フッ素と言えば、とにかく小さいことが特徴です。この小さなフッ素をどうつまむのか、ユニークな最近のアイディアをあげて、自然にある仕組みと、人工に作り上げた仕組みで、その戦略をそれぞれ比べてみます。フッ素感知リボスイッチから、ホウ素化合物とのルイス酸塩基錯体まで、その発想に迫ります。
フッ素が添加された歯磨きペーストは、歯の健康に有用であるとされ、世界のいろいろな地域で流通しています。日本で市販されている歯磨きペーストのほとんどはフッ素が添加されており、政府もフッ素の添加を奨励しています。
しかしながら、高濃度のフッ化物イオンは危険で、確かに浸透しやすいフッ化水素などは化学実験でも丁重に取り扱います。試薬のフッ化水素酸を、誤って皮膚に垂らしてしまうと、骨まで届き体内でフッ化カルシウムが析出してうずくような激しい痛みに襲われます。
もちろん物事は程度の問題で、歯磨きペーストにはナトリウム塩などのかたちでフッ化物が添加されているわけですが、こちらは歯を強くするのだとかなり以前から言われています。どちらもカルシウムと強く結びつく点がミソなので、二律背反、切っても切れない因果関係のようです。
天然のフッ素認識システム
フッ化物イオンはカルシウムと強く結びつくため、細菌などたいていの生き物にとって、フッ素は不要どころか、あまり好ましくない物質です。えぇ、彼ら細菌たちには歯がありませんから。
どうせ、生き物のことだから、フッ素感知もタンパク質が受容体なのだろうと思いたくなるところですが、その予想は残念ながらハズレです。アミノ酸が連なったタンパク質ではなく、ヌクレオチドが連なったRNAで、細菌はフッ素を感知しています[4]。
論文[4]より
合図になる物質が直接に結合することで、RNAの立体構造とともにリボソームの近づきやすさが変化し、遺伝子の発現を調整するシステムを、リボスイッチと呼びます。従来は低分子の代謝産物で多くが知られ、リボスイッチはヒトにも存在が確認されているシステム[5]でした。
そのリボスイッチが、ハロゲン化物イオンの中でもとくに小さいフッ化物イオンを上手く認識し、フッ化物イオンの輸送に関わるタンパク質などフッ素の耐性に寄与する遺伝子産物の多寡を決めていたというのです。このフッ化物イオンを感知するリボスイッチの配列は、DDBJ(DNA Data Bank of JAPAN)のような遺伝配列データベースを調べたところによると、ヒトをはじめ真核生物には無いものの、大腸菌をはじめほとんどの細菌で共通して見られるとのこと。当然、虫歯菌(Streptococcus mutans )にもあるようです。結晶構造解析[6]によると、RNAに結合した3つのマグネシウムイオンにはさまれて、フッ化物イオンが認識されているようです。
人工のフッ素認識システム
天然のものだけではなく、人間の側からも、フッ素と結合する人工分子を紹介しましょう。元素の同定や定量については誘導結合プラズマ(inductively coupled plasma; ICP)法など他に優れた方法があるものの、今回の比較の趣旨は「ひとつの分子でフッ素をつまむこと」にあるので遠慮していただくことにして、個人的にユニークで面白いと思っている分子は、これらホウ素化合物です。
基本の戦略として鍵になるポイントは、ホウ素原子の空のp軌道です。ルイス酸としてホウ素が、ルイス塩基としてフッ素が機能し、共役系の変化を色彩で見ようという方針です。プラナーボランの記事でも似たような反応が紹介されていました。
論文[1]より
詳しい光学特性は論文[1]をチェック
アントラセンを3つボランにつなげた化合物[1]に加えて、水道水*に許容量以上のフッ素が含まれていないか調べることができる化合物[2]や、硫黄でもセレンでもなくカルコゲン元素としてテルルの性質を調べた化合物[3]も報告されています。フッ素の検出と言うよりも、フッ素の有無で分子の性質が変わるというところに、こちらは面白みを感じます。
人間が作ったものでも、生き物の中で機能しているものでも、フッ素のつまみ方はそれぞれですが、ユニークな発想がどこかで役に立つと嬉しいですね。
補注
*フッ素の定量について実際はアリザリンコンプレクソンのランタン錯体を用いた方法が一般的なようです。
アリザリンコンプレクソン
参考論文
- アントラセンを3つつなげたボランで色彩によりフッ素を感知 “Colorimetric Fluoride Ion Sensing by Boron-Containing ð-Electron Systems” Shigehiro Yamaguchi et al. J. Am. Chem. Soc. 2001 DOI: 10.1021/ja015957w
- 水道水に過剰のフッ素が含まれていないか検出が可能な分子 “Cationic Boranes for the Complexation of Fluoride Ions in Water below the 4 ppm Maximum Contaminant Level” Youngmin Kim et al. J. Am. Chem. Soc. 2009 DOI: 10.1021/ja015957w
- フッ素を使ってテルルの性質を調べる “A bidentate Lewis acid with a telluronium ion as an anion-binding site” Haiyan Zhao et al. Nature Chemistry 2010 DOI: 10.1038/NCHEM.838
- 細菌界に広く存在するフッ化物イオンを感知するリボスイッチ “Widespread Genetic Switches and Toxicity Resistance Proteins for Fluoride” Jenny L. Baker et al. Science 2012 DOI: 10.1126/science.1215063
- ヒトの核で機能するリボスイッチ “A stress-responsive RNA switch regulates VEGFA expression” Partho Sarothi Ray et al. Nature 2009 DOI: 10.1038/nature07598
- フッ化物イオンを感知するリボスイッチの立体構造 “Fluoride ion encapsulation by Mg2+ ions and phosphates in a fluoride riboswitch” Aiming Ren et al. Nature 2012 DOI: 10.1038/nature11152
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