[スポンサーリンク]

化学者のつぶやき

エチレンを離して!

[スポンサーリンク]

フロンティア軌道論とは、反応に関与する軌道の位相・対称性・電子密度によって分子間反応が支配されていることを説明する量子化学であり、Roald Hoffmann氏福井謙一氏らは、この理論を確立した業績によって1981年にノーベル賞を受賞しています。

rk20120108toc.gif

またWoodward-Hoffmann則(経験則)は、このフロンティア軌道論を基に提唱されています。

1825年にツァイゼ塩(Zeise’s salt:K[Cl3Pt(η2-H2C=CH2)])が発見されて以来[1]、これまでに多くの遷移金属-アルケンπ錯体が合成されており、これらは様々な触媒反応における鍵化合物であることがわかっています。これら金属中心へのエチレンの配位は可逆的で、遷移金属-エチレン間における電子授受の絶妙なバランスにより成り立っています。

一方、室温下でエチレンと可逆的な付加脱離反応を示す有機化合物は、これまで報告されていませんでした。そこで、最近発表された二つの論文をご紹介したいと思います。
まず一つ。
Yang Peng, Bobby D. Ellis, Xinping Wang, James C. Fettinger, Philip P. Power, Science 2009, 325, 1668. DOI: 10.1126/science.1176443
Distannyne 1と可憐なエチレンガスを室温下・1気圧で反応させると、反応は速やかに進行し、エチレン2分子が付加した[2.2.0]ビシクロ体 2が得られます。生成物は異なる場合がありますが、実はここまでは、他の高周期アルキン類縁体でも以前に報告されている反応です[2]。
ところが2は、真空引き(もしくは加熱)すると1を再生するという点で、他の類縁体とは異なる性質を示します。
即ちこの反応、形式上、可逆的な[2+2]環化付加反応を達成しているわけです。
なんだそれだけ、と一瞬思うかもしれませんが、マイルドな条件下でのレトロ反応は非常に重要です。(この時、ふたつのH2C-CH2部位が「エチレン」として再生しているのかは疑問ですが)
rk201201081.gif
(ORTEP図は論文より引用)
少しだけポイントを。
(a) “ウッドワード・ホフマン則(経験則)・フロンティア軌道論(理論)“に従って、炭素の系では同条件下でこのような[2+2]環化付加反応(及びレトロ反応)は起こりません
→ HOMO(エチレン)-LUMO(Distannyne)の[2+1]軌道相互作用から反応が始まっている。
(b) Ph基で簡略化したモデル化合物に対する理論計算では、同可逆反応はより困難であると予想
→ 嵩高いAr基による環歪みが効いている。
(c) 同じAr基でもGeの系で可逆反応は起こらない
→ より弱い(長い)Sn-C結合がレトロ反応を可能にしている。
(d) 新しいDistannyne合成法でもある。
実際の実験の様子(緑:Distannyne。黄色:ビシクロ[2.2.0]化合物)
見た目的にも楽しい反応ですね。
もう一つがこちら。
Ricardo Rodriguez, David Gau, Tsuyoshi Kato,* Nathalie Saffon-Merceron, Abel De Czar, Fernando P. Cosso, and Antoine Baceiredo*. Angew. Chem. Int. Ed. 2011, 50, 10414. DOI: 10.1002/anie.201105097.
ホスホニウム-シライリド 3とエチレンを低温下、1~10気圧で反応させると、シリラン 4が得られます。
シリレンとアルケン/アルキンから三員環が得られる類似の反応は知られていますが [3]、上述の反応では、エチレンの圧力を下げる(もしく室温まで昇温する)と 3が再生します。
rk201201082.gif
(ORTEP図は論文より引用)
この反応では、リン上の置換基をPh基に変えると、レトロ反応が起こらなくなります。
(またケイ素上の置換基をPhからHにすると、置換エチレンの場合、ヒドロシリル化が室温下でおこります[4])。
先述したとおり、これらの挙動は、これまでは遷移金属でしか観測されていなかったもの。(*生成物は厳密にはDewar-Chattモデルのようなπ配位化合物とは異なりますが)
分子の立体・電子の状態を制御し、「反応前後のフロンティア軌道をイメージすることで」金属なしでも類似の反応を見い出せる、ということでしょう。
ご存知の通り、有機分子を使って小分子を活性化する、というのは近年の流行りです。
が、いくつかの例を除いて、ずばり壁にぶち当たっている点は、「活性化したのちに次のステップへ展開できていないこと」だと感じています。この分野で次の段階へすすむ手掛かりとなるのが、反応「」の分子軌道状態を見据えた分子設計、かもしれません。
フロンティア軌道という基礎中の基礎に、もう一度目を向けてみる価値は十二分にあると思います。
そのノウハウが蓄積された先には、金属同様もしくはそれ以上の触媒能を持つ有機分子開発へ繋がると期待できます。
参考文献
[1] W. C. Zeise, Overs. K. Dan. Vidensk. Selsk. Forh. 1825, 13.
[2] Selected: (a) N. Wiberg, S. K. Vasisht, G. Fischer, P. Meyer, Z. Anorg. Allg. Chem. 2004, 630, 1823, DOI: 10.1002/zaac.200400177.
(b) C. Cui, M. M. Olmstead, J. C. Fettinger, C. H. Spikes, P. P. Power, J. Am. Chem. Soc. 2005, 127, 17530, DOI: 10.1021/ja055372s.
(c) Y. Sugiyama, T. Sasamori, Y. Hosoi, Y. Furukawa, N. Takagi, S. Nagase, N. Tokitoh, J. Am. Chem. Soc. 2006, 128, 1023, DOI:10.1021/ja057205y.
[3] (a) Dong Ho Pae, Manchao Xiao, Michael Y. Chiang, Peter P. Gaspar, J. Am. Chem. Soc. 1991, 113, 1281, DOI: 10.1021/ja00004a031.
related:(b) Lawrence R. Sita* and Richard D. Bickerstaff, J. Am. Chem. Soc. 1988, 110, 5208, DOI: 10.1021/ja00223a059.
[4] R. Rodriguez, D. Gau, Y. Contie, T. Kato,* N. Saffon-Merceron, A. Baceiredo, Angew. Chem. Int. Ed. 2011, 50, 11492, DOI: 10.1002/anie.201105639.
関連書籍

 

関連記事

  1. 最近の金事情
  2. 2つの結合回転を熱と光によって操る、ベンズアミド構造の新たな性質…
  3. 分子集合の力でマイクロスケールの器をつくる
  4. 書物から学ぶ有機化学 2
  5. アルキンメタセシスで誕生!HPB to γ-グラフィン!
  6. 粒子画像モニタリングシステム EasyViewerをデモしてみた…
  7. アカデミアケミストがパパ育休を取得しました!
  8. 合成化学者十訓

注目情報

ピックアップ記事

  1. (-)-ナカドマリンAの全合成
  2. ゲノムDNA中の各種修飾塩基を測定する発光タンパク質構築法を開発
  3. ポンコツ博士の海外奮闘録 外伝① 〜調剤薬局18時〜
  4. Evonikとはどんな会社?
  5. ライトケミカル工業2025卒採用情報
  6. 堀場雅夫 Masao Horiba  
  7. アマゾン・アレクサは化学者になれるか
  8. 有機溶媒吸収し数百倍に 新素材のゲル、九大が開発
  9. ミヤコシンA (miyakosyne A)
  10. テトラサイクリン類の全合成

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2012年1月
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  

注目情報

最新記事

乙卯研究所 2025年度下期 研究員募集

乙卯研究所とは乙卯研究所は、1915年の設立以来、広く薬学の研究を行うことを主要事業とし、その研…

次世代の二次元物質 遷移金属ダイカルコゲナイド

ムーアの法則の限界と二次元半導体現代の半導体デバイス産業では、作製時の低コスト化や動作速度向上、…

日本化学連合シンポジウム 「海」- 化学はどこに向かうのか –

日本化学連合では、継続性のあるシリーズ型のシンポジウムの開催を企画していくことに…

【スポットライトリサーチ】汎用金属粉を使ってアンモニアが合成できたはなし

Tshozoです。 今回はおなじみ、東京大学大学院 西林研究室からの研究成果紹介(第652回スポ…

第11回 野依フォーラム若手育成塾

野依フォーラム若手育成塾について野依フォーラム若手育成塾では、国際企業に通用するリーダー…

第12回慶應有機化学若手シンポジウム

概要主催:慶應有機化学若手シンポジウム実行委員会共催:慶應義塾大学理工学部・…

新たな有用活性天然物はどのように見つけてくるのか~新規抗真菌剤mandimycinの発見~

こんにちは!熊葛です.天然物は複雑な構造と有用な活性を有することから多くの化学者を魅了し,創薬に貢献…

創薬懇話会2025 in 大津

日時2025年6月19日(木)~6月20日(金)宿泊型セミナー会場ホテル…

理研の研究者が考える未来のバイオ技術とは?

bergです。昨今、環境問題や資源問題の関心の高まりから人工酵素や微生物を利用した化学合成やバイオテ…

水を含み湿度に応答するラメラ構造ポリマー材料の開発

第651回のスポットライトリサーチは、京都大学大学院工学研究科(大内研究室)の堀池優貴 さんにお願い…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー