先日、東京大学弥生講堂にて開催された、有機合成化学特別講演会 「有機合成の進むべき道―先駆者からのメッセージ―」と題された講演会を拝聴してきました。
今年の学士院賞を受賞された、知る人ぞ知る有機合成化学者の大物4名(北原武、大類洋、村井 眞二、村橋俊一 教授)が若手向けにメッセージを送るという主旨の、豪華そのものな講演会でした。
それぞれ個性豊かな方ばかりで圧倒されましたが、その中でも筆者にとって特に刺激的だったのは、村井教授のお話です。
C-H活性化型触媒反応を開発し、現在の一大研究領域の先駆者となった村井教授。
この成果、実はいわゆるセレンディピティの帰結ではありません。
村井教授らによって1993年に開発された触媒的C-H活性化反応
村井教授は1980年代に既に以下の3テーマを想定し、「こんなことができればいいよね」とメンバーと良く語り合っていたのだそうです。
このうち(1)のC-H活性化は後に形を変え、村井教授自らが一番手に実現したものです。
つまりかの歴史的業績は偶然でもなんでもなく、全くの信念によってもたらされた成果だということです。
そうあるためには当然ながら、当時としてはまったく夢そのものなテーマを思い描けていなくてはなりません。「この発想が30年前に出るのか!?」と感嘆するしかない着眼点とイマジネーションは、ひとこと「非凡」としか形容できないものに思えます。
偶然性を超越していけるほどの信念と発想は、日本の土壌にも確かにある―それは改めて認識されるべき事実でしょう。
欧米化学者が誰一人成しえなかったブレイクスルーの背景には、かくのごとく強い信念があったわけですが、それに至った現場の経緯も、また想像以上のものでした。
C-H活性化触媒の開発は当然ながら、当時としてはリスキー過ぎるテーマの一つ。
それゆえ、取り組ませてきた当時修士課程の学生(=垣内史敏・慶応大教授)に、予めこのようなサジェスチョンをしていたのだそうです。
「博士課程の間にノーデータでも困らないよう、修士課程のうちに博士論文が書けるデータを、別テーマで全部集めさせた」
こんなことを文字通り実行出来る飛びぬけた学生は、まずもって相当レアでしょう。
しかしここで考えてみてください。もしもそのような学生に出会ったとき、自分ならどうするか?――守るべきものもあって、研究室を維持しなくてはならない立場です。データを安定供給させる側に向かわせるというのが、大抵の帰結だと思えます。結果を持ってくること100%確実なわけですから。
しかし村井教授はあえてそうさせず、『トップクラスの学生だからこそ、最大級のチャレンジに取り組ませ、未踏の境地へ到達するきっかけとした』わけです。この選択は、誰しもできる類のものではないでしょう。村井教授の非凡さは、そういう点にもあると思われました。
またほかにも、
「研究には【思考ドリブンなテーマ】【実験ドリブンなテーマ】の二通りがある。後者のアイデアはnaive(悪い言い方をすればアタマの悪いもの)であるほどよい」
などの話もユニークでしたし、
「研究室ではうまくいかないのが常態です」
とも強く言い切り、目先の結果に固執しないさまを披瀝しておられました。
ことばの節々から「これはアリ、これはナシ」と断ずることのできる、確固たる指針とぶれない強い研究哲学が感じ取れ、これまででもっとも刺激的な講演の一つだったと思えます。
他のお3方も、自分の研究経験をもとに、若手化学者に向けた熱いメッセージを送っておられました。
すべて紹介すると長くなり過ぎるので割愛させていただきますが、総じて内容の濃いすばらしい講演ばかりだったと思います。