@drug_discovery 「化学者からみる「イケメン分子」ってのは、どんな分子なんだろう?すっきりしたのが良いのか、複雑に入り組んだのが良いのか。」
既に数ヶ月前のことで恐縮ですが、Twitterでのこんなつぶやきに端を発し、#sci_onタグで「イケメン分子」が話題となりました。
ここでいうイケメン分子とは、そのまま「見た目がかっこいい分子」のことです。
え、見た目だけ・・・いやいや、これはなかなかバカに出来ないのですよ?
イケメン人工分子の魅力
自然というのは面白いもので、構造美=機能美という式がそのまま当てはまるものがたくさんあります。例えば皆さんご存知の遺伝物質、DNAの二重らせん構造などは構造美=機能美の好例です。この相補的配列を持った2重鎖構造は、遺伝子複製過程を合理的かつ精確に進めるという機能にうまく寄与しています。
自然界にはどうやら、同じ機能の実現に際して、最小のエネルギーを使うようにしているという基本原則があるようです。機能の複雑さ・洗練度合いに比べて、構造はシンプルで美しい「イケメン」となる――これは必然的なことといって良さそうです。
さて、Twitter上で皆が「イケメン分子」案を持ち寄っている最中、筆者も独断と偏見にて10の「イケメン分子」を提案させていただきました。
このとき筆者は、あえて自然界に存在する分子ではなく、人の手で作り出された「人工小分子」を取り上げました。
これは筆者なりの意図があってのことです。
「人間の手によって、新たな機能と研究領域を創造できること―それが化学の本質であり、唯一無比の魅力である」
ということを伝えたい、という思いがその一つです。
物質を原子レベルで自由度高く加工し、自分の手で創り出すこと自体、化学をもってしか現状不可能な営みです。
そして人工物は、他でもない人間の頭脳から生み出されたものです。「優れた人工物」は人間の創造力と想像力の体現であり、果て無き可能性・未来を感じさせてくれるもの。そんな人工物を、創造力と興味の赴くままに自分で作り出していける。化学者として生きていく魅力と充実感を味わえるのは、まさにこういう点に根源があるのでは、と考えるわけです。
また、
「人工というだけでマイナスイメージを持ってほしくない。それは偏見そのもので、世界を狭く見る結果にしか繋がらない」
ということを知ってほしい、という思いもあります。
「天然物」に対し、「人工物」にはどういうわけかマイナスのイメージが付きまとう宿命にあるようです。これはまったくおかしな話です。天然にだってひどい毒物は存在していますし、一方でわれわれの生活を豊かにしてくれる医薬品のような人工物だってあるわけです。機能だけを取り出して眺める限り、天然物/人工物の分類は、まったくもってナンセンスというわけです。優れているものは優れている、と捉えることのできる素直さと謙虚さを、若いうちから育んでほしいと思うわけです。
美麗な構造をもった人工物こそが、そのまま化学的営みの魅力と意義を体現している。
優れた人工物を創製し続ける先端化学こそが、われわれの生活を豊かで実りあるものにしていく力を持つ。
前置きが長くなって申し訳ありませんが、そういう信念のもと「世界のイケメン分子」をこれから数度に分けて紹介してみたいと思います。
三輪違いの分子ボロミアンリング
カテナンと呼ばれる分子をご存知でしょうか?二つの輪が鎖のようにからみ合って外れなくなった分子であり、Mechanically-Interlocked Moleculeと呼ばれるものにカテゴライズされます。
一方で今回取り上げるイケメン分子・分子ボロミアンリングは、3つの輪ががからみ合って外れなくなった構造をしています。より正確には「輪がどれかひとつでも切れてしまうと、すべてがバラバラになってしまう」トポロジーで3つの輪が組み合わさったものです(結び目理論で言うところの最小のBrunnian Link)。ボロミアンリングという名前は、かつて北イタリアで名を馳せたボロメオ家の紋章に由来しています。日本の家紋のひとつ、「三輪違い」にもこのボロミアンリング構造が見られます。
独特の美麗な構造を持った誰もが求めるイケメン分子ですが、普通にどうやって作ればいいのかすら、まったく想像がつかないような代物でもあります。たとえば3回の環化反応を行ったとしても、普通は望むような形で環は組み合わされず、3つの環はバラバラにできてしまいます。うまく合成するには、優れたアイデアこそが必要不可欠となります。
2004年、米国ノースウェスタン大学のフレーザー・ストッダート教授のグループは、この分子ボロミアンリングの合成に世界で初めて成功しました(Science 2004, 304, 1308)。これほどに込み入った構造を持つ分子にもかかわらず、彼らはなんと一段階で合成を達成しています。その天才的な発想を以下紹介しますが、まったく驚くほかないという巧妙なものです。
キーとなる考え方は、クラウンエーテルの時代から綿々と発展を遂げてきた鋳型合成法です。すなわち下図のように、12分割したボロミアンリングの構成成分と、金属亜鉛の配位結合を利用しつつ、ボロミアンリングを組むようにうまく配置させた状態から反応を行わせる、というのが基本的な考え方になります。
また酸性条件下では、イミン結合形成と亜鉛への配位は可逆になります。このため一旦間違った組み方をしても再び結合が切れて、違う形でくっつきます。これが多数繰り返され、最終的に最も安定たる構造(=ボロミアンリング)へと落ち着いていくのです。大変に見事ですね。最近では官能基を入れたり、イミンを還元してアミンにした後、亜鉛を除去したボロミアンリングも合成されているようです。
ボロミアンリングは「化学者のお遊び」か?
分子ボロミアンリング自体にとりたてて優れた機能が発現したという報告は、現在のところまったくありません。これを見て「お遊び研究に過ぎないじゃないか」と否定的に捉えるのは簡単です。しかしこういったものは、もっと長い目で捉えていくべきものでしょう。
かつてなんの役にも立たないと考えられていたカテナンやロタキサンは、ストッダート教授自身による長年の研究の末、分子スイッチ・高密度記録媒体(分子メモリ)としての応用が現在追究されるに至っています。「化学者の創造力と熱意と工夫次第で、化合物の将来像はいかようにも成り得る」「知られざる化合物を魅力的にしていくのは、研究者のセンスと手腕次第」ということのよい例だと思わされます。
ボロミアンリングにしても、カテナンとの構造類似性を生かして、よりも高密度な情報媒体として応用するが可能かもしれません。そもそもが全く新しい形の分子ですから、これからどういう風に「化ける」のかの予測も現時点では不可能です。
現状役に立つと分子とはいいがたい綺麗なだけの「イケメン分子」ですが、これが人間の創造力を駆動力として、今後どのような変貌・発展を遂げていくのか―皆でリアルタイムに見守っていこうではありませんか。
(各図はWikipedia、Stoddart研ホームページなどより引用)
関連書籍
[amazonjs asin=”0521087813″ locale=”JP” title=”Supramolecular Organization and Materials Design”][amazonjs asin=”4774131148″ locale=”JP” title=”有機化学美術館へようこそ ‾分子の世界の造形とドラマ (知りたい!サイエンス)”]