、実を言うと、研究室の被害はそれぞれで、建物の1階や2階は被害が少なく、6階や7階など階が上がるにつれて被害が多いといった傾向がありました。それもあって、多少の不便はあったものの翌週から実験していたというケースから、9月にやっと実験を始められたというケースまでさまざまです。
このような状況ですから、ひとりの経験談というのはあながち信用にならないものです。仙台市街に住む以上、電気・ガス・水道・通信がストップし生活に困った点は同じはずですが、わたしも自分の体験談ばかりを書くのはやめておきましょう。
ただ、理学キャンパスの中で化学棟が最も危なかったのは確かで、苦労された方は少なくないようです。化学棟の階によっては、床に水分と禁水試薬と電気コードが散乱していて手がつけられず、そのため電気が復旧しても使えない上に危険な状態から復興へ向けた片づけ作業が始まりました。薬学や工学系の化学関係でも、うちはひどい、という声をよく聞きました。
ただ5月になるとだいぶ落ち着いてきて、専門課程や教養課程(全学課程)の講義も開始し、日常を取り戻し始めます。震災で壊れた実験機器についても、特別にお金がおりてほとんどが新しく購入され、見方によっては以前よりも設備が拡充しているようなところがなきにしもあらず、といった状況です。
5月に講義が始まって印象的だったのは、どこがで知り合いから聞いて出どころはよく分からないのですが、学生に向けた「震災世代の君たちが東北大学から日本の化学と社会を変えていくんだ」という話でした。確かに実験はストップし研究が遅れたことは確かです。進学か(研究職以外を含めて)就職か悩んでいた学生には、空白の期間は短いものではないでしょう。研究人生10年の中の1ヶ月と、研究開始1年の中の1ヶ月では、占める割合が違います。しかし、大学に残るにせよ、社会に羽ばたくにせよ、震災で得たものは確かにあると思います。
前期日程の大学入学試験の合格発表が3月8日にありました。今年の倍率はいくらか低かったそうです(2.5倍→2.3倍)。倍率の変動が大きなものと解釈するにせよ、小さなものと解釈にするにせよ、東北大学で大丈夫か、新入生に不安な気持ちはあることでしょう。勝手ですが(責任も取れません)ここに宣言するところによると、安心して入学してください!問題ありません!
来年度の講義は通常どおり行われるはずです。
いつの日か配属される研究室の設備もばっちりです。
新入生を迎える用意は万端です。
オチを言うと、これからの東北新入生はいいのでしょうけれども、実験できなかった空白の期間が痛かったという在学生はいるわけで、そのあたりのケアが欲しかったという気持ちを吐露して、結びにしてしまいます。
参考ウェブサイト
- Nature特別翻訳記事(http://www.natureasia.com/japan/nature/specials/earthquake/ )