炭素原子の周りすべてがFになったトリフルオロメチル基の画期的導入法
サイズは小さいわりに自己主張が極めて強いフッ素は、医薬品など薬剤開発の場面でキーとなる原子です。そのため、トリフルオロメチル基(-CF3)を穏和な条件で導入する反応には、大きな需要があります。メチル基(-CH3)のH 3つすべてがFになる、そんなデザインを可能にする画期的な反応が開発されたため、ここに紹介します。
本題へ入る前に、フッ素の特別さ、特異さについて、要点をいくつか確認しましょう。
小さくて個性的なフッ素原子には生命の進化の過程で取り残された未踏の可能性が眠っている
リード化合物から実際の医薬品へと、化学構造を改良する場合、分解されにくくすることは、ひとつの重要な指針です。とくに、シトクロムP450と呼ばれる酵素の一団がやっかいで、やたらと物質を酸化して別なものに変換したがります。このような場合、そう簡単に、生体内で変換されてしまったり切断されてしまったりしない結合に取りかえてしまえば、酵素による分解を妨げられるでしょう。
薬剤の標的は、酵素なり受容体なり輸送体なり、たいていの場合、生き物の体の中で機能するタンパク質です。薬剤の標的となるタンパク質の立体構造が解かれている場合、どうすれば薬剤とタンパク質がより強く結合して複合体を作るか、改良の余地が見えてきます。とくに、薬剤が結合する標的タンパク質のくぼみで、グルタミン酸やアスパラギン酸などの酸性アミノ酸が多く負の電荷を帯びていたり、リジンやアルギニンなどの塩基性アミノ酸が多く正の電荷を帯びていたり、といった場合は要チェックです。かたちをそのままに、化学構造をデザインし直すことで、より強く結合する化合物へ改良できるでしょう。
ベンゼン・フルオロベンゼン・クロロベンゼン・トルエン・トリフルオロメチルベンゼンの静電ポテンシャルマップ
フッ素原子は、他のハロゲン原子と比べて、サイズが小さく、炭素との結合も切れにくく、強力に電子を引きつける能力があります。このような性質のため、分解されにくくしたい、標的タンパク質と強く相互作用させたいといった要望に、フッ素は応えることができます。
しかし、一筋縄の方法でフッ素は取り扱えません。大学学部レベルで使われる有機化学の教科書で、ハロゲン化合物の項目を見ても、大部分が割愛されているだけのことはあります。さすが、かつて単体フッ素の単離に挑んだ化学者を苦しめた経歴を持つかなりの曲者です。
そもそも、自然はフッ素の取り扱いが難しいからこそ避けてきたところがあります。生命誕生から数億年。フッ素を含む天然化合物[1]はごくわずかで、そのほとんどが構造も単純。多くの生命は、フッ素を含まない別の化合物で、さらなる高みを目指して進化を続け、機能に満足してきました。もしも仮に、フッ素化合物が簡単に生合成できるならば、すでに続々と単離されていてもよいはずです。
しかし、だからこそ、進化の過程で取り残された未踏の構造が、フッ素化合物にはあります。細胞の中で作れなくても、フラスコの中ならば作れる。不可能を可能に変える化学の挑戦は続きます。
とくに重要な技術が、芳香環にフッ素原子を置換して入れる方法です。有毒なモノフルオロ酢酸に代謝[2]される恐れがないなど、なぜ芳香環なのかについては、いくつか利点はあります。
フルオロベンゼンのように、ベンゼン環の上にフッ素原子を導入する方法については、ケムステ内ですでに記事がありますので、そちらをどうぞ。
(1)斬新な官能基変換を可能にするパラジウム触媒/アリールフッ素化合物の合成
“Formation of ArF from LPdAr(F): Catalytic Conversion of Aryl Triflates to Aryl Fluorides”
Science 2009 DOI: 10.1126/science.1178239
“Silver-Catalyzed Late-Stage Fluorination”
J. Am. Chem. Soc. 2010 DOI: 10.1021/ja105834t
さて、フッ素化学の魅力に浸り、フッ素化合物合成法の重要さを確認したところで、そろそろ本題のC-H活性化によるフルオロメチル基の導入に戻りましょう。
炭素原子の周りすべてがFになる分子設計が可能に
創薬への応用を意識した場合、イチから合成経路を見直して最初からフッ素原子を入れる方法は現実的ではありません。なるべくエレガントに終盤でフッ素原子を入れたいところです。
すでに知られていた方法は、銅やパラジウムなど遷移金属触媒を用いた反応[3]です。この場合、あらかじめ塩素・ヨウ素・ボロン酸を、ベンゼン環の上に導入しておく必要があります。
論文[4]より転載
薬剤候補分子について、ベンゼン環のまわりにある官能基へ影響を与えず、この前駆体を用意するには、たいてい並行して多段階の反応が必要になります。理想としては、一発でドンとトリフルオロメチル基を入れられたら素晴らしいことでしょう。MacMillanらはここにチャレンジングな研究課題を提示し、お得意の光レドックス触媒(参照「光レドックス触媒と有機分子触媒の協同作用」)で困難を解決してみせます[4]。
論文[4]より転載
このトリフルオロメチル化には、1電子移動(single electron transfer; SET)によりラジカルを仲介して進む反応機構が提案されています。研究の当初は、フルオロメチルラジカル(.CF3)を供給するために、トリフルオロヨードメタン(CF3I)を用いていたそうですが、トリフルオロメタンスルホン酸塩化物(CF3SO2Cl)を用いることで、基質に幅広く対応できるようになりました。光は小型の省エネ蛍光電球で構わないようで、室温の穏やかな条件で反応が進みます。
論文[4]より転載
さらに、ベンゼンと同じタイプの単なる芳香環だけではなく、ヘテロ芳香環に対しても同様の反応でトリフルオロメチル基の導入に成功しています。例えば、核酸塩基のチミン(メチルウラシル)を、高収率でトリフルオロメチル化できたことを報告しています。
創薬合成化学に、さらなる発展への期待がますます高まる報告でした。進化の過程で取り残された未踏のフッ素化合物に深く通じた分子の匠たちに、今後も注目です。
参考論文
[1] “Crystal structure and mechanism of a bacterial ?uorinating enzyme” Changjiang Dong et al. Nature 2004 DOI: 10.1038/nature02280
[2] “Kinesin Spindle Protein (KSP) Inhibitors ……Cancer” Christopher D. Cox et al. J. Med. Chem. 2008 DOI: 10.1021/jm800386y
[3] “The Palladium-Catalyzed Trifluoromethylation of Aryl Chlorides” Eun Jin Cho et al. Science 2010 DOI: 10.1126/science.1190524 他
[4] “Trifluoromethylation of arenes and heteroarenes by means of photoredox catalysis” David A. Nagib et al. Nature 2011 DOI: 10.1038/nature10647
[5] “Catalysis for fluorination and trifluoromethylation” Nature 2011 Review DOI: 10.1038/nature10108
関連書籍
[amazonjs asin=”4782707274″ locale=”JP” title=”フッ素化学入門2015″][amazonjs asin=”4061536931″ locale=”JP” title=”P450の分子生物学 第2版 (KS医学・薬学専門書)”]