先日、大学にハーバード大学教授の岸義人先生が来学されました。名古屋大学特別教授の授与式と2日間に渡る特別講義のためです。個人的には、第50回天然物化学討論会の記念講演で講演を拝見した時以来でした。あの時のテトロドトキシンの全合成の講演は合成後30年経ったあとでも色あせず、非常にわかりやすかった思い出があります。
名古屋大学特別教授は
「卒業者若しくは大学院修了者又は本学の大学教員若しくは大学教員であった者のうち,ノーベル賞,フィールズ賞,文化勲章,文化功労者又はそれらと同等の研究教育活動の功績をたたえる賞若しくは顕彰を受けた者に対し,特別教授の称号を付与することができる」
と定められていまして、その中から毎年数名が選ばれます。今までの受賞者は11人。化学では野依良治(理研)、中西香爾(コロンビア大)、下村脩(ウッズホール研究所)についで4人目です。その他には青色発光ダイオードを開発した赤崎勇(名城大)、ノーベル物理学賞を受賞した小林誠・益川敏英教授などが選ばれています。
今回の特別講義では2回に渡って計5時間、昔話から最近の仕事に関連して様々な話をしてくださいました。いくつかピックアップして紹介したいと思います。
観察力の鋭さ
4年生時、平田研究室の後藤俊夫助教授(当時)のグループに配属され、あるプロジェクトをまかされました。
「ケトンを水素化ホウ素ナトリウムで還元したのだが再現性が取れず脱ブロモ化した化合物が得られるのでこれを調査してくれないか」
これが初めてのテーマでした。岸先生が行うと脱ブロモ化した化合物ばかり得られるということでなぜかと考えました。ある時、当時還元の際に使っていた溶媒であるメタノールを大量に減圧留去してみると、残渣に何かしらの金属のカスが残ってことに気づきました。調査した結果、メインの金属は二価の鉛であり、鉛化合物を添加すると脱ブロモ体が、鉛なしであるとブロモヒドリン(ケトンのみが還元された化合物)が得られることがわかりました。海外から帰国したばかりの新進気鋭の後藤先生から与えられた課題を、解いてみせたということがかなりの自信につながったそうです(学生はこうありたいものです)。
さらにこれが、かの有名なNHK反応の塩化クロムの不純物が反応の鍵であった(塩化ニッケル)ことに気づくという話につながっていきます。
近年でも、鉄触媒であったと思っていたものが実は銅触媒であったという話(参考:有機化学美術館「鉄の仮面の下に」)、メタルフリーなカップリング反応だと思っていたものが実は痕跡量のパラジウムが混ざっていたという話(Pd触媒を必要としない(!?鈴木カップリング)は聞かれていますが、反応を観察力鋭く精査することによってネガティブな話だけでなく新たな反応が見つかる例も数知れず、実験化学の面白さを物語っていると思います。
大先生でも!?
「学生時代、一時期ある天然物の採取ばかりで、それが非常に大変で、合間にソフトボールをやっていなかったらやめていたかもしれない。」
大変面白い話です。そういう話は学生の皆さんの心をつかむのではないでしょうか。どんな大先生でもそんな時期もあり、結果が出ない時期もあります。リスクを楽しむこと、化学を楽しむこと。まさに同感です。
超巨大化合物に関する逸話
岸先生といえば業績を上げれば数えきれないほどのすばらしい結果を残しているわけですが、長期間かけて達成したパリトキシンの全合成はまさに驚愕といった仕事のひとつであると思います。
「テトロドトキシンの合成後、ハーバードに招聘されたがなにか新しいことをやろうと思ってそれまでの環状化合物からの立体制御から、Acyclicな化合物の直接的な立体化学制御を行った。」
それまではWoodwardの確立した直鎖の化合物から環状化合物へ誘導した後に立体化学を制御するという(例 Concave-Convex Ruleなど)が画期的で主流でした(現在でももちろん当たり前の如く使われます)。代表作であるテトロドトキシンの全合成でも存分に新しい発想でこのケミストリーを実現されています。
それに対して岸先生は直鎖の化合物の直接立体化学制御を利用した天然物の全合成を行ったのです。近年の合成化学の源流ですね。
「パリトキシンは不斉炭素が63個もありオレフィンの幾何異性体(E/Z、計7個)を含めるとなんと2の70乗 1.18×10^21個の異性体が存在する。」
これをすべての立体制御を行うことは非常に困難な仕事となります。これらを制御し合成を行ったことは現在でも驚愕の仕事であることは間違いありません。
余談として、
「パリトキシンの最後のフラグメントのカップリング反応はもう少し新規な反応を行ないたかったが、さすがにあれだけ大きくなると確実な反応(結果的にHWE反応)を選んだ。」
とおっしゃっていました。 「信頼できる、使える反応(Fuctinal group compatibility)」が大事。」ということですね。また、パリトキシンに関連する話にあれだけ分子が大きくなるとTLCに乗らず滑っていくといっていました。低分子ながら分子量5000の世界。どんな感覚なのでしょうか。
兎にも角にも、直鎖化合物の直接立体制御の集大成がパリトキシンでありそこから少なからずNMRデータベースの構築の発想につながっていくこととなります。言いたいことは、ただつくるだけと言われていた(る?)全合成は合成化学的にもコンセプトをもって行うことで多くの新しい発想、反応を見出しているということです。合成した結果だけに固執して話を進めるのはナンセンスであり、それだけに合成で魅せる化学者は合成化学的なコンセプトをもって前人未到化合物に望んでほしい、望みたいと思います。
人。研究にもっとも大事なファクター
人とのつながりが研究においても重要であることは皆さんご存知のことだと思います。
「人に恵まれた。特に最初の学生君達。彼らはすごかった。彼らがいなければ僕のケミストリーは全くできなかったかもしれない」(要約しています)
岸先生とともに研究を行った人は日本人だけでも60名いるらしいです。特にはじめの学生とはテトロドトキシンの全合成に関わった福山透(東大薬教授)、中坪文明(京大農名誉教授)、中塚進一(岐阜大農教授)をはじめとする学生たちであるといっていました。名大の平田研究室、後藤研究室という流れは様々な人材を集め輩出していったことで非常に有名であり、上記に挙げられた方々のすばらしさ、凄まじさは結果が物語っています。(参考:福山透(「若い時の「厳しさは」買ってでも!?」、化学、「研究者ノート」))
やはり初めの学生、いや共同研究者というのは非常に重要で1人ではできないことを同じ信念をもってやっており、お互いの将来を左右する”同士”になると思います。そんな時期をそれぞれ皆さんも過ごしていると思いますが、お互いがそのような気持ちで研究を進めていければよいと思います。後々絶対によい思い出になりますよ。余談ですが、研究に対する気持ちを高めたい方はぜひ福山先生の研究者ノートをご覧になってください。こちらで無料で閲覧できます。(月刊化学「研究者ノート」、福山透)
他にも研究ではハリコンドリンの合成、NMRデータベースの構築など面白い話が聞けましたが、質問時間がなんと3時間弱もあり、研究以外の話も非常に参考になる話ばかりでした。
ちなみに今回は若手研究者とディスカッションがしたいということで筆者も40分間個別のディスカッション時間を与えられまして、初めてディスカッションしてきました。雑談も多くしていただいて、非常に楽しめました。