“Catalytic Asymmetric Synthesis of R207910”
Saga, Y.; Motoki, R.; Makino, S. Shimizu, Y. Kanai, M.; Shibasaki, M. J. Am. Chem. Soc. 2010, 132. 7905. doi: 10.1021/ja103183r
古くには不治の難病として恐れられていた結核。抗生物質ストレプトマイシンの登場以来、その患者数は激減し、今日ではそれほど脅威な感染症ではなくなっています。
しかしながら近年のデータが示すものは、結核感染者数は増加の傾向にあるという事実です。薬剤耐性菌の出現が一因とされています。
にもかかわらず、実は過去40年間にわたり、効果的な抗結核薬の開発はほぼ行われてきていません。これは薬剤耐性を持つ結核に対する対抗策がほとんど無い、という現状を意味します。
結核が再び現代に蔓延するとどうなるか―これは想像するまでもない脅威です。現代になって、新規抗結核薬はその重要性が再び認識され始めているのです。
このような背景にあってジョンソン&ジョンソン(J&J)社は、R207910(TMC207)[1]という抗結核薬を2004年に開発しました。現在PhaseIIでの試験が行われていますが、ATP合成阻害という、これまでのものとはまったく異なるメカニズムでの抗結核作用を示す特徴があり、多剤耐性菌にも効果があるとされています。(参考:抗生物質の話)
合成上のハードル・ポイント
芳香環に挟まれたエピ化しやすい三置換不斉炭素と、それに隣接する四置換不斉炭素をどう構築するかが本合成のキモですが、この化合物は一見して小さく、何のことはない難度の化合物に見えてしまいます。
しかしそう単純ではありません。ここまでコンパクトな化合物だと、「基質の特定部分を足がかりにして、不斉制御を行なう」という定石的考え方がまったく通じないのです。
つまり既存法を組み合わせて何とかする姿勢では、短工程合成が不可能な化合物でもあるのです。
その事実を裏付けるかのごとく、J&J社の探索グループでは、下記のごとく二つのフラグメントをくっつけHPLCで強引に分離するという、効率度外視のルートを採っています(探索段階ではよくあることですが)。
強力な不斉触媒によって画期的合成経路を実現
この小粒ながらピリリとからい化合物を合成可能としているのは、独自開発された二つの不斉触媒反応です。
①イットリウム触媒を用いるプロトン移動反応
脱プロトン化を介する反応形式は得てしてラセミ化、すなわち不斉点を消してしまう方向に寄与するのが普通です。不斉プロトン化反応を不可逆過程にする目的では、シリルエノラート経由で行うのが定法[2]となっています。
しかし今回のケースにおいては、脱プロトン化→プロトン化が不可逆的におこる基質構造になっており、不斉触媒化が可能になっています。基質の特性をよく熟知して開発された反応といえます。
結果として、合成に組み入れようなどとは計画段階でまず考えないだろう、斬新な反応形式が実現されています。
用いられている試薬も、どこにどう利いているのかさっぱりわからないものばかりです。複核錯体を経る提唱反応機構も複雑で、どうやったらこんな反応系が見つかってくるのか、理解の範疇を超えています。詳細の解明については、今後の研究が待たれます。
②銅触媒をもちいるジアステレオ選択的アリル化
第2の不斉点構築については、ケトンへ炭素鎖をジアステレオ選択的に求核付加できればOKです。
しかし二つの芳香環が置換しているために、ケトンのα位プロトンは酸性度がかなり上がっています。従来型の求核剤では脱プロトン化が避けられず、せっかく苦労して作った不斉点がエピ化してダメになってしまいます。
この困難なハードルをクリアできたのは、彼ら独自の銅触媒アリル化条件[3]が唯一だったそうです。それでもジアステレオ選択性向上を意図した膨大な検討が必要となったようであり、やはりちょっとやそっとでは思いつかないような添加剤が採用されています。
その後はConventionalな変換を経ることで、合成を完了しています。
自ら開発した強力な触媒反応を武器に、合成困難な化合物へとアプローチしていく。その過程で自らの方法論に磨きをかけ、必要とあらば新規反応の開発すら厭わない―反応開発ベースの合成化学者ならば広く模範とすべき研究スタイルが結実した、優れた成果だと思えます。
関連書籍
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関連文献
関連リンク
- 抗結核薬に40年ぶりに新薬
- R207910 – Wikipedia
- 抗生物質の話(有機って面白いよね!)
- 抗生物質の危機(1)~魔法の弾丸~ (有機化学美術館)
- 抗生物質の危機(2) ~魔法の終わる時~ (有機化学美術館)