製薬国内最大手の武田薬品工業が、2013年4月入社の新卒採用から、英語力を測る学力テスト「TOEIC」(990点満点)で730点以上の取得を義務づけることが22日、明らかになった。
通訳業務や海外赴任を前提とする採用を除いて、国内大手企業が新卒採用でTOEICの基準点を設けるのは極めて珍しく、他の大手企業の採用活動にも影響を与えそうだ。
730点以上は「通常会話は完全に理解できる」水準とされ、得点者は受験者の1割強にとどまっている。(引用:読売新聞)
先立ってこういうニュースが発表され、それをめぐって各所で盛り上がっているようです。
以前にもユニクロや楽天などが英語を公用語にするという話が出て、いろいろ騒ぎになってた記憶がありますが、英語ネタはいつでもどこでも盛り上がりますね。
・・・そうですね、筆者もアメリカで仕事(研究)をしてきた経験がありますから、いろいろ考えさせられる潮流だと思っています。
製薬会社云々については語るだけの見識を持ち合わせていないためひとまず横に投げておき(おい)、ここではひとつだけ、自分の実体験から確実に言えることを取り上げることにしたいと思います
それは、
「基本的な英語を知らないと、仕事相手に対して失礼な振る舞いをしていても、自覚すらできない」
ということです。
アメリカ留学時のある日、とある現地メンバーに、こんな指摘をされたことがありました。
「お前の英文メールは、子どもが書いてるような表現だよ」
これは筆者自身全く自覚してなかったことで、言われたときは少なからずショックでした。もちろんちゃんと通じてはいるようなのですが、どこら辺がそうなのか、正直未だによく分からないほどです。
何でもかんでも直球表現なイメージのあるアメリカですが、丁寧語・尊敬語に相当する言い回しは英語にもちゃんとあります。総じて婉曲的かつ曖昧な表現が丁寧語に相当するようですが、たとえば「論文を送ってください」とお願いするフレーズひとつとっても、これぐらいのバリエーションがあります。
・Send me a preprint of your paper.
・Will you send me a preprint of your paper?
(この両方は命令調であるから,要注意)
↓
・Please send me a preprint of your paper.
・Send me a preprint of your paper, please.
(Pleaseを使ってもまだ命令に近い)
↓
・Could you send me a preprint of your paper?
(Couldで始まるとWillより丁寧になる)
↓
・I was wondering if you could send me a preprint of your paper.
(かなり丁寧な表現)(コラム「相手を配慮した英語表現」より引用)
・・・いや、これを適切に操るのは本当に難しい。特に最後の“I was wondering if you could~~”という言い回しは、日本にいるときには使ったことすらありませんでした。しかし、現地ではかなりの頻度で使われているものです(便利なので覚えておきましょう)。
「あのとき送ったメールはどんだけ失礼だったのだろうか?」・・・と思い返すたびに冷や汗ダラダラな心持ちにさせられますね。
コミュニケーションは”逆の視点”から眺めてみる
コミュニケーションの問題は、「相手と自分の立場を置き換えてみる」ことで、実感を得やすくなります。
例えば見知らぬ人からこんな日本語メールが来たとします。どちらをよく思うかは、火を見るより明らかでしょう。
A. 「やあオマエ、論文くれ。よろ~」
B. 「○○様、大変恐縮なお願いではありますが、△△という論文の別刷りを、◇月◇日までにご送付いただけないでしょうか。よろしくお願い申し上げます。」
「バカバカしい例え!」と思われる方、いるかも知れません。しかし、もしも日本語の不自由な人が相手だったらどうでしょうか。「やあオマエ」な表現を自覚できてないだけかもしれません。しかし、メールを受けとる側の自分には、そんなことなど知りようもありませんよね。
我々がいろいろ盛り上がってる「英語」にしても、実のところ、これと大差ない次元の話なのではないでしょうか?
英語圏の人がどこまで言い回しを気にするかは、筆者自身も掴みきれてない面があります。しかし少なくとも日本人であれば、時に過剰ともいえるほど気にすることでしょう。「言ってることはそうだけど、言い方ってものがあるだろ!?」という発言を、これまでに何度聞いたことか!
しかしひとたび英語になった途端、「オレらは英語できないしね、細かいこと勘弁してよ~(笑)」を良しとしはじめるならば・・・それはなんとも不遜な態度ですね。「そんな姿勢を意識せず当然のものと考えてはいないだろうか?」と折りに触れ自問してみるのは、とても大切なことだと思えます。
いろんな批判はあって良いでしょうが・・・
こういう話題が出るたび、
「英語よりも仕事をちゃんと出来る人をとるべき」
という意見が必ずでてきます。
まさしくごもっとも。
しかしそこを徹底してない会社だとすれば、そもそもが先行き不安な気もします。つまりは、そんなことはちゃんと分かって、出来る限りやった上で、要求してることなんだと思えます。
「そんなことはない、仕事よりも英語こそが重視されてる」と思えるのならば、そんなところへ就職希望する選択自体が、そもそも表面的かつ不合理な選択ということでしょうね。つまりは、そんなところへ希望を出さなければいいだけの話です。そこは自分の眼を信用すればよいでしょう。
そもそも仕事の遂行と対人コミュニケーションは不可分なことですから、要素分割的に議論を進めること自体、あまり建設的ではないとも感じられます。「今後は英語が必要な職場が増えてくるから、英語の出来る人を優先的に採りたい」という方針であれば、このような指針こそは至極自然なことでしょう。
そういう言い方をしてしまうとまた、
「敬語表現とかビジネス表現が、TOEICの点数から本当に判断できるのか?」
「口頭コミュニケーションは、TOEICとは関係ないだろ?」
といった意見も必ずでてきますが・・・これはもう正直聞き飽きました。
あらゆる人から言及し尽くされてることですし、企業側もそんなの痛いほどわかっている、と見るべきではないかと?
そしてTOEICの試験範囲である限りは、そんな内容まではそもそも厳密に試験されません。ですから、「判断できない・関係ない」とジャッジする姿勢こそが、むしろ正統でしょう。
上記の様な批判(いちゃもん?)が出てくるのは、結局のところ、
① 限られた種類の試験だけで、英語能力を判断せざるをえないという現実
② 『TOEICの点数だけで、企業は英語力の全てを判断しようとしている』と、自分勝手・安直に思い込もうとする受け手の思考回路
に根源がある、と筆者は考えています。
現状の選別方式が不足であれば、「口頭重視・リスニング重視など、もっと試験方式のバラエティを増やそうよ」とする方針こそが、建設的な一つに思われます。しかし現状、コスト・労力・利益還元率に見合わないと大多数に思われてしまっている・・・だからこそ試験が増えないのでしょう(おそらくは、ですが)。果たして企業側にしても、偏った範囲の試験(TOEIC、TOEFL、英検など)から、英語力を判断する以外に術が無い現実なのでしょう。
試験のバラエティについては勿論、今後の改善を期待したいところですが、それを悠長に待っていては、常に競争に晒される企業は後手後手にならざるを得ない。だからこそこうやって当座の手を打つ企業が現れはじめた・・・今回の件にしても、そんなことの顕在化に過ぎないのでは、という気もします。
おわりに
さすがに筆者自身も、「本業そっちのけで英語を勉強すべき」と言うつもりはありません。
しかし、他言語圏のコミュニケーション相手・ビジネス相手に配慮するなら、こちらで英語が出来るに越したことが無い、とも思っています。下手な英語を聞かせずとも済むことはすなわち、相手の負担を減らすことに直結するのですから。
また礼儀ある自然な言葉遣いは、結局のところ、その言語をある程度使いこなせるようになってから身につくものだと思えます。ですから、「ビジネスの現場に直結しないから、TOEIC英語は別にいらないだろ」という主張には、正直賛同しかねますね。
いずれにせよ「礼儀としての英語の必要性とその価値」は、なんら損なわれるところはないでしょう。
以上を踏まえた上で、上の発表を
「国内製薬最大手たる武田の社員たるもの、いずれは他国に恥ずかしくない、礼儀ある英語コミュニケーションを身につけてほしい。だから前提としてこれぐらいのTOEIC点数は、取っていてほしい」
というメッセージだと、好意的に捉えなおしてみるのはどうでしょうか?
なんでも否定的に捉えるのではなく、あえて前向きに捉えてみるのも重要だよな・・・いろいろな発言を眺めながら、そんなことを感じいった休日でありました。
関連リンク
- 武田薬品工業さんが、なぜ新卒全員に、なぜTOEIC700点を義務づけたか(戦略コンサル辞めて起業している日記)
- コラム:科学英語を考える (東大理学部)