だいぶ寒くなってまいりました。この時期は会社も大学もとても忙しい時期です。風邪などの病気にはくれぐれも気を付けてください。
さて、この「書物から学ぶ有機化学」はあまり好評ではありませんが、自己満足で4回目に突入です(笑)。過去の記事も読んで頂けたら嬉しいです。
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「哲学」という学問について何か考えたことはありますか?
そもそも、哲学ってなんでしょう?
「てつがくのライオン」は、ふと哲学ってなんだっけなと立ち止まらせてくれる詩です。
「博士」の学位を取得した、あるいは取得しようと努力している方は世界中にいます。大学の学部生にとっては博士課程の研究者は雲の上の存在かもしれませんが、大学院に入るとたちまち研究室の教授から少しずつ博士課程への進学を勧められるようになります。そして、いつのまにかだまされてしまい博士課程に進むことになったという方も多いことでしょう。
さて、日本では単に「博士」と呼ぶことが多いですが、英語圏ではPh.Dと呼ばれ、Doctor(博士)の前にPh.がついています。このPh.はPhilosophy(哲学)です。つまり、博士課程に進むとただその分野について学ぶのみならず、「哲学」と向き合っていくことになるのです。
では、最初の質問に戻って、哲学ってなんでしょうか?「てつがくのライオン」に出てくる「ライオン」は、哲学についてぼんやりとしたイメージしか持っていない様子で、体裁を整えるところからスタートしています。
きょうライオンは「てつがくてき」になろうと思った
哲学というのは坐りかたから工夫した方がよいと思われるので、
尾をまるめて腹ばいに坐り、前肢を重ねてそろえた
哲学の定義は非常に難しいですが、大ざっぱに言えば、
とある主題につきまとう問題を明確化し、それについて探究する学問
ということだと思います。すなわち、Ph.Dたるものは、何かの装置を使いこなせるだとか複雑な現象のメカニズムを知っているだとかいうことももちろん重要ですが、それとは別に、何か本質的な問題と常に対峙していなければいけないと思うのです。
日本化学会の雑誌「化学と工業」1月号の巻頭言にて東京大学の中村栄一先生は以下のように書いています。
1960年代から80年代の化学者は、周期表という未踏の原野を駆け回り、宝の山を探し求める狩人だった。
(略)
多くの元素の性質が探求され尽くされつつある今、21世紀の科学を支える世界観には「元素の秘密の解明」を一歩越えた何かが必要である。その何か、を政策的に支えるのが元素戦略である。およそ「戦略」と呼ばれるものには必ず「哲学」が必要である。すなわち、「何故、国としてそれを行うのか」という理由付けが必要である。
一見すると非常に難解な文章ですが、読み進めていくとその意図するところが見えてきます。
紛争の大きな要因は、民族、宗教、そして資源である。自然科学者は第一、第二の問題の解決に直接寄与することはできないが、第三の課題において競い合い、紛争の解決に直接寄与することができる。そればかりか、国々の得手不得手を生かした世界協調の枠組みの構築に寄与することもできる。「研究者が力を結集して新しい社会を作ろう」、これが日本の「元素戦略」が世界に発するべきメッセージだ、と私は考えている。
この「元素戦略:歴史観・世界観に裏打ちされた科学研究」と題された巻頭言。きわめて視野広い「哲学観」を感じました。
「書物から学ぶ有機化学」と題しておきながら哲学的な話ばかりになってしまいましたが、最近感じたことをとりとめもなく書いてみました。次回はもう少し有機化学っぽいことを書いてみようと思います。