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UCLAにおける死亡事故で指導教授が刑事告訴される

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有機化学美術館さんでも紹介されておりましたが、今月のnatureダイジェスト誌にカリフォルニア大ロサンゼルス校(以下UCLA)で起きた化学実験中に起きた死亡事故に関する続報が掲載されていました。報道によれば、事故から丸3年が経過しようとした2011年12月27日、死亡した研究助手の所属研究室のPatrick Harran教授と、カリフォルニア大学理事をカリフォルニア州の地方検察局が、「労働安全衛生基準の意図的な違反により被用者を死亡せしめた」として刑事告発したとのことです。

有罪となればHarran教授は最長で懲役4年6ヶ月が、UCLAは再考で150万ドルの罰金が科せられる可能性があります。それに対しUCLA側は「著しく正義に反する告発に対して、断固対決する所存である」と反論したとのことです(声明文はこちら)。

以前のポスト(こちらこちら)でもこのUCLAで起きた事故については取り上げておりましたが、研究室で起きた事故でその研究室のPIが刑事告発されるというのは異例であり、大学で教育に携わる者として他人事とは思えませんので、今回はこれを期に改めて大学研究室の化学実験における安全対策について少し考えてみたいと思います。

その前に、UCLAで起きた死亡事故についてまた少し振り返ってみましょう。2008年12月29日、UCLA化学科のPatrick Harran研究室に所属する研究助手Sheharbano Sangji(享年23)はt-ブチルリチウム注射器で吸い出そうとしていたところ、何らかの原因によりプランジャー(ピストンのところ)が外れt-ブチルリチウムが空気にさらされた結果発火し、着衣に引火しました。不幸な事に彼女はその際白衣などを着用しておらず、化繊のセーターを着用していたようです。そのせいもあり大火傷に至り18日後に残念ながらお亡くなりになったのです。

Harran教授は複雑な構造を有する生理活性天然有機化合物の合成で知られています。特にテキサス大時代のdiazonamide Aの合成に関する論文[1]は筆者の個人的には好きな論文の一つです。

diazonamide.png

図 Diazonamide Aの構造

 

一方Sangjiさんはパキスタンの出身で、Pomona collegeを卒業後、Harran研で研究助手をされていたようです。大学院生ではなく、研究助手というポジションに着いたようですが、彼女はPomonaで3年間有機合成の研究に従事しており、全くの素人という訳ではありませんでした。[2]また、留意しなければならないのは、彼女は10月13日に着任しており、その10月には既に一度事故を起こしたのと同じ反応を既に行っているということです。その際は1.67 Mのt-ブチルリチウム(ペンタン溶液)を約54 ml使用しており、所望の化合物を80%以上の収率で得ることに成功しています。

reaction.png

図 試みられた反応 (有機リチウムはカルボニル化合物に付加反応する)

t-ブチルリチウム溶液54 ml。筆者の感覚ではちょっと怖いなあです。では事故の際はと言いますと、その約3倍(約160 ml)です。これだけのスケールの実験となったらかなり身構えて実験しなくてはいけないと思いますが、用意した器具がプラスチック製の60 mlの注射器と1.5インチの20ゲージの針だそうで、適切な器具とは言いがたいものです。

では発火したt-ブチルリチウムとはどんな物質でしょうか。t-ブチルリチウムは主にペンタン溶液として市販されておりますが、一般的にt-ブチルクロリドと金属リチウムとのハロゲンー金属交換によって調製可能です。有機リチウムは主に強塩基として用いられる事が多く(上図のような付加反応もします)、その塩基性は一級、二級、三級となるに従って強くなっていきます。当然それに伴って反応性、即ち危険性が高くなっていきます。

tBuLi.png

図 t-ブチルリチウムの製法

筆者の経験上t-ブチルリチウムは有機合成の実験において最も慎重に扱わなければならない試薬です(あくまで筆者の個人的な見解です)。実際筆者も試薬ビンからt-ブチルリチウムを注射器で引き抜こうとした際、注射針が途中で破損してしまい、どうしようもなくなったことがあります。結局量が少なかった為事なきを得ましたが、放置した注射器は火炎放射器のように先から火を噴いていました。t-ブチルリチウムは空気と触れると発火するという事は本で読んで知ってはいましたが、現実に燃えている様を見せつけられた時の衝撃は筆舌に尽くし難いものがあります(不謹慎ですが少し興奮しました)。このような危険性をHarran研では、もしくはSangjiさんは認識していたのでしょうか?筆者にはとてもそうには思えません。

Harran研の内部を直接見たわけではありませんので設備がどうなのか、普段の実験の様子がどうなのかは判断出ません。しかし報道によれば、ドラフト内で実験を行っており、ニトリルの手袋はしていたようです。ただし、上述のように白衣は着用しておらず、また安全眼鏡をしていたかどうかは定かではないようです。さらに、事故が起こった際、ポスドクが白衣でSangjiさんの火を消そうと試みましたが駄目だったということから、せっかく設置されていた緊急用シャワーを使用しなかった事、また近くには消化器が無く(あったものの忘れられていた可能性もあります)、シンクから水を掛けたという対応は適切だったとは言い難いものです。

翻って我が国の大学における研究環境は安全と言えるでしょうか。これはNoと断言できます。

筆者の研究室には全員分のドラフトがある訳ではなく、実験操作は一般的な実験台の上で行っています。また、実験中の白衣の着用率はまあまあだと思いますが、自分が操作をしていない際は脱いでいる学生が多く、もらい事故に対する油断があるように思います。さらに、ニトリル手袋やサニメント手袋は用意していますが、必ずしも全ての実験で着用している訳ではなく、また酷い場合は安全眼鏡を外しているケースも多々見受けられます。多くを見たわけではありませんが、どのラボでもそんな事は日常的にあるのではないかと思います。(2023.6.21追記:現在では研究棟の移動に伴い全員の実験台をドラフトにし、白衣、安全眼鏡の着用を徹底するように改善しています)

これらは我が国の大学研究室の面積が狭いという根本的な問題から、歴史的にそこまで大げさな設備が設置されてこなかったということ、さらには自分は大丈夫だろうという過信によって煩わしさから軽装で実験を行ってしまうといった問題に起因すると思います。

筆者の所属する学科には化学実験が開講されており、必修となっています。そこでは、テキスト、DVDを用いて化学実験の危険性についてみっちり講義します。さらに筆者の研究室では、新人教育において自作テキスト、筆者自身もしくは所属学生に実際に起こった事故について例示して、いかにして研究室で安全に配慮すべきかを学ばせます。それにも関わらず恥ずかしながら上記のような状態です。

我が国のアカデミックな環境には指導者の認識不足というのが少なからずあるように思います。本blogはアカデミックな立場の方も多数お読みいただいていると思います。また丁度これから新人が研究室に入ってくる時期になります。これを機に教官の意識改革、強い指導、危機管理意識の徹底を再度確認していただければ幸いです。

先日のポストでも指摘されていたように、ヒューマンエラーは避けられません。よって事故を防ぐにはラボ内で常に多くの目を光らせ、お互いの実験について意識し、注意し合うことが必要だと思います。筆者自身も身の引き締まる思いです。

  • 参考文献
[1] Burgett, A. W. G.; Li, Q.; Harran, P. G. Angew. Chem. Int. Ed. 2003, 42, 4961. doi:10.1002/anie.200352577

[2] Kemsley, J. N.; C&EN 2009, 87, 29. “Learning From UCLA”

 

  • 関連書籍

 

 

 

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有機合成化学が専門。主に天然物化学、ケミカルバイオロジーについて書いていきたいと思います。

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