絹と言えばシルクの布としてもおなじみですが、絹糸は手術の縫合糸など他にもいろいろな場面で使われています。通気や透湿に優れ、肌とよくなじむことに加えて、細さの割に優れた強靭さが、絹糸の特徴です。
このように、ただでさえ十分な魅力を持った繊維である絹糸ですが、これを凌駕する新材料、クモの糸について、画期的な手法が開発[1]されたため、ここに紹介します。
しなやかで強靭なクモの糸
クモの糸は、クモの生活を支える命綱であり、きわだった機械特性を持ちます[2]。クモの糸を束ねて作った直径3ミリメートルのひもで、体重66キログラムのヒトをぶらさげることができると言いますから、ずいぶんタフな素材です。芥川龍之介『蜘蛛の糸』に登場するカンダタが、もしこのことを聞いたら、きっと悔しがることでしょう。
強さだけではなく、クモの糸はしなやかさをあわせ持つ驚くべき素材です。強度の高い鉄鋼を使ってバイオリンは作れませんが、クモの糸を弦にしたバイオリンが試しに作られたことがあります。通常のガット弦の場合よりも、クモの糸を弦にしたバイオリンは、柔らかな音を奏でたそうです。
カイコの糸も、クモの糸も、アミノ酸配列が互いに似通ったフィブロインと呼ばれるタンパク質が、いくつもいくつもより合わさってできています。フィブロインタンパク質のアミノ酸配列は、グリシン・アラニン・セリンなど側鎖の小さいアミノ酸が8割以上を占めます。サイズの小さいアミノ酸が並ぶことで、よりあわさったフィブロインタンパク質は、結晶のような性質を持ちます。しなやかさだけではない強度の秘訣は、ここにあるとされます。
材料の観点から、とても興味深いクモの糸ですが、案の定なかなか大量生産には向きません。クモを密集して育てようとすれば、お互いに共喰いしてしまいます。桑の葉を食べるカイコのように穏やかな気性を、クモは持ちません。クモの糸が魅力ある材料であっても応用が進まない理由はここにあります。
クモが育てられないならばカイコを育てればいい
クモからフィブロイン遺伝子をクローニングして、遺伝子導入の容易な大腸菌で発現させるという試みは、すでになされています[3]。大腸菌なので他にも遺伝子を導入して、代謝経路を改変し、フィブロインの原料となるアミノ酸を生合成しやすくすることも可能です[3]。しかし、進化の観点でクモから遠く離れ、まったく異なる生活をしてきた大腸菌だけあって、フィブロインタンパク質はバラバラで、カイコのように紡がれた状態では得られません。精製も面倒です。
そこで満を持してカイコの登場[1]です。クモのフィブロイン遺伝子を、カイコに導入します。
ショウジョウバエほどではありませんが、カイコは分子遺伝学的な研究がよく進んだ昆虫[4]であり、遺伝子導入技術も整備されています。大腸菌と異なり、カイコは、まゆを作るため、フィブロインを蓄える絹糸腺があります。のりの役割を持つセリシンタンパク質をはじめ、糸状にするために必要な物質も、しっかりこの器官にあります。
遺伝子導入は期待通りに成功。上手くいっているかレポートするために入れ込んだ緑色蛍光タンパク質の輝きも確認されました。そして、カイコが紡いだクモの糸の機械特性を調べたところ、従来の絹糸よりも格段に強靭さが増していました。
新しい機能材料として、クモの糸が流通する日も近いかもしれません。
参考論文
[1] “Silkworms transformed with chimeric silkworm/spider silk genes spin composite silk ?bers with improved mechanical properties.” Florence Teule et al. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 2012 DOI: 10.1073/pnas.1109420109 [2] “Spider silk as mechanical lifeline” Shigeyoshi Osaki Nature 1996 DOI: 10.1038/384419a0 [3] “Native-sized recombinant spider silk protein produced in metabolically engineered Escherichia coli results in a strong fiber” Xiao-Xia Xia et al. Proc. Natl, Acad. Sci. USA 2010 DOI: 10.1073/pnas.1003366107 [4] “Genome-wide identification of cuticular protein genes in the silkworm, Bombyx mori” Ryo Futahashi et al. Insect Biochem. Mol. Biol. 2008 DOI: 10.1016/j.ibmb.2008.05.007
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