さて、そろそろここでの終盤に差し掛かってきましたが、皆様ご理解いただけたでしょうか。もう一度復習いたしますと【速報編】で、とりあえず簡単に今回のノーベル化学賞についてお話しました。すかさず【お祭り編】で今回のノーベル化学賞による一般メディア、化学分野の方々の盛り上がりをお伝え致しました。続いて【開拓者編】にて受賞テーマと関係した夜明け前研究についてご説明しました。そして【メカニズム編】にて、少し学術的にどのようにクロスカップリング反応は進行しているのか?という点をできるだけわかりやすく解説したつもりです。
さて、今回は2010年ノーベル化学賞の受賞理由「パラジウム触媒を用いたクロスカップリング反応の開発」に焦点をあて、ノーベル化学賞受賞者を含めたその開発者達をご紹介したいと思います。前回の【開拓者編】編とは一味違った、ノーベル賞に限りなく近い人物も登場します。それではお楽しみに。
上記に掲載した写真が「パラジウム触媒を用いたクロスカップリング反応の開発」に関わった重要人物です(すみません。一部の写真は手に入れることができませんでした。となかたお持ちでしたらご連絡ください。【追記】右田先生のお写真は小杉先生よりご供与いただきました。ありがとうございました。)。ほとんどの方が現在人名反応として知られている有名な化学者です。ここで勘違いしてほしくないので、何度もいいますが、ここであげた方々は、”パラジウム触媒を使った炭素ー炭素結合形成反応”でも、”クロスカップリング反応の開発者”でもなくパラジウム触媒を用いたクロスカップリング反応の開発者であることです。それぞれを分けた化学者については【開拓者編】を御覧ください。
溝呂木勉、リチャード・ヘック はじめてのパラジウム触媒クロスカップリング反応
1972年にデラウェア大学のヘックはパラジウム触媒を使って、芳香族ハロゲン化物(上記の緑のもの)に対してアルケン(炭素=炭素二重結合をもつ化合物群)をクロスカップリングさせることに成功しました。これがはじめてのパラジウム触媒を用いたクロスカップリング反応となります。しかしながら、実はこれよりも1年も先に同様な反応を報告していた日本人がいたのです。それが、東京工業大学の溝呂木勉助教授です。彼は全く同様な反応を報告していたのにも関わらず、当時全く注目されていなかった日本化学会の学会誌であったため、ほとんど注目されませんでした。しかも、その後溝呂木先生はは若くして故人となってしまっため、それ以後に発表したヘックの業績が認められ、これまでこの形式の反応は「ヘック反応」と呼ばれてきました。
しかし、ヘックがこの反応を無視したわけではなく、しっかり論文の参考文献(前任者の研究を記載する部分)にも入れており、近年の辻二郎先生らの努力により、国際的にも「Mizorogi-Heck反応」と呼ばれています。
とはいっても、この反応を報告する前のヘックの論文からみると、この反応への展開は明らかであり、むしろこのヘック反応よりも以前の論文が評価されているのではないかという意見もあります。この件に関しては話が複雑となりますので、ここでは記しません。そんなヘックもそれから数年後以後はあまり良い結果に恵まれず、研究費獲得が難しくなり定年を前に研究の道から引退しています。
賢明な読者の皆さんは、ここで不思議に思ったかもしれません。溝呂木先生は1年前にクロスカップリング反応を発表しているのなら【開拓者編】に記載した熊田、玉尾らによるクロスカップリング反応は初めてじゃないじゃないか!と。
答えは、難しいのですが、この説明は下記の村橋俊一先生のところでお話させていただきます。
藤原祐三、守谷一郎 ”幻の”クロスカップリング反応
大抵の皆様は、新聞記事にもほとんど出ていないので、はじめて聞いた名前かもしれません。守谷一郎氏は大阪大学の基礎工学部の一人で、氏の研究室は多くの著名な化学者を輩出しています。そう、先に記した、また後に記述する村橋俊一先生もこの研究室の門下の一人です。
1967年、藤原祐三(九州大学名誉教授)、守谷らは1967年、ベンゼンとスチレン(炭素ー炭素二重結合を持った化合物の一名称)をスチレンと同じ量のパラジウム化合物を使ってクロスカップリングさせることに成功しました。その後、触媒量にパラジウム化合物を低減させて触媒的なクロスカップリング反応に成功しています。
...え。っこれってすごくない???
と思った読者様は既にクロスカップリング反応を分かり始めているのではないかと思います。。そうです、この形式をみると、有機金属化合物も使わず、さらに有機ハロゲン化物もいらないのです(【メカニズム編】参照)。さらには、ヘック反応よりも、【開拓者編】に記載した熊田、玉尾らのカップリング反応よりも5年も早い時期にこの反応を報告しています。
答えは半分Yes、半分Noです。題名に”幻”と書いた理由は反応があまりにも特殊で限定的であったため忘れ去られていたということです。カップリングの相手であるベンゼンが溶媒量(たくさん)必ず必要とし、非常に厳しい条件で汎用ではなかったのです。しかしながら、現在この反応はFujiwara-Moritani反応(もしくは酸化的Heck反応)と呼ばれ、最も注目される新規分野のひとつとなっています。この話はまた別の機会にでもしましょう。
村橋俊一 パラジウム触媒R-M/R-X型クロスカップリング反応
ちょっとここは難しいので、わからないかたは読み飛ばしてください。
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パラジウム触媒を用いたクロスカップリング反応はまだまだこれからです。ここまで、クロスカップリング反応という言葉を多用してきましたが、広義にはクロスカップリング反応とは異なる有機化合物の炭素ー炭素結合をくっつける反応となり、それは19世紀に有機合成化学という学問が出来上がって以来、数えきれないぐらいの反応が報告されています。ここでいうクロスカップリング反応は今まで反応しないと考えられていた炭素ー炭素結合(sp2−sp2結合という)をつなげる反応です。(【メカニズム編】参照。)その中でもいくつか形式があり、【開拓者編】で話したものは
有機金属化合物と有機ハロゲン化物というものを(ニッケル、鉄、パラジウムなど)でくっつける反応
です。ここでは分かりやすいようにC-M/C-X型反応と呼びましょう。それに対して上記に記したヘック反応や藤原ー守谷反応は同様にsp2−sp2結合をつなげる反応ですが、形式が
有機ハロゲン化物(若しくは有機化合物)と有機化合物(ベンゼンなど)を微量の金属触媒つなげるもの
であり、反応のメカニズムが異なります。ヘック型反応とでも呼んでおきましょう。
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前置きが長くなり申し訳ございませんが、ヘック型反応自体がはじめてパラジウム触媒を用いたカップリング反応でした。しかしながら、C-M/C-X型反応ではそれまでパラジウム触媒は用いられておりませんでした。それをはじめて用いたのは村橋俊一大阪大学名誉教授です。そして、これ以後活発に開発されノーベル化学賞受賞につながったのは【開拓者編】や【メカニズム編】で解説した山本等によって報告され、玉尾、熊田らによって開発さrたC-M/C-X型反応です。
1975年に村橋らはパラジウム触媒を用いた有機金属化合物(有機リチウム、マグネシウムなど)と有機ハロゲン化合物のカップリング反応をはじめて報告しました。しかしながら、これまで玉緒らによって報告されていたニッケル触媒を用いたものにくらべて、非常に限定的で反応条件が難しく、残念ながらあまりうまくいきませんでした。同年、同様に大阪大学の薗頭健吉、荻原信衛らによって、触媒量の銅化合物とアルキン(炭素ー炭素三重結合を持つ化合物)から銅炭素化合物(銅アセチリドという)と有機ハロゲン化物をパラジウム触媒を用いてカップリングできることが報告され、反応する化合物の幅が広がることとなりました。これは現在「薗頭ー萩原クロスカップリング反応」と呼ばれています。
様々な有機金属化合物を使ったクロスカップリング反応(C-M/C-X型反応)
さて、村橋や薗頭らにより、パラジウム触媒によるクロスカップリング反応が報告されるようになりましたが、利用している有機金属化合物というのは反応性が高く、もちいるハロゲン化物によっては様々な副反応を生じてしまいます。また、玉尾らによって報告されたようなニッケル触媒を用いた初期のカップリング反応も、応用しようと考えるとまだまだ納得のいかないものでした。
そこを解決したのが、パデュー大学の根岸英一先生です。根岸はパラジウム触媒をもちい有機金属化合物を変更するため検討を始めました。マグネシウムから、亜鉛、カドミウム、ホウ素、アルミニウム、スズ、ジルコニウムと様々な検討しましたが、特に有機亜鉛化合物を有機金属化合物として用いたものは、非常にマイルドな条件であり、副反応も少なく様々な複雑な骨格を有する化合物でも反応は良好に進行することがわかりました。これが現在根岸カップリングと呼ばれている反応です。根岸らの努力により、クロスカップリング反応はニッケル触媒からパラジウム触媒反応へ移り変わっていきます。すなわち触媒のパラダイムシフトを担ったといってもよいでしょう。
次のクロスカップリング反応の展開として、有機金属化合物の最大の問題点、水や空気に不安定であるということを解決することでした。ひとつの解決策として、群馬大学の右田ー小杉らが水や空気に比較的安定な有機スズ化合物を用いてクロスカップリング反応を行うことに成功しました。その後、スティルらによってこの反応は展開され人名反応となっています(右田ー小杉ースティルカップリング)。これで水や空気への安定性を解決できたように思えましたが、新たな問題が生じました。有機スズ化合物は毒性が高く、さらに実験をやる上での問題は非常に悪臭がするということです。
それらを解決する「決定版」というべき反応が、1979年に方向されました。それが北海道大学の鈴木章、宮浦憲夫らによって報告された有機ホウ素化合物を使うということです。しかしながら有機ホウ素化合物は実はそれまで根岸を含め、他の研究者によってクロスカップリングへの利用が考えられていましたが、あまりにも安定なため反応しないというのが定説でした。鈴木等は研究を長年続けるうちにその解決法に辿りつきました。それは一見単純な方法であり、アルカリ性の物質(塩基)を加えることです。
その手法により、全く反応が進まなかった有機ホウ素化合物がカチッとマウスをクリックするように反応するようになったのです。当時は他のカップリング反応よりも後発でしたので全く注目されませんでしたが、水や空気への安定性、毒性のなさが認められ、現在ではほとんどがこの鈴木ー宮浦カップリング反応が主流となっています。
その後、1988年に檜山為次郎等によりパラジウム触媒による有機ケイ素化合物と有機ハロゲン化物のカップリング反応が報告されましたが(檜山カップリング反応)、それ以来、この形式の反応は報告されていません。
このように、パラジウム触媒を用いて初めて応用できるクロスカップリング反応を開発したのがヘック、それをさらに広げて鈴木、宮浦カップリング反応へ導いたのが根岸、そして、決定版を作ったのが鈴木であるといえるでしょう。これがノーベル賞受賞のテーマであり、答えです。
以上、パラジウム触媒を用いるクロスカップリング反応の発見物語を紹介してきましたが、
最後が1988年となると
「やっぱり古い技術じゃん」「今では使っていないの?」という声が聞こえてきそうですが、そうではありません。実際、これがはじめての反応でここから開発者本人ら、もしくは何千、何万の研究者が何十年もかけてこの反応を磨き上げ、そして応用していくのです。
まともにつかえるようになったのはここ十数年の話で、未だにまだできないことはたくさんあります。さらにこれらを超えるあらたな反応が開発されようとしています。それに関してはまた後日お話することにしましょう。
大変長文なりまして申し訳ございませんでした。