震災当時のことを振り返って、思いつくままに書き連ねました。ここ(chem-station)は化学系のサイトなので、これ以上の震災レポートは控えます。書いてると辛くなると言うのも理由の一つです。
最後に、震災直後の混乱をどうやって切り抜けたのか、その後の行動を振り返り、今後のための役に立ちそうなポイントをまとめたいと思います。
緊急連絡網の確立
どくたけが在籍していた研究室では、年度が替わる度に名簿を更新し、一昨年あたりからそこに携帯の番号とアドレスが記載されるようになっていました。個人情報保護の観点からは忌避すべき事項かも分かりませんが、今回はこれが役に立ちました。連絡網に関しては、ほぼ自主的に即効的に作られたもので、ポスドクであったどくたけがスタッフとの連絡を、ドクターの学生が後輩学生のとりまとめをし、この二人が中継地点となることで情報のスムーズな伝達が可能となりました。震災直後は携帯電話の電波状態が悪く、一般のメーリングリスト作成支援サイトは使えませんでしたので、携帯電話からの一斉送信という方法に頼らざるを得ませんでした。そのため、確実な情報の集約のためにも、中継者の確立は必須であったと言えます。これが功を奏して、震災の翌日くらいには誰がどこでどのような状況にあるかを把握することが可能でした。これから、いつかどこかで起こるとも限らない新たな震災のことを懸念して、研究室内の携帯用MLはあってもよいかと思います。
団体避難
東北大(理・薬・工)の学生の多くは、八木山地区、八幡地区に居住しています。これらの各地域にはそれぞれ指定された避難場所がありましたが、避難場所に行く場合は必ず「誰と一緒にどこの避難所に避難したか」これを明確にするように徹底しました。避難場所に避難せず、自宅に待機する場合(建物の損壊の度合いがそれほどでもなく、そしてプロパンガスなどのライフラインの復旧が早かった家の場合)、近隣の学生と一緒に一箇所に固まることとしました。結果論と言いますか、これらのことは震災後の生活を送る中で自然とこうなっていったという側面があります。また、団体避難のメリットとしては、食料や水の調達を分担できる、という点にありました。震災直後、仙台近郊を襲った品不足、そして異常な物価の高騰により、商店やスーパーには長蛇の列ができました。数時間並んでお菓子数点というのはざらでしたし、どくたけが見た中で最もひどかったのは、生卵3個で500円、大根一本800円、キャベツ一玉500円といったものでした。被災者の足下をみるような悪い人もいるのが悲しかったです。
実験装置、実験器具の耐震補強
なんと言っても今回、これが最も役に立ったと思います。まず、耐震シートです。これはホームセンターなどで売っているものですので、是非とも購入をお勧めします。これがあるだけで全然違います。なんと言ってもこれを使っていた棚は倒れませんでしたから。ちなみに、どくたけの研究室で使用していたものとはちょっと違いますが、いわゆるこういうものです。
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僕たちは、大きなシート状のものを使っていました。また、耐震補強についてですが、これはガラス器具や実験器具が棚から落下してこないように、棚の前面、側面を金属製の棒で×状に止めてありました。通常のオープンラックであれば全てのものが雪崩のように落ちたと思います。できることなら本棚にもこれと同じ対策がしてあれば、本の雪崩は起こらなかったと反省しています。また、巨大なガラス器具、カラム管や大きなシュレンクなども、それぞれ個別に耐震、防振のための工夫がされていました。棚の中で単にしまうだけではなくて、揺れたりしないようにストッパーのようなものを設置しておくと良いと思います。簡単な菓子箱などを応用するだけでも役に立ちます。
試薬に関しては言うまでもなく施錠管理でしたから、この点に関する被害はさほどではありませんでした。使わない試薬はすぐに棚に戻す。実験台の上に置きっぱなしにしない。抽出操作をやりっぱなしにしない。エバポ待ちのフラスコを溜めない。といった研究室における一般的なルールを守らないと、有事の際の被害は甚大になってしまいます。熟達の皆さんも、自戒のためにもう一度これらのことにもう一度気を配って下さい。
避難訓練の徹底
読者の皆さんは、避難訓練を行っているのかどうかは分かりませんが、どくたけのいたところでは定期的に避難訓練がありました。なので、避難経路、避難方法、避難順序はほとんどの人が熟知していました。いい年こいて避難訓練とかやってらんねーよみたいに思っている人がいればそれが命取りになることもあるかも分かりません。ラジオ体操と一緒です。まじめにやりましょう。そのお陰か、懸念された混乱はほとんどなく、また局所的な二次災害(将棋倒しなど)のようなものはありませんでした。地震が来たら机の下に避難するといったことだけでも、十分に意味があると思います。頭上からの落下物から身を守れるわけですから。あとはヘルメットですかね。これは実験室の扉の前に設置してありました。なので、すぐに手に取ってすぐに被れました。どくたけの研究室には人数分のヘルメットが常備されています。これも今後のことを考えると是非ともお勧めしたい防災用品です。
緊急時用の食料、水、懐中電灯、ラジオなど
避難袋なるものがあるそうです。写真ほど立派なものはそうないかも分かりませんが、どくたけの研究室にもありました。
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個人的にはあまりやっていませんでしたが、居室の机に大量のお菓子をため込む人もいるかと思います。いざというときには非常食になるし、というのは食いしん坊の言い訳だと揶揄してきましたが、今回はそれが役に立った面もあります。ある程度のお菓子、日持ちのしそうな飴やクッキーくらいは、持っていてもいいかもしれません。食べ過ぎはよくありませんが。
人と人とのつながり
震災を経験し、もっとも痛切に感じたのは人と人とのつながりの強さ、絆の強さでした。遙か遠く、関西方面から車で支援物資を届けてくれた人もいました、同じ東北地方から届けられた物資もありました。支援の輪は拡がっていくもので、頂いた物資は、届けられた人だけでなく、その周りの人をも救い、そして救われた人々が得た活力は、小さくても大きな復興への第一歩となりました。
震災直後から、本当に多くの方々に励ましの言葉やお見舞いの言葉を頂戴しました。皆様に、この場をお借りして御礼申し上げます。東北地方、仙台、東北大の復興にはまだまだ時間が必要かと思います。微力ではありますが、どくたけもその復興の一助となれるよう、尽力したいと思っています。
現場から、どくたけがお送りしました!